06


「そうだね。三日くらい、掛かるんじゃないかな」
「そんなに遠いんだ。馬がいれば、楽なのにね。でも、いいなあ。
色んな所を回れるんだもん」
「家族がいて、安心出来る居場所がある方が、良いと思うよ」

 そう返せば、リタは「ううん」と唸る。

「うん、それは分かってるんだけど。でもあたし、ずっとベルボーンにいるから。
たまには、違う町にも行ってみたい。だから、あたし頑張ってお金貯めるんだ。それで、
お兄ちゃんと一緒にね。世界中を旅するの。あ、お土産をお父さんに買ってあげなきゃ」

 リタが語るものは、子供らしい夢だった。可愛らしい、夢物語だ。
 リタは無邪気な笑みを、ディックに向けてきた。

「お父さんに喜んでもらうんだよ」

 その笑顔を見て、ディックはあの少女の笑顔を思い出す。

――いつか、みんなで冒険しようよ。
――あなたがいれば、大丈夫だもん。

 気の強い少女で、意志が固い少女だった。

「お兄さん、聞いてる?」

 リタの言葉で我に返ったディックは、小さな笑みを浮かべる。
 しかし、目は笑うことを反発して、唇は不自然に歪み、ぎこちない笑みだった。

「お兄ちゃんと一緒に旅に出るのが、あたしの夢なんだよ」
「いつか、叶うといいね」

 所詮他人の夢物語だ。否定するでも肯定するでもなく、ディックは上辺だけの言葉を送った。
 子供の描く絵空事の夢など、叶う筈もない。実際、あの子達の夢は叶わなかったのだ。

                    ◆

 薄くて冷たい布団に車って眠っていたディックは、右の頬に冷たさを感じた。
 そのひんやりとした感触で、現実に連れ戻され、ディックはゆっくりと目を開けた。
 そして、その状態で固まってしまった。

 顔は黒く影が掛かっていて見えないが、何故だか覗き込むように見下ろしていたのは、
 母だと分かった。ばさばさの赤茶色の髪が、ディックの顔に垂れ下がってくる。
 すぐ目の前に母の顔があった。身体をくの字に曲げ、こちらを覗き込んでいた。
 呼吸をすることさえ忘れて、ディックは目を見開いた盡、母の顔を凝視する。
 頬に触れていたのは、母の手だった。
 頬に落ちてくるのは、赤く染まった首から落ちてくる血の雫だ。

――どうして、約束を破ったの?

 抑揚の無い声が尋ねてくる。

――どうして、約束を破ったの?

 肋骨を突き破って、心臓が出てきそうな感じがした。シェリーは此処にいない。
 ベルボーンには一人で来た。今は、母と向き合わなければならない。そう思いながらも、
 言葉は音となって出て行ってくれなかった。空気の漏れる音だけが続く。
 それでも、何度か息を吸うことに失敗しながら、ディックはやっとのことで、言葉を紡ぐことが出来た。

「あの子を……助けたかったんだ……」

 それは、掻き消えてしまう程に弱々しいものだった。

「……友達を、助けたかったんだ……」

 母の顔は見えない。その為、彼女がどんな表情を浮かべているのか。ディックには分からなかった。
 少し闇が揺らいだ。母がするりと離れたのだ。そして、その姿が消えた。納得してくれたのだろうか。
 ディックはそう思って、固まっていた身体の力を抜いた。ゆっくりと身体を起こして、
 深く呼吸をする。瞬間、耳元にぞっとする程に冷たい声が響いた。

――あなたは、お母さんとその子を天秤に掛けたのね。

 納得などしていなかった。今まで聞いたこともない、恐ろしく冷たい声が、
 ディックを襲う。

「ずっと一緒にいた私じゃなくて、出会って間もないその子の方が、あなたは大事だと思ったのね。
あなたをずっと守っていたのは私なのに、あなたは私を裏切ったのね。あなたが約束を破った所為で、
お母さんは死んじゃったのよ。あなたの所為で、あなたの所為で、あなたの所為で、あなたの所為で……」

 耳を塞いでも、冷たい声はどこまでも聞こえてくる。遠くなったり、近くなったりしながら、
 ずっと非難する声が続いた。頭を抱えて蹲る、ディックの耳に届いたのは、

「あなたが私を殺したのよ」

 はっきりとした声。その声に乗っていたのは、淡々と追い詰めるような言葉だった。



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