06


 威圧的な笑みとその声音に、オズバルドは一瞬たじろいた。けれども、一瞬とはいえ、
 抱いてしまったその恐れは、シェリーの魔力に飲み込まれ、瞬く間に敵意と戦意を削がれてしまう。
 周囲に、薄ら寒い魔力が立ち込める。吹いた風に煽られ、シェリーの長く艶めいた黒髪が、
 波打つように靡いている。巻き上がる青白い炎が彼女を照らし、その美貌も相まって、
 まるで鋭く刺すような美しさに満ちていた。

「やっと見つけたんだ。あたしの身体に開いてしまった、穴を埋めるモノだ」

 それは、冴え冴えとした響きだった。
 先程までとは打って変わり、オズバルドはシェリーから力強い魔力を感じる。
 足元の草花が、次々と茶色く変色していくのを見た。

「さあ。そこをどけ、オズバルド。これ以上邪魔をするというのなら、容赦しない」

 シェリーの瞳は血潮のように赤く、強膜は底知れない闇のように、黒く染まっている。
 オズバルドは、乾いた声で小さく笑う。

「……ハハッ。分かった、分かった」

 おどけるように、オズバルドは両手を上げた。直後に、下劣な笑みを顔いっぱいに浮かべた。

「おまえがラストと同類だってことが、よおく分かったよ!」

 ラストと同類。
 その言葉を聞いたシェリーが、不愉快そうに眉を潜めると、オズバルドは青白い炎に包まれ、
 一瞬にして消し炭へと姿を変えた。煙を吹き上げながら、それでも集まろうとする肉片の一つを踏みつける。
 血管が破裂するような音がした。

                   ◆


 リアトリスは呻きながら身を起こす。こちらに迫ってきたヒースコートという魔将を思い出す。
 そして、自分が半面防毒面マスクを装着していることにも気付いた。
 魔将の毒気に意識が朦朧としながら、きっちりと付けていたことに、少し安堵する。
 それから、すぐにディックのことを思い出した。

「そうだ、ディック……」

 すぐ脇を何かが掠め、轟音を立てた。目を丸くして振り向けば、土や草を大きく抉りながら、
 吹き飛ばされたディックが倒れている。驚いて立ち上がったリアトリスは、急な立ち眩みを覚えた。
 意識が戻ってすぐに動いた為だ。それでも転倒は踏み止まり、ディックの元へ駆け付ける。
 駆け付けるつもりだったが、思うように四肢は動かず、早足で歩くのが精一杯だった。

「生きてるか、ディック!」

 酷い傷を負っているのは、一目で分かった。
 呻きながら、右手を地面に這わす様子は、何かを探しているようだ。やがてその手が、魔剣の柄に触れた。
 リアトリスは、その赤い魔剣を見る。妙な輝きを放っていた。その赤い輝きは、まるで感情が昂ぶった、
 魔物の赤い瞳のような悍ましさを感じさせる。

 魔剣を地面に突き立て、立ち上がろうとするたびに、ディックから流れ落ちる真っ赤な血が、
 地面に吸い込まれていった。しかし、やがてリアトリスの見ている前で、その傷も徐々に塞がっていく。
 こんな状況ながら、リアトリスは、「やっぱり、人間じゃねえんだな」と妙な感想を抱いてしまう。

 一方でディックは、一抹の不安を抱えた。傷は塞がっていたが、通常よりも再生する時間が掛かっている。
 魔将との戦闘による疲労、そして、シェリーとは違う、強い毒気を含んだ魔力に当たり続けていることで、
 身体に負担が掛かっているのだ。早く、一刻も早く終わらせなければ後がない。

「ディック、一旦引こう。今は勝目も勝算もねえ」

 リアトリスが言う。

――逃げるのか?

 耳にシェリーの声が聞こえた気がした。そうだ。此処で逃げるわけにはいかない。
 逃げられないことも分かっている。此処で逃げるのは、弱者の行動だ。
 魔将という、強者の隣にいるには、強くあらねばならない。そうでなければ、彼女という居場所を守れない。
 シェリーがこちらに背を向けて、静かに去っていく幻が脳裏に浮かぶ。

「なんて?」

 何事かを聞き返してくるリアトリスに、ディックは我に返ったように顔を上げた。

「リアトリス、動けたのか……」

 そう尋ねると、リアトリスは戸惑った顔をしながら、「ああ」と頷いている。

「だったら、今のうちにおまえは此処から離れろ。人間が敵う相手じゃない」
「あんたは……」
「俺は此処に残る」

 ディックは深く呼吸をする。蹴られた胸部が微かに痛んだ。もしかしたら、折れたのかもしれない。
 しかし、そんなことは二の次だ。まだ動けるのだ。それに折れたところで、時間さえあれば、また再生する。

混血ハーフブラッドだって、魔将相手じゃ分が悪いだろ」
「……逃げるわけにはいかない」
「なんだって、そう……」

 心配するというよりも、リアトリスは怪訝な顔をする。
 人間であり、多くの人の輪に入っている彼には、理解出来ないのだろう。

 ディックはリアトリスを見て、笑った。
 場違いなその表情に、リアトリスは少しだけ、面食らったような顔をする。
 静かな笑みを浮かべたまま、ディックはゆっくりと唇を開いた。

「俺には、シェリーしかいないから」

 一点の光も宿さない、翡翠色の瞳だった。リアトリスは眉を顰めている。



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