03
時計台から見えるのは、暗い空へ舞い上がるのは、橙色の灯りだ。
ギルクォードの住民達が、各々に想いを託して、死者の冥福を祈りながら、空へと天灯を飛ばしている。
頬杖を付いて、その光景を眺めていたシェリーに、ディックが言った。
「死者を弔い、天に無事を祈る風習だって」
「知っているよ。六年前、おまえに聞いた」
ディックはその空を見ていない。樫の木のベッドに腰を下ろし、窓には背を向けている。
「祈った所で、死ぬ人は死ぬし、何も意味無いんじゃないかって。毎年思うんだ。
でも、そう言うのはきっと……野暮なんだろうな」
「日夜魔物に怯え、死を恐れる人間は、それでも縋りたいのさ。そして、目に見えないカミサマとやらに、
願いを届けようと天灯を飛ばす。死者の魂に見立てた火は、風に消され、紙で出来た天灯も、すぐ壊れるだけなのにな」
シェリーのぽつぽつと語られる言葉を、ディックはしっかりと聞いていた。
「しかし、おまえだって、そうじゃないか」
ディックは静かに、翡翠色の左目をシェリーに向ける。シェリーは、深海のような青い眼で、
静かにこちらを見つめていた。その視線から目を逸らして、ディックは零した。
「正直、シェリーがいなかったら、怖いよ。
でも、シェリーといたら、母さんはそこから動かないから」
ディックはシェリーを見た。彼女の後ろでは、橙色の灯りが無数に空を覆っている。
リアトリスやティナも、知人の冥福を祈り、明日への希望を願った天灯を、空へ上げたのだろうか。
シェリーは窓辺から離れて、こちらに近付いて来る。そして、そっと隣に腰を下ろした。
「母さんは死んでいる。でも、そこにいる。
だから、俺は冥福を祈ることが出来ない。だって、そこにいるから」
ディックが指を指す方向をシェリーが見たが、そこには何もいない。
いる筈がない。
「人間は弱いから、何かに縋りたい。シェリーの言ったその言葉、俺もそう思うよ」
そう言うディックの肩に、シェリーはそっと頭を乗せる。ディックが大きく息を吐いたのが分かる。
一緒にいても、彼は彼にだけ見える、母の幻影に怯えているのだ。
「だって俺も、シェリーにこうして縋っているんだ」
天灯は人々の願いや祈りを乗せて、誰もいない空へと登っていく。空には何もいないということを、
人々は知っている。地上には人間と獣、魔物しかいないことも知っている。それでも、人間は教会を立てたり、
苦しい時に祈ったり、そうして日々を過ごしている。何かに縋っていかなければ、心の平穏を保てない。
何故なら、人は弱いから。
◆
空一面に浮かび上がる、橙色の灯りの束をリアトリスは見上げた。隣で、ティナが「わあ」と感嘆の声を上げている。
故人の魂を重ね、空へと飛ばす天灯を見ていると、なんとなく儚い気分になる。
イェーガーとグラニットが、両手を組んで何かを祈っていた。他の人々も黙祷を捧げていたり、
何か語りかけていたりする者もいる。そうして、語り終えると同時に、天灯を空へと放っていった。
暗い夜空に浮かび上がる、幾つもの天灯を見上げていると、
「リア、リア」
ティナがコートの裾を引っ張ってきた。見下ろせば、ティナが満面の笑みを浮かべている。
「おそら、とてもきれい、ですの」
「うん。すげえ綺麗だ」
笑って頷きながら、リアトリスはもう一度空を見上げた。
彼らは誰かを思い描き、その誰かの為に祈りを捧げる。
暗い夜空に浮かび上がる幻灯は、一つずつ、静かに空へと消えていった。風に吹かれる天灯の灯火が、
消えてしまわないように願いながら、空高く登っていく様子を見守っていく。そして、
誰しもが願いを捧げていた。
次の年も、無事に生きていけますように、と。
[ 61/115 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]