09
暖かな手の感覚があった。熱を測るように、額に置かれているのが分かる。
頬へ滑るように流れ、それからゆっくりと、名残惜しそうに離れていく。
目を開けた。住人の消えた空き家を借りて、休んでいたが、いつの間にか眠っていたらしい。
うっかり寝入ってしまう程に、疲労が蓄積されていたのだと気付く。
ふと見れば、リアトリスが隣で眠っていた。鞄を枕替わりに、横になって小さな寝息を立てている。
そういえば、何故か彼も森にいた。
ディックは、ふと、包帯の巻かれた額に手を当てた。誰かが触れていた気がするが、リアトリスではない。
あの感覚は、女性のそれだった。シェリーかとも思ったが、彼女特有の気配は無かった。
頬にガーゼ、腕にも包帯が巻かれており、これはリアトリスが有無を言わせずに行った、手当ての跡だ。
手当てなどしなくても問題ないと思い、それを彼に告げた途端、リアトリスに怒られてしまった。
リアトリスを起こさないように気を付けながら、そっと部屋を出た。ひっそりと静まり返り、灯り一つ無い町の中を歩く。
葉月とはいえ、グラスター山脈が近いからか、風は少し冷たい。
「……」
目を閉じる。夢を見ていた。
思い出す資格も権利もない記憶の夢だった。その中では、アレクシアもあの子供達も、みんな楽しそうで、嬉しそうで。
それを思い出すたびに、苦しくなる。あの日、ノーハーストの村が死に絶えた日。彼女達は、どんな思いを抱えて死んだのか。
そう考えると、息苦しかった。
――苦しむ権利なんて、ある筈がないのに。
訳も分からぬうちに、魔物のように恐ろしい形相で、村の男達に連れて行かれたのは、村の外れだった。
そこにはあの司祭がいて、彼の言葉一つで振り下ろされた刃物が、右目に刺さり、激しい熱と耐え難い痛みに襲われた。
その瞬間、湧き上がったのは紛れもない殺意だった。目の前にいる全ての人間に憎悪を感じた。
『何故――……』
事切れる前、アレクシアは何か言いかけていた。
目の前で緩やかに斃れ、雪の中に沈んでいく姿を、今でもはっきりと思い出せる。流れ出ていく彼女の血を吸い上げて、
まるで雪の中に、赤い花が咲いているようだった。
「……“何故、約束を破ってしまったの”……」
小さな声で、ディックは呟いた。
母さんを助けてやれる子にならなければ。母さんが安心出来る子でいなければ。
賢く、聡くなければ。そう、思っていたのに。
気付けば、ノーハーストの村は凍り付いており、生きている音も無くなっていた。
何かから逃げるように、背を向ける村人は全て凍り付き、村中には、柱のように氷が聳え立っていた。
そこに映っていたのは、イザベラを襲った魔物と同じ、赤い目をした自分の姿だった。
雪の中に倒れ、こちらを見つめるアレクシアの虚ろな目は、まるで、自分を責めているように思えた。
あなたが魔法を使わなければ。あなたが約束を、破りさえしなければ。なのに、何故あなたは魔法を使ったの、と。
あなたは何故……
「何故、約束を破ってしまったの」
アレクシアの翡翠色の瞳が、そう訴えているように感じた。
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