02
来る如月の雛菊の日。ホーストン邸の厨房は慌ただしく動いていた。
時間は夜も更け、普段なら寝静まっている頃合だ。その奇妙な時間に開催される、
晩餐会に招待された客人達、計十名の夕食作りに追われているのだ。しかし、エドワード本人から、
「誰も来るな」
と、命令をされている。数年程前から、毎年顔も分からぬ客人を招いた晩餐会を、開くようになった。
そして、その際彼らの給仕や案内を務めるのは、いつも執事のクロードと、メイドの二人だけだ。
十種類程の料理を、手を休めることもなく作り続けるのだが、大食漢でも招かれているのか、
いつも招待人数以上の量を作る必要もあった。この日は、全ての使用人が応接間や食堂、
そして玄関ホールにさえ立ち入ることを、固く禁じられている。何人たりとも、そこに近付くことさえ許されない。
厨房が慌ただしく動いているその時。ホーストン邸の応接間には、十名程の招待客が待機していた。
膝丈の黒のパーティードレスを纏い、真珠のイヤリングを付けたアベリー。黒いスーツに身を包み、
チェックのベストに袖を通すノース。相変わらず、鎖で縛られている。そして、ワインレッドのドレスを装った女性は、
静かにソファーに腰を下ろしており、その隣に座りながら、そわそわと室内を見渡しているのは、アベリーよりも小柄な少女。
ピンク色のパーティードレスに、白いレースの上着に袖を通していた。窓際には、深緑色のコートと、
茶色いマフラーを巻いた、鷲鼻の老人。他数名。皆一様に、耳が尖っていたり角が生えていたりと、
人では有り得ない姿をしていた。
やがて、応接間の扉が静かに開閉し、クロードとエドワードが、室内に入ってきた。
クロードが深々と腰を折り、同じ速度で体制を戻す。クロードが静かに口を開いた。
「皆様、大変お待たせ致しました」
そう言って室内を見渡す。その隣で、エドワードが近付いたのはアベリーだ。
椅子に腰を下ろし、背凭れに腕を乗せていたアベリーの前で、静かに膝を着く。
そして、品の良い笑みをその顔に浮かべ、ゆっくりと手を差し出した。
「ご案内致します、レディー・アベリー」
アベリーはクスリと笑い、エドワードの大きな手を取って立ち上がる。
流れるような仕草で、腕を彼の腕に巻きつけた。それを見て、床に寝そべっていたノースが立ち上がり、
手足を地面に付けたまま、一緒に歩き出す。ゆっくりと、大きな尻尾を振っていた。
そうして、残った魔物達はクロードに一人ずつ食堂へと案内された。
白い天井からは、美しい花の装飾が施されたシャンデリアが、二つぶら下がっている。
その下には、長方形のテーブルが鎮座しており、白いテーブルクロスが敷かれていた。
対面席ごとに、一枚の上質な長い布が、置いてあった。その上には、カトラリーが陳列している。
色取り取りの花が活けられた花瓶と、三本の蝋燭を立てられる、蝋燭立てが幾つか置かれていた。
魔物達は律儀にも、其々指定された席に腰を掛ける。アベリーの真横にはノースがいた。
この並びは毎年同じだ。ノースは、アベリーの言うことしか聞かないからである。
主催者の席には、勿論エドワードが腰を下ろす。
そして、静かに晩餐会が始まった。
「失礼致します」
と、銀髪のメイドがエドワードのグラスに、瓶の中身を注ぎ始めた。
「アリス」
「はい。ご主人様」
顔色一つ変えずに、アリスはアベリーから順に、時計回りに席を回る。一人ずつ、「失礼します」と、
抑揚の無い声で言いながら、機械染みた一寸の狂いもない動きで、グラスに瓶を傾けていく。
不敵な笑みを浮かべながら、アベリーはエドワードに尋ねた。
「人の血じゃないのね」
「ただのワインだ、アベリー」
そんなアベリーに、エドワードは柔和な笑みを浮かべて、穏やかに返す。
アベリーはクロードを一瞥して、そしてエドワードを見て小さく笑った。
「あら、残念」
ノースは自身のグラスに注がれたワインに鼻を近付け、その香りを嗅いだ。それから、
くしゃみのように鼻を鳴らして、小さく唸った。アリスは、その隣に腰を下ろしていた、
白いスーツの男のグラスにも、ワインを傾ける。そうして、最後に、ワインレッドのドレスに、
身を包んだ女性のグラスをワインで満たし、アリスはサイドテーブルにワインを置くと、
一礼して食堂から一旦出て行った。
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