04
司祭のいる教会を後にした、更に翌日。
アレクシアは、バーズリー夫妻と共に、ノーハーストの村人達への挨拶周りに出かけていた。
ディックも同行するつもりだったのだが、
「病み上がりなのだから、今日はゆっくりしていてね」
そう言われてしまったのだ。
そんなに長居することは無く、親しい友人を作ることもしないので、一人の時間には慣れている。
この家には、ルーク教の在家信徒が暮らしていたのか、ウィル司祭が持っていたものと、殆ど似たような聖書が一冊あった。
宗教本には、あまり関心が無かったが、アレクシアが戻るまでの時間潰しにはなる物だ。
暗い室内よりも、陽の差す外の方が読み易いので、ディックは家の前の石階段に腰を下ろし、少しずつページを捲っていた。
ウィル司祭から教わったルークの従者は、確かにライリーやオリヴィア、セスの名がよく登場した。
ライリーはルークに志願する形で自ら命を絶ち、ルークは聖剣で幼い王を打ち倒した。
その隣の頁には、剣を高々と掲げたルークと、その足元に倒れ伏す幼い子供。そしてルークを崇めるように、
膝を着く従者達の絵が描かれている。そこでディックは、教会という神聖な場所で嘔吐してしまったことを思い出す。
――最悪だ。
すっかり気落ちしてしまった時。
「こんにちは!」
そんな挨拶と共に、急にページに影が差した。
顔を上げれば、初めて見る少女がこちらを見下ろしている。人懐っこそうな、朗らかな微笑みを浮かべた少女だった。
跳ね癖の付いた、飴色の髪の少女は、目が合うと改めて微笑んで、当たり前のように隣に腰を下ろしてきた。
「あなた、昨日越してきた人だよね。ヒューゴと、ウィル様から聞いたんだ」
ヒューゴという名前に、ディックは首を捻る。そして、思い出した。
そういえば、村長夫妻の息子が、そんな名前だった。
「ディックっていうんでしょ。あたしイザベラ。みんなは、エラって呼ぶんだよ」
このように声を掛けてくるのは、最初だけだ。他所から来た人間が、単に珍しいからだ。
またすぐ他所へ移るのに、仲良くする意味はあるのだろうか。この頃には、既にディックはそんな考えを抱いていた。
声を掛けられたら、ちゃんと返事をする。当たり障りの無い言葉を返し、必要以上に距離を近付けない。
これまでの町村でも、ディックはそのように過ごしていた。一箇所に長居することはないのだから、必要以上に仲良くすることもない。
一方的に喋っていた、イザベラというその少女は、ディックが読んでいた本を覗き込んだ。
「ぎっしり文字が書いてあるけど、文字読めるの?」
「一通りは、読めるよ。難しい単語とか、分からない所もあるけど」
「へえ、すごい! あたしは、全く読めないから。何を読んでいるの?」
「……聖書だよ」
そう答えると、イザベラは大きな茶色の目を更に丸くさせた。
「ウィル様から、貸してもらったの?」
「違うよ。この家に置いてあったんだ」
「ふうん。でも、そんな難しい本が読めるなんて、すごいねぇ」
感心したように頷いていたイザベラは、「あっ」と声を上げた。
「ねえ。ディック、ヒューゴにはもう会った?」
無遠慮に近付いてくるイザベラに、僅かな拒否を示す為、ディックは身体を離しながら、「いや」首を横に振る。
見かけはしたが、言葉を交わしてはいない。「それじゃさ」と、イザベラは両手でディックの手を引っ張って、立ち上がらせた。
「それじゃあ、紹介するよ。こっち、こっち」
やや強引に、引っ張られるままに、ディックはイザベラに連れられて家から離れた。
その手を振り払うことも出来たがそうしなかったのは、後になってから思えば、彼女の幼く無邪気な雰囲気と強引さに、飲み込まれてしまったからだろう。
そうして、イザベラが連れてきたのは村の中心部だった。
「ヒューゴ!」
イザベラが声を上げれば、一人の子供がこちらを見た。その少年の顔には見覚えがある。
昨日、こちらの様子を伺っていた、ヒューゴという少年だ。木の枝を手持無沙汰に弄りながら、井戸の淵に座っていた。
イザベラの声に、勢いよく立ち上がったヒューゴは、こちらを見て、イザベラの隣にディックがいることに気付くと、途端に顔を顰めた。
「あ、ごめんね」
手を繋いだままだったことに気付き、イザベラがそっと手を離す。それから、ヒューゴのもとへ駆け寄った。
「ほら。ディックを連れてきたよ。気になってるんでしょ」
「エラ、おまえ、余計なことすんなよ」
ヒューゴが顔を顰めるのを、イザベラが顔を近付けて言い返す。
「あんたが、ウジウジしてたから、あたしが連れてきたんだよ。
気になるなら、喋ればいいじゃない。そしたら、仲良くなれるじゃない」
勝気な態度でそう言い放っている。
その態度に、ヒューゴが面食らっているのを見て、ディックは一瞬で、この二人の力関係を把握した。
「紹介するね、ヒューゴっていうの。村長さんとこの長男坊なんだよ」
と、イザベラが笑顔で紹介してきた。
しかし、彼女の意思とは裏腹に、ヒューゴだけは、敵を見るような目で、こちらを睨むように見つめてくる。
そんな彼の表情に気付いていないのか、敢えて無視しているのかは分からないが、イザベラは一人で喋っていた。
「……それで、ディックは文字が読めるんだって。すごいよね」
その言葉に眉を上げて、ヒューゴは「けっ」と悪態を吐く。
「オレだって、簡単な単語くらいは読めるし。種まきの時期とか、食べられる茸だって見分けられるんだぞ」
「でも、ヒューゴはいっつもお手伝いサボってばかりじゃない。修繕作業の時も、遊んでばっかりだったし」
笑いながら言うイザベラに、痛い所を突かれたらしく、ヒューゴは罰が悪そうに顔を顰めた。
しかし、険悪な雰囲気には不思議とならず、イザベラが別の話題を口にする。
「ノーハーストに住む人は、殆どが大人なの。だから、子供はとっても少ないの。
ヒューゴでしょ、あたしでしょ。それから……」
数人の名前を挙げて、イザベラはにっこりと微笑んだ。
「でも、みんな野良仕事で忙しいから、殆どあたしとヒューゴで、遊ぶことが特に多いんだ。
あたしの家も農家だけど、お姉ちゃんお兄ちゃんがいっぱいいるから、……えっと、あまり家にいなくてもいいって、
大目に見てもらってるし、ヒューゴはサボり魔だし……だからね、友達が増えるのすごく嬉しいんだ」
朗らかに笑うイザベラの隣で、ヒューゴはぶすっとした顔のままだ。
「オレは嬉しくねえけどな」
「もう! ヒューゴったら、またそんなこと言って。なんで、そんなことばっかり言うの?
いい加減にしないと、あたし、本当に怒るよ」
眉を吊り上げるイザベラに、ヒューゴはますます面白くなさそうな顔をした。
わざとらしい程に、舌打ちをすると、
「勝手に怒ってろよ、バーカ!」
幼稚な悪態を吐きながら、何処かへ走り去ってしまった。
「ごめんね、ディック。ヒューゴったら、短気で怒りんぼなの」
「気にしなくていいよ」
ディックはかぶりを振った。
――無理に仲良くなる必要はない。どうせ、すぐにまた村を離れるんだから。
そう思っていたが、アレクシアとディックが、二人揃って村から出る日は、二度と訪れることはなかった。
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