04


 その夜。ベッドに入ったエドワードは、静かに目を閉じて考えていた。愛するクラウディアのことだ。
 彼女のことを、エドワードはとても愛していた。けれども、彼女への愛情が大きくなるに連れて、
 不安や恐怖も大きくなっていた。意識が途切れてしまう病が、その不安を煽る。

 クロードは、大丈夫だと言ってくれたが、それでも不安は消えてくれない。いつか、本当に意識が途切れて、
 そのまま目覚めることが無くなってしまうかもしれない。

 そうなったら、もう彼女の笑顔を見ることが出来なくなるかもしれない。
 クロードやアリスとも、もう会話が出来なくなるかもしれない。
 そう思うと、堪らなく恐ろしかった。

――でも、医者に診てもらって、何も問題が無かったら?

 医者を呼んでも、何も問題が無かった時。気が触れているのではないかと、クラウディアに思われてしまうかもしれない。
 そうなったら、彼女が離れてしまうだろう。そして、自分との婚約が破棄になれば、
 あの美しい少女に求婚する男は、大勢出てくる。彼女を失いたくはない。

 エドワードはベッドから抜け出した。一目散に机に向かい、燭台に立てた蝋燭に火を灯す。
 それから、引き出しから一冊の手帳とインク、羽ペンを取り出した。震える手で文字を書き連ねていく。
 一頻り書き綴った手帳を、エドワードは再び引き出しの中に仕舞い込んだ。
 この日を境に、彼は夜な夜な日記を、書き綴っていくようになる。


                 ◆

 夜も更けた頃。
 ベッドで横になっていたエドワードは、急に大きく瞼を開き、その身をゆっくりと起こした。
 カーテンの隙間から、青い月の光が差し込んでいる。その為、部屋の中は少しだけ、
 ぼんやりと明るい光で照らされていた。朗らかで、人の良い笑みを浮かべていたエドワードの目は、
 まるで蛇のように冷たい色を宿している。そのエメラルドグリーンの瞳からは、何の感情も伺えない。

 静かに扉が叩かれる。もう、使用人も睡眠を取っている時間帯だ。再度、叩く音がする。
 こんな時間、普通の執事ならする筈の無い行動をする者は、エドワードが知る限り一人しかいない。

「構わないぞ」

 そう言えば、ゆっくりと扉が押し開かれた。その向こうには、クロードが立っていた。
 燭台を持ってこちらを見ると、彼は深々と頭を下げる。同じ速度で体制を戻したクロードは、
 貼り付けたような笑顔のまま、唇を開いた。

「お加減は如何ですか」
「……目覚めることが、分かっていたような口ぶりだな」

 クロードは顎を引いた。

「勿論でございます」
「そうだな。おまえは、そういう奴だ」

 表情を幾らか和らげて、エドワードが小さな笑みを浮かべる。
 クロードが室内に足を踏み入れた。扉はゆっくりと、閉まっていく。

「最近、調子が良いんだ。もうそこまで、来ているからかもしれないな」

 嬉しそうなエドワードの言葉を、クロードは静かに聞いていた。話し方や話す時の表情は、
 あの頃から何一つ変わらない。エドワードがバルコニーへ向かう。その後ろをクロードが付いて歩いた。
 月の光が差し込むバルコニーで、夜風に髪を遊ばせる、エドワードの姿に、クロードはかつての姿を重ねる。

 あの銀色の髪を風に遊ばせ、此処では無い何処か遠くを見つめるあの姿を、思い返す。
 触れることはおろか、声を掛けることすら、憚られるような、凛とした佇まいをしていた。
 その姿は、まるで絵画から抜け出したような、呆気に取られる程の美しさに彩られていた。
 彼のあの低い声で、名前を呼ばれることが、どれほど嬉しいことだったか。

 やはり、この方が好きだと、クロードは改めて実感する。落ち着いた雰囲気を纏い、
 多くの者を惹きつける魅力。その強く美しい姿に心酔する者は、たくさんいる。
 クロードもそのうちの一人だった。

「おまえやアリスのお陰だ」

 けれども、その多く存在する、自分を慕う者の中でも、彼は特にクロードやアリスを、目に掛けてくれる。
 その二人に関しては、この男の冷徹で傍若無人な性質は鳴りを潜めるのだ。
 己を本来以上に過大評価する者には、彼はやや甘い傾向があった。

「その後、ノーフォーク湖の様子はどうなんだ」

 エドワードの質問に、クロードはすぐに答えてみせる。

「はい、不備もなく進んでおります。先日、シルヴェーヌ様がヒースコート様の巣へ向かい、
 そこにいた怪人鳥ハーピーの魔力結晶を、多く奪いました。
その成果もあり、恐らく皐月メイには、完璧に戻るでしょう。
しかし、ヒースコート様との戦闘は避けられず、ドルチェット様の報告によれば、現在シルヴェーヌ様は療養中とのことです」
皐月メイか。あと、二ヶ月だな」

 シルヴェーヌのその後には興味も無いのか、エドワードは小さくそう呟いた。
 ゆっくりと振り向くと、エメラルドグリーンの瞳でクロードを見つめた。

「ノーフォーク湖の変化、おまえ達の動きに勘付いている魔物も多い。如月ファヴリエの時に報告があった、魔将とかな」

 クロード。と、エドワードが凛とした声で名前を呼ぶ。

「シルヴェーヌ、ドルチェットの他、アベリーとノースもノーフォーク湖に配置しろ。
セオドアには、引き続きシェリーを監視するように伝えるんだ。それから……」

 と、珍しく迷うような顔をしていたエドワードが、やがて次の指示を出す。
 それらを全て聞いたクロードは、ゆっくりと腰を折った。



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