05


 ふっと、湖面に泡が浮かぶように、リアトリスは意識を浮上させた。鮮明になる視界に映った天井に、既視感を覚える。
 灰色の天井をぼんやりと見つめ、リアトリスはふっと力を抜いた。それから、すぐに目を開ける。
 身体の自由が効かない。手足が痺れている。首を動かして、リアトリスは周囲を見渡した。
 簡易的なベッドが、幾つか陳列している。しかし、誰も横になっていなかった。

――とりあえず……おいらは、生きているらしい。

 しかし、此処が何処なのか分からなかった。確か、アストワースに向かって森を出ようとしていた。
 そこまで思い出して、リアトリスは「まさか」と顔を歪める。それと同時に、部屋の扉が開閉する音が、耳に届いた。
 暗い色の髪をした、一人の少年が入ってくる。左目付近の泣き黒子には、見覚えがあった。
 彼がニルス・カーターであることを、リアトリスは瞬時に理解する。続いて入ってきたのは、
 エリック・スレイマンであった。どちらも、二年前によく顔を合わせていたハンター達だ。

「リア!」

 ニルスが名前を叫んでくる。その声がやけに大きく、頭に響いた。リアトリスが僅かに顔を顰める。
 そこまで大きな声を出していない筈だが、警鐘のようにとても響く。

「な、オレの言った通りだったろ」
「本当に……生きていたんだな」

 二人の声を聞きながら、リアトリスは口を閉ざしたままだった。酷く、体中が重たくて辛かったのだ。
 ニルスが、「此処はアストワース支部の病室だ」と説明した。そして、空いているベッドに腰を下ろして、
 ニルスがこちらをじっと見てきた。

「起きたばっかで悪いけど。聞いていいか」

 聞いていいか。そうは言うが、リアトリスに拒否する権利を与えはしない。そんな圧力をリアトリスは感じた。
 エリックは、立ったままこちらを見下ろしている。何とも言えない、妙な居心地の悪さがあった。
 その原因が、行方を晦まし続けていた自分が作り出したものであると、リアトリスは分かっている。

「……」

 頷けば、ニルスは少しだけ呻いた。

「あー……何から聞けばいいか、分かんねえんだけど。……おまえ、今まで何処にいたんだ」
「……最近は、ギルクォードにいた……」

 なんとかそう答えれば、ニルスは小さな声で、町の名前を繰り返して呟いた。

「なんだ。近くはないけど、近くにはいたんだな」
「……」
「なんで、戻って来なかったんだ」

 エリックの声は、こちらを攻めるではなく、淡々とした声音だった。
 手傷を負った、こちらを気遣ってのことかもしれない。リアトリスはそう思ったが、それが逆に、追い詰められたような心地にさせた。
 非難するように、怒鳴られた方がマシに思えてくる。
 リアトリスは、すぐには答えられなかった。それでも、二人は次に出てくる言葉を、静かに待っていた。

――それは、大した理由じゃねえ。ただ、顔向け出来ねえって思ったんだ。

 次々と殺されていく仲間と、仲間を蹂躙する魔物に恐怖を覚えた。
 一度抱いた恐怖を振り払うことも出来ず、隊長の最期を見て、気付けば走り出していた。
 惨めったらしく、生にしがみつこうとしてしまったのだ。
 時間を置いてから、リアトリスはゆっくりと答えた。

「みんな、死を覚悟して戦っていた中で……おいらは、逃げたんだ……」

 リアトリスは、二人の顔を直視出来なかった。
 ディックには以前、偉そうに「罪と向き合わなければならない」と言ったが、実践出来ていない。
 それが、妙な腹立だしさと恥ずかしさを呼び覚まし、リアトリスは口を閉ざす。

「死ぬのが怖いのは、当たり前だ」

 エリックが言った。

「俺もニルスも、死ぬのは怖いよ」

 その声音は、さっきとは違い、暗い影を落としていた。

「市民を守る兵士でありながらって、上の人間が聞いたら強い叱責を受けるだろうけど。
でも、誰だって死ぬのは嫌なんだよ。その瞬間訪れる痛み、別離、喪失。それが、死への恐怖に繋がってしまう。
……おまえの弱さは理解出来る。でも、おまえが、逃げて仲間を見殺しにしてしまった事実は、消せない」
「おい、エリック……」

 ニルスが何か言いかけたが、リアトリスは「いや」とそれを遮った。

「エリックの言う通りだ。だから、おいらはずっと……」

 扉が静かにノックされた。リアトリスの代わりに、ニルスが返答すると、二人の魔物ハンターと一緒にもう一人。
 子供が入ってきた。その姿を見て、リアトリスが目を丸くした。

「ティナ……!」

 名前を呼べば、彼女は嬉しそうに駆け寄ってくる。弾むようなその走り方に、亜麻色の髪がふんわりと揺れた。
 立っていたエリックは、彼女の為にそっと場所を移動する。ティナはその気遣いにも気付かず、リアトリスの傍に来た。



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