03
――何か、食べているのか?
不意にその青年が、こちらに振り向いた。口の周り、首元などが赤黒く染まっている。
黒い獣の耳を、小刻みに動かしながら、彼は口の周りを、ペロリと伸ばした舌で舐めた。
そして、姿勢を低く構え、歯を剥き出して、琥珀色の瞳でこちらを鋭く睨みつけてくる。
まるで、獣のような唸り声を上げた。
チャリ……と、冷たい音が鳴った。青年の身体を縛り上げる、土に付いた重たい鎖が、
引き摺られることで鳴ったのだ。眉間に皺を寄せて、今にも飛びかかってくるような、
そんな雰囲気を青年は纏っている。
ディックは魔剣を引き抜いた。それとほぼ同時に、青年が四足歩行でこちらに走ってきた。
大きく伸びた四本の牙で、ディックに噛み付こうとする。ディックは魔剣を構えて、
青年の開いた口を、魔剣の峰で叩きつけた。イヌのような悲鳴を上げる。地の上を滑りながらも、
青年はすぐさま起き上がった。唸り声を上げながら、ゆっくりとこちらとの間合いを測っている。
その青年が再び飛び掛ってきたのを、ディックは土を蹴り飛ばし、その頭上を飛び越えることでかわす。
綺麗に着地したディックは、青年が貪り食っていたものに目を向けた。人間の遺体だった。
顔も体も、その殆どが食い千切られており、損傷が激しい。
低い声で唸り続けていた青年が、ゆっくりと黒い尾を振った。そして、低い態勢から少しだけ上半身を起こす。
背後から強い魔力を感じて、ディックは魔剣を握ったまま振り向いた。
高い位置で、濃紫色の髪を二つに結った少女――アベリーが歩いてくる。
彼女は、ディックを見ると、にっこりと微笑を浮かべた。
「お久しぶりね、お兄さん」
子犬のような鳴き声を上げて、青年が四足歩行でアベリーへと駆け寄っていく。
アベリーはその場にしゃがみ込んだ。青年が、緩やかに尾を振っている。
「ノースってば、随分食べ散らかしたわね」
そして、まるで大型犬と戯れるように、ぐしゃぐしゃと彼の黒髪を撫で回す。
「もう、食い意地張っているくせに、好き嫌いが激しいんだから。ちょっと齧って、好みの味じゃなかったら、
そのままにしてたんでしょ。この辺り、酷い臭いだわ。残さず食べなさいって、いつも言っているじゃない」
アベリーの言葉に、ノースはまるで謝罪するように小さな声で鳴く。
もう一度、ノースの頭を撫でてから、アベリーは立ち上がる。
「ねえ、お兄さん。アタシのこと、覚えてる?」
「……この町を壊したのは、おまえか?」
ディックの問いに、アベリーは小さく微笑んだ。
「アタシの質問には、答えてくれないのね」
そう言いながら軽く肩を竦めて、アベリーは「でもまあ、良しとしましょう」と笑う。
「滅ぼしたのはアタシじゃないわ。シルヴェーヌに追い立てられた魔物が、
通りすがりに襲ったんでしょ」
アベリーはゆっくりと歩いていく。その後ろを、ノースが付いて歩いた。シルヴェーヌという名前に、
ディックは眉を潜める。少し離れた場所で、足を止めたアベリーは、両手を後ろで組みながら振り返った。
その傍らには、ノースが座った。
「あいつは、アナタを殺せだとか様子見ろだとか、何とかかんとか言ってたけど。
実はアタシ、あまりシェリーを怒らせたくないの。悪いけどアタシは、他の奴と違って、
あいつの為に死ぬつもりはないから」
それでもね。と、アベリーは続けた。
「何故、魔将の地位にいるシェリーが、アナタみたいなのを側に置いているのか。
アタシもね、それは気になるの」
ディックを見て微笑みかけてくる。ティナのように、無邪気で屈託の無い笑顔だった。
けれども、そこに薄ら寒さを覚えて、ディックは警戒心を強くする。
ノースがアベリーと一緒に、ひたりとこちらを見つめてきた。
「だから、教えてよ」
急に少女の顔から、大人の色香を纏った笑みを、アベリーが浮かべた。
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