08
霜月も目前に差し迫ったある日。
「最近、どう?」
衣類の洗濯を手伝っていたディックに、アレクシアが微笑みながら声を掛けてきた。
「魔法なんて使っていないよ」
「それは分かるわよ。体調、崩していないものね。そうじゃなくて、バーズリーさんの所の息子さん達と、
仲良くしているんでしょう?」
「まあ、普通。……母さんは、なんか楽しそうだね」
そう言うと、アレクシアは柔和な笑みを顔いっぱいに浮かべる。
籠を土の上に置くと、優しい力でディックを抱き締めた。それから、両手で顔や髪に触れてくる。
「そうね、私も楽しいわ。あなたのこと、大好きだもの。可愛いあなたが楽しそうなら、
私もとっても楽しいし、とっても幸せだわ」
声を弾ませるアレクシアを見て、ディックは少し笑った。
洗濯物の入っていた、空になった籠を持って立ち上がると、「おおい」と呼ぶ声が聞こえてきた。
顔を向ければ、ヒューゴとイザベラがこちらにやってくる。その後ろからは、イザベラの一番上の兄が歩いていた。
聞けば、彼女とは一回り以上も年齢が離れており、アレクシアの方が、年齢が近い程だ。
「あら、フレッドさん」
フレッドの抱える籠の中には、野菜が詰まっている。
「アレクシアさん、良かったらどうぞ。今年はたくさん採れたから、お裾分けにきたんだ。
母一人、子一人で、色々と大変でしょ」
すると、アレクシアは小さな声で笑った。「いいえ」と笑顔でフレッドの言葉を否定する。
「この子がいつも、支えてくれますもの。不便なんて、感じたことはありません」
「それは、それは。頼り甲斐のある息子さんで」
彼女の言葉に、フレッドは苦笑交じりに笑っている。
「それでも、よろしいのですか? もうすぐ冬で、あなただって蓄えが必要でしょうに」
「遠慮なんていらないよ。冬を越す程度には、残っているからね」
フレッドはそう答えながら、頬を掻く。ヒューゴがニヤッとしながら付け足した。
「フレッドの兄ちゃん、見栄っ張りで、カッコつけなんだ」
「それはヒューゴだろう。こないだの牛追いだって、エラにかっこいい所を、見せようと……」
「うわああ!」
大人気なく言い返すフレッドの言葉を、遮ろうとヒューゴが大きな声を出す。
それを見て、小さく笑うアレクシアに、フレッドは小さく咳払いをした。
「本当に、気にしないで。蓄えが残っているのは事実だから」
「では、ありがたく頂きますね」
また小さな笑い声を残して、アレクシアがフレッドから籠を受け取る。
「ほら、遊びに行こうぜ」
ヒューゴは、出会った頃の刺々しさは何処へ行ったのか。収穫祭の後から、柔らかい雰囲気で構ってくるようになった。
最初は戸惑いを隠せなかったが、イザベラのことがなければ、根は素直なのだろう。
「手伝いは?」
そう尋ねると、ヒューゴは偉そうに指を振る仕草をした。
「今日は出なくていいんだよ」
「今日どころか、昨日も一昨日も、何もしていないけどね」
なんてイザベラに言われ、ヒューゴは「うるせえなあ」と小さな声で悪態を吐く。
そんな彼から目を離して、イザベラはにこにこしながら言った。
「お父さんも言っていたよ。ディックは、アレクシアさんのお手伝いだけじゃなくて、
村のお仕事も手伝ってくれる、すごくいい子だって。ねえ、フレッド兄ちゃん」
イザベラの言葉に、ヒューゴは少し面白くなさそうな顔をしていた。ディックは曖昧な笑みを浮かべたまま、何も言わない。
色んな町村を回って覚えたのは、町ではある程度距離を置いていても問題ないが、特に小さな村では、そうもいかないことだった。
村人がみんな親戚のような、強い繋がりを持っている。それ故に、村の行事や村人との関りを率先して行わなければ、
すぐに淘汰されてしまう。敵対心を持たれてしまえば、迫害されるまでの時間はあっという間だ。
そうした所には疎い母に代わり、ディックは何処へ行っても、彼女の分まで貢献した。
良い子でいなければいけない。そうでなければ、母を守ることは出来ない。
居場所を保つことが出来ない。弱い自分には、そういうことでしか、彼女を守る力が手に入らない。
「私、ディックみたいに、文字が読めるようになりたいな」
そんなイザベラの言葉に、ディックははっとした。会話の内容は、いつの間にか勉学のことに変わっている。
「おまえ、まだそんなこと言ってんの? 字の読み書きが出来なくったって、生きていけんだろ」
「あら。文字が書けるようになったら、良いことだってたくさんあるのよ」
「おれも、文字を教えて欲しいな」
本心からそう思ったのか、ヒューゴを後押しする為にそう言ったのかは分からないが、フレッドがそう言った。
それを皮切りに、イザベラも手を上げる。そして、最後には結局、ヒューゴも教えを請うた。
アレクシアの青空教室は、その次の日から始まった。彼女の教え方は分かり易く、面白く、その評判はたちまち村中に広まった。
やがて、文字の読み書きだけではなく、簡単な計算式も彼女は噛み砕いて、丁寧にゆっくりと教えていた。
霜月に入った頃には、彼女の周りには、子供だけではなく、時間を見つけた大人までやってくる始末だ。
「ねえ、アレクシアさんのこと、クシー先生って呼んでもいい?」
そう無邪気に尋ねてくるイザベラに、アレクシアは「勿論」と微笑んで返した。
木枯らしの寒さも冷たさも感じさせない程に、アレクシアは暖かく、村人達に慕われ始めていた。
冬の陽だまりのように、彼女の周囲はいつも優しい雰囲気で包まれていた。
しかし、ノーハーストの村が、凄惨な最期を迎えるのは、これからおよそ三カ月後。
睦月の金盞花の日だ。
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