05
「おい! おまえ!」
井戸の水を桶に入れていた時。ディックは後ろから、そう怒鳴られた。
この幼稚な呼び声には覚えがある。振り向けば、案の定ヒューゴが立っている。その後ろには、呆れ顔のイザベラがいた。
初めて顔合わせをしたあの日から数日。ヒューゴは、何かにつけて張り合おうとしたり、突っかかって来ることが多かった。
そんなヒューゴは、今日もずんずんとこちらに近付いてくる。眉を吊り上げ、敵意を感じさせる程の強い眼差しをこちらに向け、
「来週、収穫祭を開くんだ」
何を言うかと思えば、彼はいきり立ちながらそう言った。
「そこで一番の目玉は、村の男のほとんど参加する、牛追いだ。暴れながら逃げる牛を追いかけながら、
叩いて殴って倒すんだ。わざと、身を危険に……危険にサラすことで、ユーカンだということを……
し、ショーメイ! ショーメイするんだ。怪我人は毎年続出だけどな」
「ちなみに、倒れた牛は、最後にみんなで焼いて食べるんだよ。一年に一回のご馳走でね。おいしいんだぁ」
補足するように、イザベラが言う。
何が言いたいのか容量を得ず、ディックが不審な顔をしていると、ヒューゴはこちらに人差し指を突き付けてきた。
「おまえが、どうしてもオレ達の仲間に入りたいってんなら、度胸試しと行こうぜ」
別に、入りたいわけじゃないけどな。と、思いながらもディックはヒューゴの話に耳を傾けてやる。
「その牛追いで、暴れ牛に攻撃出来たら、おまえはオレ達の仲間だって認めてやる。
オレも参加するから、勝負だかんな! 逃げんなよな!」
一方的に、捲し立ててくる。ヒューゴは、言いたいことを言って満足したのか、「エラ、行くぞ」と来た道を引き返していった。
呆気に取られていたディックに、イザベラが申し訳なさそうな顔をしながら、
「ごめんね」
と、謝ってくる。
「ヒューゴってば、いつも勝手なの。でもね、そういう度胸試しとか抜きにしても、お祭りは楽しいから。
来たばっかりで、よく分からないかもしれないけど、すごく盛り上がるから、良かったらあなたも、見に行こうよ」
イザベラは両手の指を合わせながら、無邪気に微笑んでそう言った。
その日の夕食時。静かに食事を摂っていたディックに、蝋燭の灯りを挟んで、座っていたアレクシアが、
「来週、お祭りがあるんですって」
そう言ってきた。固いパンを千切りながら、「みたいだね」と返事をする。
「村長さんの子が言っていたよ。収穫祭だって」
「とても、盛り上がるみたいだけど、あなたも牛追いに、参加してみたい?」
「いや、別に」
緩やかに首を振ると、アレクシアは安心したように微笑んだ。
「そうね。怪我をする人も、毎年いるみたいだもの。……危ない真似は、引っ越しの時だけで充分だわ」
「……」
アレクシアの次の言葉には何も返さず、一口サイズにパンを千切りながら、黙々と食べる。
「あのね……」
「うん。人前では使わないから、大丈夫」
はっきりとディックは答えた。彼女の言いたいことは分かる。
先回りをするように、そう答えると、アレクシアは表情を和らげた。
「そうね。あなたのことだから、大丈夫ね」
信用されているのだということは、ひしひしと伝わってくる。
『利発な子ですね』
『親思いの良い子だ』
何処の町村に行っても、必ずそう言われてきた。事実、ディックはアレクシアをよく支え、助け、彼女の言うことにはよく従った。
利発で、良い子で、親のことをよく助けられる、そんな子供でなくてはいけない。そう、律していた。
女手一つで子供を育てることが、どれだけ大変なことか。ディックは彼女の姿を見ていて、よく理解している。
必要以上に苦労をかけたくないというのは、根底にあった。
――だから、僕がしっかりしなければ。
――僕が、母さんを守らなければ。
「どうしたの?」
アレクシアの声に、ディックははっとした。顔を上げると、不安そうな翡翠色の目で、こちらを見つめている。
「大丈夫? どこか、具合悪いの?」
「ううん。そんなことないよ」
首を横に振ると、
「それなら良かった。でも、何かあったらすぐに言うのよ」
安心したように微笑んだアレクシアは、他の女性のように、口を大きく開けて、笑うことのない人物だった。
その優しい笑顔を、いつまでも、傍で守っていきたかった。
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