06
ほんのりと光る扉を閉じて、ディックは小さく息を吐く。
「迫り来る命の危険から、身を守る為に……」
自分で言ったその言葉に、ディックは息苦しさを感じた。
ディックの脳裏を、切り取った絵のように、次々と過っていくのは、あの村の光景だ。
振り翳される農具、司祭の怒鳴る声、血を吸い取る雪、怯えた目、倒れ伏し、虚ろな顔でこちらを睨め上げるアレクシアの顔。
焼けるような右目の痛み、湧き上がった感情。逃げ惑う村人達。そして……
シェリーの赤い唇が、描いた半円。
『――その時。おまえが感じたものはなんだ?』
初めてシェリーと対峙した時。彼女に問われた時に気付いたもの。
それを思い出して、ディックは扉に手を掛けたまま、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。
自分は決して、人間ではない。魔物の血を引いており、魔物と同じ感情を持ち合わせている。
しかし、拭いきれず、忘れられない後悔と恐れが、シェリーの冷ややかな言葉と共に、胸の奥深くで息衝いている。
『おまえを赦してくれる者は、もういない』
憎悪に歪んだアレクシアが、後方からじっと見つめているような。そんな気配を感じる。
思い出の中にいる彼女は、いつだって慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
しかし、後ろにいる彼女の顔は、怖くて見ることが出来ない。
『大好きよ』
そう言って、抱きしめてくれたアレクシアは、もう笑ってはくれない。
只、背中からゆっくりと抱き付いてきて、冷たい声で問いかけてくる。
「私やあの人達を殺した時。逃げていく人を追い詰めた時。怯えた人の顔を見た時。
あなたはどう感じたの? 悲しかった? 辛かった? それとも、苦しかった?」
無機質な問いかけを、ずっと繰り返して責め立ててくる。
「いいえ、あなたはその時……」
耳に吹きかかる、生暖かい吐息をはっきりと感じた。
「楽しかったんでしょう?」
冷たい手で心臓を掴まれたように、一際大きく鼓動が跳ね上がった。
「そんなことは……!」
ディックは声を荒げて立ち上がった。しかし、アレクシアの気配を確かに感じたのだが、そこには誰もいなかった。
暗く、静寂に包まれた通路が続いているだけだ。
何処からか、小さな声でひそひそとした話声が聞こえてくる。
「楽しかったんだって」
「本当は弱いくせに」
「群れることでしか、何も出来ない連中だったんだ」
「たった一人に翻弄されて、逃げ惑って、」
「そんな様は、楽しかったんだ」
「本当は、殺したくて溜まらない」
「一人前に殺人衝動を抱えている、魔物もどき……」
扉を破壊する程の勢いで、ディックが開いたのは人形の積まれた部屋だった。扉を開いた途端に、話し声はぴたりと止まる。
それでも、人形達から感じるのは、こちらを責めるような、奇異なものを見るような、厭悪するような視線だ。
その視線の数に、翡翠色の目を剥いて、周囲を威嚇するように睨み付ける。
「親殺しは、魔物の証」
「母親だけじゃ飽き足らず、みんな壊した魔物もどき」
こちらを嘲笑するような顔をした、人間や魔物の首が転がっている。それらが口を開き、また毒を吐いていた。
挙句には大きな声で笑っている。鬱陶しく煩わしい笑い声に、
「うるさいなあ……」
舌打ちしながら呟いたその後――
ディックは赤い魔剣を引き抜き、一切の躊躇なく首に叩きつけた。何度も、何度も魔剣で頭を斬り付ける。
その間にも周囲から、こちらを罵倒するような言葉で溢れ返り、その中で陶器が砕ける音が、絶え間なく響いていた。
[ 109/110 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]