06
その日は、朝から寒い気温であった。この一週間で、ノーハーストの村は一気に活気付き、村中が飾り付けられていた。
紅を差したように色付く木々や、村の家々には橙色の布がつるされている。ノーハーストの村の中心部には、
人の腕程の太さの丸太を、何本も編み込むように組み合わせて作られた、比較的大きな囲いもあった。
恐らくは、此処に牛を放すのだろう。
「これねぇ、みんなで作ったんだよ。もちろん、あたしもちょっと手伝ったんだから。
なんて、殆どお父さんとお兄ちゃんの足手まといだったんだけど」
えへへ。と、苦々しい笑みを浮かべて話すイザベラから目を離し、ディックは此処から少し離れた、丸太で作った質素な台座にも目を向けた。
幾つか籠が置かれており、そこには麦や木の実などが、こんもりと盛られている。
「アレクシアさん。今日は、お祭りに来てくれてありがとうね」
「いえ。それにしても、雰囲気が賑やかですね」
「年に一度のノーハーストの祭りだからな。そりゃあ、みんな熱が入るってもんさ」
この村に来て一週間。だいぶ、村の雰囲気にも慣れてきて、アレクシアもバーズリー夫妻や、イザベラの両親など、
他の村人とも愛想良く話している。もともと彼女は、人と打ち解け易い女性だった。
「こんなお祭りに参加するのは、初めてです」
「ん? 今までいた町で、祭りはなかったのかい?」
バーズリーの質問に、アレクシアは「ええ」と頷いた。
「お祭りの準備も、今まで一度もしたことはありませんでした。
とても大変でしたが、大勢で何かを準備したり、作ったり……楽しかったです」
そう言って微笑むアレクシアに、ヘレナ夫人が大きな声で笑う。そして、彼女の細い肩をとんと叩いた。
「それで満足してちゃダメだよ、アレクシアさん。今日の目玉は、牛追いなんだから」
アレクシアの隣で、ぼんやりと囲いを眺めながら、ディックは大人達の会話を聞いていた。
これまでに訪れた町村の滞在日数は、早ければ七日。遅くとも、一ヶ月経つ頃には、ひっそりと出ていた。
その為ディックも、こうしたものは初めてだ。こんなに活気付いて、村中が楽しそうな雰囲気に包まれるのを見るのは、不思議な感じがした。
「一番の目玉は、ウシを追いかけることだな。
この枠の中で、暴れるウシをみんなで追い詰めていくんだ。うちの倅も、今回は参加するって意気込んでてな」
アレクシアが苦い笑みを浮かべた。
「怪我人もたくさん出ると、お聞きしましたが……」
「なあに。ヒューゴももう十二歳だ。それに、切り傷擦り傷なんざ、男の勲章ってもんだろ。
唾付けときゃ治る、治る」
彼女の不安を他所に、バーズリーは豪快に笑った。
「おめえもどうだ」
急に話を振られて、ディックは戸惑った。アレクシアが、はっとした顔をして、庇うように、両肩に手を乗せてくる。
言い淀んでいると、バーズリーが「まあ、」とまた笑った。
「見てみねえと、どんなもんか分かんねえし、即答は出来ねえか。それに、もっと肉付けねえとすぐ吹っ飛ばされちまうなあ」
「そうですね。ご遠慮します」
勝手に結論付けたバーズリーに、これ幸いとそう答えた所で、ヒューゴが走ってくるのが見えた。
「おう、ヒューゴ。今、おめえの話をしてた所だ」
「んだよ。また、聞き分けがねえとか、愚痴ってんのか」
舌打ちをしそうな程、苛々した顔をするヒューゴに、バーズリーは慣れた様子で笑った。
「いやあ、おめえが頼もしいって言ってたんだ」
「ふん、親バカかよ。それより、」
と、ヒューゴがディックを睨んでくる。
「おまえ、逃げんなよ」
「おや。牛追いに参加するの?」
夫人の問いに、ディックは首を横に振る。それを見て、ヒューゴが眉を上げた。
「おまえ、逃げんのか!」
「逃げるも何も……参加するなんて、言ってないよ」
一方的に熱くなるヒューゴに、冷静に返せば、彼はまた、「けっ」と吐き捨てた。
「臆病者!」
「ヒューゴ!」
すかさず、バーズリーが叱り付けるも、ヒューゴは囲いの入り口へと走っていく。
大きく溜息を吐いたバーズリーは、その呆れた顔のままディックを見た。ふっと表情を和らげる。
「来年は、参加してくれよ。おまえさんなら、充分参加出来る年齢だしな」
「年齢制限があるのですね」
アレクシアが、緩やかに首を傾けながら言うと、夫人が頷いた。
「もちろん。幼い子と女の子は参加させないよ。そうだね、だいたいヒューゴくらいから、参加が認められるのよ。
あの子は、ずっとこの祭りを楽しみにしててねえ」
朗らかに笑う夫人は、微笑ましいものを見るような目で、イザベラを見た。
「きっと、エラに良い所を見せたいんだろうねえ」
「ええー」
イザベラが反応に困るように、愛想笑いを浮かべている。それを見て、ディックは「ああ、そうか」と気付いた。
此処に来たばかりの頃、彼女が自分に構っていたことに、ヒューゴは嫉妬していたのだ。
それがずっと尾を引いているらしい。
しかし、今の所はどうやら、ヒューゴの片思いのままのようだ。
準備が出来たと呼びに来た村人に連れられて、バーズリーが離れていく。
イザベラがにこにこと微笑みながら、ディックの隣に立った。
「牛追いは、ほんとすごいんだよ。牛の勢いも、追いかけるみんなの気迫も、とってもすごいんだ。
ちょっと怖いけどね。若い男は参加するっていうのが、村の決まりだもん。だから、ディックも来年は頑張らなきゃね」
ノーハースト村で暮らす男が、牛追いに参加するのは暗黙の了解らしい。
今回、ディックが強制されなかったのは、此処に来て間もない為だろう。
――来年の今頃にはいないから、どっちにしろ関係ないな。
冷めた翡翠色の目で、ぼんやりと囲いの中を眺めていると、突如大きな声が上がった。
見れば大きな牡牛が、放たれている。それを見て、囲いの中に入っていた男達が騒いでいたのだ。
それを見て、イザベラが歓喜したように手を叩いた。
[ 100/110 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]