02
途中降り出した豪雨や、それによって橋が落ちた為に川を渡れず、迂回するなどして、
ディックは数日掛けて、ラントフト村に辿り着いた。思ったよりも時間が掛かってしまった。
突然やってきた男に、多少不審そうな顔をしながら、
「ええ。確かに来られましたよ」
と、婦人が頷く。そして、リアトリスが来てから村を離れるまでの経緯を話した。
魔眼狼が潜むと思わしき、ヴェルド森林に向かったことを聞いて、
ディックはその森林の入口に向かう。そこで、その森林の奥深くから、酷く重たい魔力が漂っていることに気付いた。
「……」
ディックは翡翠色の瞳で、ひたりと森を見つめる。この中にリアトリスはいるのだろうか。
魔物の気配が多く、毒気を含んだ魔力の所為で、よく分からない。ディックは薄暗い、ヴェルド森林の中に足を踏み入れる。
湿った土の上を歩き続けていたディックは、乾いた板が割れるような小さな音を聞いた。
こちらに向けられる、僅かな殺意を感じ取り、ディックは魔剣を引き抜いた。振り向きざまに斬りかかる。
切り捨てたのは、乾いた蔦だった。パラパラと土の上に落ちたそれを踏みつけ、ディックが見上げると、
人の顔に似た瘤を出した大きな木が自生している。
「……」
ディックの瞳孔が、細く鋭く変わった。殺意と敵意を混ぜた鋭い視線に射竦められ、その瘤はまた、
乾いた音を立てながら幹の中に引っ込んでいく。ディックは、静かに魔剣を鞘に戻す。
深い森を歩くうち、低い唸り声を耳にするようになった。周囲を強い魔力が取り囲んでいる。
魔物特有の毒気を含んだ臭いがする。こちらの様子を伺っているのか、殺気を醸し出しながら、
積極的に襲いかかってくる気配はしない。
そこから更に先に進むと、土が焼け焦げた場所に着いた。周囲には、魔物の魔力結晶が転がっている。
そして、それを取り込んでいる巨大な魔物もいた。魔物が魔力結晶を一つ取り込むたびに、
魔力がぐんと強くなるのを、ディックは感じた。
濃紫色の毛並みをした、牡牛程の大きな狼だった。額には赤色の瞳が付いている。
その魔物は低い声で唸りながら、こちらを見た。その口が僅かに吊り上がったのが見える。
「マダ……ノ、コッテ……イタ、イタ、……ナ……」
酷く片言の言葉遣いに、ディックはその魔物が喋り慣れていないのだと分かった。魔力結晶を集めて、
言葉を操る程に力を膨らませたのだと判断出来る。この辺りで、同族殺しも行われていたのかもしれない。
目の前の魔物の目は、三つとも真っ赤に染まっていた。
大きく口を開けて、飛びかかってくるその魔物の動きを捉え、ディックは引き抜いた魔剣で迎撃する。
魔物の飛びかかる強さや速さを利用する。そぎ切りをするかのように、上顎と下顎から全身を、
大きく育った魔力結晶諸共、真っ二つに切り捨てた。巨大な魔物が、黒い塵となって霧散していく。
ディックは魔剣を払い、片手に握り締めたまま、薄暗い森の中を歩いていく。歩きながら、
周囲に立ち込める魔力に、違和感を覚えた。強い魔力が漂っている。先程の魔物と同じくらいに思えた。
それが、一つや二つではない。幾つもの強い魔力が絡み合っている。膨張した毒気に当てられて、
森を進めば進む程に、枯れ果てて変色した草木が増えていく。
水の音がした。流れる音を聞いて、せせらぎだと気付く。ディックは音のする方向へと足を進めた。
枯れて倒れた木を踏み越え、脆く崩れる木々の破片や草花を踏み潰して進む。やがて、死臭の漂う川辺へとやってきた。
毒気を吸収した小川は黒く濁り、水面には大量の魚の死骸が浮いている。抗うこともなく、
川の流れに従って流されていた。川辺の傍には、腐食した獣の死体と魔力結晶が散らばっている。
腐敗臭に加えて、それとは別の酷い異臭が漂っている。
――酷い臭いだ。
ディックは顔を歪めて、鼻を腕で覆う。翡翠色の瞳を周囲に走らせたディックは、
川辺の一箇所にティナの姿を見つけた。その場に立ったまま、彼女は動かない。
やがてティナは、こちらに気付いたようで、顔を輝かせて立ち上がった。
「ディック!」
駆け寄ってきたティナが、魔剣を握る方とは逆の手を、両手で握り締める。
「よかった、ですの。げんき、ですの?」
場違いな問いかけには答えず、ディックは静かに尋ねた。
「リアトリスは、何処にいる?」
「わかんない、ですの。いなくなっちゃった、ですの」
ぶらぶらと、ティナはディックの手を揺らしながらぽつぽつと答える。
人形だというのに、人間のそれと同じ、柔らかな感触だった。
「ティナ、リア、おいかけた、ですの。でも、わかんない、ですの」
もう少し詳しく聞いてみれば、何体もの魔物に囲まれてしまったという。
その時のリアトリスは、何処か疲労していた様子だったらしい。逃走するリアトリスに、置いていかれないようティナも走ったが、
それを阻止するかのように現れた魔物によって、引き離されてしまった。
今はもう消えてしまったが、僅かに残っていたそれらしい足跡を追いかけていた。しかし、
この川を境に消えてしまっており、どうするべきか分からず、ずっとここにいたのだと、ティナはそう語った。
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