07


 激しい鼓動を鳴らす心臓に手を当てて、アベリーは平静を取り戻そうとした。

――上手く行く筈だった。実際、上手く行っていたもの。

 ノースとの戦闘に集中させ、アベリー自身への警戒を怠らせた。
 その間に、あの混血ハーフブラッドの精神へと、アベリーは自分の意識を潜り込ませる為に、
 布石を打った。予め戦闘になるだろう場所に、自分の魔力を染み込ませていたのだ。

 それは、自分の特権であった。対象の意識や精神の中に、潜り込み、悪夢を探す。
 大抵、悪夢に取り憑かれた者は、アベリーの観せる夢の中で精神を壊し、生きながらに死んでいく。
 とはいえ、今回は彼とシェリーの出会いを探る為に、過去を遡っていた。

――でも、まさかシェリーが出てくるなんて。

 膝を付き、追い詰められたような顔で、震駭する彼の傍に、シェリーは突然現れた。
 いつから潜り込んでいたのか。いや、ずっと以前から、一緒にいたのだろうか。
 シェリーは、混血ハーフブラッドの影から姿を現したのだ。
 幻影だと思ったが、彼女が放った炎は本物だった。あのまま逃げなければ、焼き殺されていた。

 そうして、アベリーがノースと共に戻ってきたのは、オレアンからずっと離れた荒野だった。

 青い顔をするアベリーを気遣い、ノースが暖かい舌で顔を舐めてくる。そんな彼の頬を撫でて、
 ようやくアベリーは落ち着いた。少ししか見えなかったが、その垣間見えた過去が、
 混血ハーフブラッドの悪夢足り得るものであったこと。それが分かっただけでも、大きな収穫だ。

「如何でしたかな」

 いつの間にか、すぐ側に鷲鼻の老いた男が立っていた。
 緑色のコートを纏ったその男は、人の良い笑みを浮かべ、こちらを見つめてくる。
 好々爺のようなその笑みに、アベリーは事のあらましを告げた。

                   ◆

「ごめんね、ディック」

 オボロが戻ってきたディックに、最初に掛けた言葉は謝罪であった。
 本当に、申し訳なさそうな顔をして、オボロがそう言うのを見て、ディックはかぶりを振る。
 リアトリスが丸椅子の上で胡座を掻きながら、スプーンを咥えたまま言った。

「でもさ。オボロのおっちゃんも、魔物にしてやられたんだろ」
「うーん。でも、魔物がこんな手の込んだことをするなんて……
これから、本当の依頼なのか、疑ってしまうよね」

 腕を組んで悩み出すオボロに、リアトリスが言う。

「でも、そればかりは行ってみなくちゃわかんねぇしさ。あんまり、気にし過ぎねぇ方がいいと思うぜ」

 慰めるようにそう言って、リアトリスは隣に座るディックに、「なあ」と呼び掛けた。

「うん」

 そう返してくるが、どこか上の空だ。リアトリスはそれが少し、引っ掛かる。
 オレアンから、シェリーと一緒に戻ってきてから、ディックはぼんやりとしていた。
 こうして一緒にいても、何処か遠くにいる感覚に陥ってしまう。
 リアトリスは小さく肩を竦めると、いつも以上に力を込めて、彼の肩を強く叩いた。

「おい、ちゃんと聞いてんのかよ」

 そこでディックは、はっとしたような顔をする。
 それから、リアトリスを見て曖昧な笑みを浮かべた。

「うん。ちゃんと、聞いてたよ」
「本当かよー」

 疑心的な目を向けると、ディックはまた曖昧な笑みで返す。そこで、ティナが話題に首を突っ込んできた。
 無邪気な笑みを浮かべ、内容も理解していないだろうに、

「ディック、うそ、ついている、ですの」

 なんて口を挟んでくる。笑顔を浮かべながら、ティナは続けた。

「でも、ぶじで、よかった、ですの」

 その言葉には、リアトリスもオボロも同意する。ディックは曖昧に微笑んで返し、
 暗く沈んだ目を、再び虚空に向けた。



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