06
ディックの視界を、覆う手があった。
その冷たい温もりと、その香りから、硬直していたその心臓が、徐々に落ち着きを取り戻す。
震える手を伸ばして、視界を隠す黒い手を掴んだ。嗚呼、この手は……
「何も見るな。何も聞くな」
その声を聞いただけで、ディックは限りなく安心出来た。
早鐘のように鳴っていた心臓が、落ち着いていく。シェリーの声が、響いた。
「おまえは、あたしだけを見ていればいい」
「シェリー……」
安堵の息と共に、やっとのことで名前を呼ぶ。すると、
「大丈夫か?」
凛と澄み切った声が返ってくる。
ディックがゆっくりと手を離せば、そこは崩壊したオレアンだった。あの村ではない。
そして、振り返れば確かにシェリーがいる。いつもの、黒いマーメイドドレスと白いファーに身を包み、
そこに立っていた。その佇まいは、魔将としての風格を漂わせている。
「ああ……油断した……」
そう答えながら、ディックは立ち上がった。そして、シェリーの見据える先を見る。
彼女が冷たい視線で、睨み付けているのは、アベリーとノースだった。ノースは威嚇する様に、
牙を剥いて唸り声を上げながらも、少しずつ後退していた。尾は垂れ下がり、耳は伏せていた。
ディックはそこで、先程まで立ち込めていたアベリーの魔力が、シェリーの強大な魔力で、塗り替えられていることに気付く。
「おまえ、何をしようとした?」
冷え切った声で問い質すシェリーに、アベリーは唇に笑みを浮かべてみせた。
「お兄さんとあなたの出会いが、知りたかっただけ」
威嚇し続けるノースを、宥めるように撫でながら、アベリーはそう答えた。
その言葉に、シェリーは鼻を鳴らす。
「他人が無粋に入り込んでくるな」
「そうね、ごめんなさい。あ、でもお兄さん。一つだけいいかな」
アベリーは無邪気な笑みを浮かべ、明るい声で尋ねた。
「お兄さんって、もしかしなくても、大切な人を殺しちゃったの?」
その言葉に、ディックが動揺した。
表情を失ったディックと、今にも殺しに掛かりそうな顔をする、真っ赤な目のシェリーを見ても、
アベリーはその余裕ぶった笑みを、崩すことはなかった。しかし、シェリーから青白い炎が噴き出した瞬間。
アベリーは怯んでしまった。離れていても、凄まじい熱風が襲いかかる。ノースが素早く駆け出し、
近くに転がっていた遺体を咥えると、大きく放り投げた。シェリーの放った青白い炎は、
その遺体を包み込んで焼却する。その間に、アベリーは足元に黒い水溜まりを出現させ、
ノースを連れて、水溜まりの中へと沈んだ。どんどんと、炎の熱気や音が遠くなる。
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