02
ヴァイオリンやチェロといった弦楽器から管楽器が、全て彼女の歌声を引き立たせている。
そう思わせる程、アベリー・エアハートの歌は群を抜いていた。その抜群の美声に魅了される者は多く、今日も会場は満席だ。
この四日間、連日公演をしていたが、チケットはすぐに完売し、彼女を人目見ようと、
ティリーンの町にあるイプスター会場には大勢の人が集まっている。それもこれも、彼女が突然発表したある事柄が影響を及ぼしていた。
「卯月の、迷迭香の日をもって、しばらく休業します」
この発表は瞬く間にヴェステルブルグ中に広まっていった。
「ノーフォーク湖?」
アベリーが次の指示を受け取ったのは、胡蝶花の日の日だ。
その二日後の最終公演が、本当に最後の公演となることが、すんなりと運営側に通ったのは、
セオドアとあの吸血鬼の手腕によるものだろう。
――手腕なんてものじゃないわね。あの二人は、人間を欺き、操ることなんて造作無いもの。
ステージにただ一人で立ち、独唱する可憐な歌姫に、観客は一人、また一人と涙を零す。
透き通るその歌声は、涙腺を刺激し、心を揺らし、人々を感動の渦へと引き込んでいく。
濃紫色の髪を揺らして、やけに大人びた表情で歌うアベリーの色香は、子供とは思えない程だ。
人間から見れば、彼女はまだ子供だった。実際には、会場に来る老男や老女よりも、うんと年上だ。
その最終公演で、拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
◆
会場を出たアベリーの前に、燕尾服を纏ったクロードが姿を現す。
彼は、真意も心情も全て隠し通す、いつもの笑顔を貼りつけながら、深々と腰を折った。
ゆっくりと体制を戻す。
「こんばんは。公演、お疲れ様でございました」
「そうね、お陰様で大盛況だったわ。突然の休業発表だったもの」
軽く笑うアベリーは、後ろで手を組みながらクロードに近付いた。紅茶色の瞳で、彼の顔を見上げる。
長い睫毛が、彼女を妙に色っぽく見せたが、クロードには響かない。
「突然、ノーフォーク湖に行けだなんて。シルヴェーヌ達は、お役御免てわけ?」
「いいえ、守備の強化でございます。ラスト様が、お目覚めになるのは、もう間もなくです。
今は、少しの予断も許されません。これは、あの方直々の命令でございます」
「別に、文句は言ってないじゃない」
「ええ。ですから私も、攻めているわけではございませんよ」
クロードが、貼り付けた笑みを湛えたまま返してくる。アベリーは小さく鼻を鳴らす。
時折、ホーストン邸に招かれた際に見る、メイドのアリスはともかく、この男のポーカーフェイスは嫌いだ。
慇懃無礼な態度と、こちらを見下すようなその笑顔は、大嫌いだ。
「ねえ。ちょっとした好奇心なんだけど、ラスト様はシェリーが混血と一緒にいることを、ご存知なの?」
「ええ。ご存知ですよ」
ニコニコと微笑みながら言うクロードに、アベリーは「そう」と頷く。
「そしたら、ラスト様はその混血をどうするの?」
「あなた様のご想像通りでしょう」
「そう簡単に、シェリーがそれを許すかしら」
アベリーの脳裏に、いつかの光景が蘇る。憔悴しきったあの混血の背後に、まるで陽炎のようにシェリーが現れた。
彼の危機には、いつだって駆けつけるらしい。もし、蘇ったラストが混血を手に掛けるようなことがあれば、
シェリーはあの時以上に怒るのだろう。想像して、アベリーは少し震えた。
「どうなさいました。混血に情でも湧きましたか?」
いつもの笑顔に、含み笑いが混じっている。アベリーは「冗談」と肩を竦めた。
「魔物が、混血なんて欠陥品に情なんて沸くわけないわ。例え、大切に思っていたとしても、
それは……情なんて優しいものじゃないでしょ」
「そうですね」
珍しく、クロードがアベリーの言葉に同意する。少しだけ驚いて、アベリーはクロードを見つめた。
彼は普段、なかなか見せることのない緑色の目を覗かせている。その目は、いつになく厳しく鋭い光を放っていた。
その癖、口元は嫌味ったらしく、不自然に吊り上がっている。
アベリーはそれを見て、小さく笑った。初めて、クロードに向けて無邪気な笑顔を浮かべてみせる。
今度は、クロードがそれを見て眉を上げた。アベリーが目と唇を吊り上げて笑う。
「アナタは、そっちの顔の方がよく似合っているわ」
「あなたも、媚びることのないその笑顔の方が、様になっておられますよ」
にっこりと笑うクロードの言葉に、アベリーはまた不機嫌そうな顔をする。
髪を手で払いながら、アベリーが歩き出した。
「さっ。早くノースを迎えに行って、ノーフォーク湖へ向かいましょ」
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