07


 ディックは取り戻した魔剣を支えに立ち上がった。逃げることは出来ない。
 強く美しい魔将である、シェリーの隣に立ち続けるには、戦い抜くしか無いのだから。
 彼女が必要としてくれる限り、生きていけるのだ。ここで、この魔将に抱いた恐れのままに、
 背を向けて逃げる選択をしてしまっては……

 シェリーが去ってしまう。

「おい! 待て、ディック!」

 駆け出したディックを、リアトリスが呼び止めようと声を上げる。
 けれども、ディックは止まらなかった。例え、手足が吹き飛んだとしても、戦うつもりだった。
 彼女なら、シェリーなら、きっと戦うことを選ぶだろう。
 それだけの覚悟を持たなければ、シェリーは必要としてくれない。
 何もいらない。他には何も望まない。だから――

――傍にいて。

 それはとても小さく、あまりにも幼い願いだった。

 振り被ったディックの魔剣を、ヒースコートがひらりと避ける。
 それを見越して、次の一撃を繰り出したディックの魔剣を、ヒースコートは猛禽類のような左足で受け止めた。
 唇を鋭く釣り上げる。

「全っ然弱いのね。正直、アンタみたいな奴にヴィヴィアン達がやられたとは、思えないわ」

 拳を握ったヒースコートは、最後に爽やかな笑顔を浮かべると、思い切りこちらの横っ面を殴り飛ばす。
 口の中一杯に、錆びた鉄の味がした。力を振り絞り、転倒するのを踏み止まる。
 ディックは真っ直ぐヒースコートを睨みつける。対するヒースコートも、こちらを睨みながら微笑んでいた。

「正直に答えれば、その左目だけで終わらせてあげる。アタシの仲間を手に掛けた、本当の犯人は誰?」
「……」

 ディックは彼の言葉を聞いて、すぐにその真意を把握する。
 彼女が負けるとは思えないが、それでも僅かな障害は、無くした方がいい。
 ディックは次に来る攻撃に備えて、魔剣を握る力を込める。そして、ゆっくりと構えた。

「……俺が素直に、言うと思ったのか」
「そうね、残念だわ」

 残念という割には、そうでもなさそうな声音で呟きながら、ヒースコートが突っ込んでくる。
 ディックは魔剣を握り締めて、それを迎え撃つ体制を整えた。しかし、ヒースコートの姿が一瞬にして消え去った。
 思わず、動揺してしまったディックの耳に、リアトリスの声が届く。危険を知らせようとしたのか、
 単にディックが死ぬと思ったのか。リアトリスが詰まりそうな呼吸を繰り返しながら、大きな声を上げた。

「危ねえ!」

 轟音と共に、ヒースコートの振り下ろした爪撃は、地面を大きく抉った。
 ディックは横方に飛び退いており、どうやら直撃は避けたらしい。彼が魔剣を振り上げて、ヒースコートに向かっていくのが見える。
 勝てる筈の無い戦いに、何故ディックは無謀にも挑もうとするのか。リアトリスには、到底理解出来ない行動だった。

 膝を付き、荒い呼吸を繰り返すディックのもとへ駆け寄り、リアトリスはその左肩を掴む。
 血の匂いがした。身体が冷たい。リアトリスは、湧き上がった嫌な予感を振り払うように、
 強い口調で言い聞かせる。

「もういいだろ、一旦引くぞ! このままじゃ、本当に殺されちまう……」

 言葉を聞いていないのか、ディックは呻きながら、魔剣を支えにして立ち上がった。
 そして、駆け出そうとする。その腕を、リアトリスは力一杯掴んで引き止めた。

「一旦冷静になれって! いつものあんたらしくもねえ!」

 ディックが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。血潮のように、真っ赤に染まった瞳に見据えられ、
 リアトリスはぞくりと背筋を凍らせた。身体の奥底から震え上がるような、威圧と悪寒を感じる。

 ディックは、今まで聞いたことがないほど、冷たさを帯びた低い声で、言葉を投げかけてきた。

「おまえが、俺の何を知っているんだ」

 その言葉は、リアトリスの気力を削ぐには充分だった。胃に鉛を落とされたように、リアトリスはその場で立ち尽くす。
 そこらの魔物と大差ない、人間への敵意や殺意、侮蔑。それらが篭った声だった。
 駆け出していくディックを、止めることは出来なかった。



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