05
近頃の夜は少し肌寒い。ディックは、寒い冬の夜は嫌いだ。それは、己の所業を思い出してしまうから。
しかし、同時に愛しい季節でもあった。それは、シェリーと出会った季節だからだ。
数十分掛けて、時計台へやってきたディックは、二階の部屋に足を踏み入れた。窓辺に腰かけて、
静かに夜空を眺めているシェリーを見た。静謐な月明かりに照らされた、彼女の淡麗な横顔は、
まるで彫像のように神秘的な雰囲気を纏っている。
「少し、遅かったな」
その美しい横顔が、ゆっくりと動いた。シェリーがこちらに視線を向けるのと同時に、
長い黒髪が流れるように靡く。ふわりと踊り、静かに肩に落ちた。
「もう少し、早く来るかと思っていたんだがな」
「ごめん」
ディックは軽く謝罪しながら、シェリーの傍へ歩み寄った。シェリーは、何かを見透かそうとするように、じっとこちらを見つめてくる。
けれども、すぐに力を抜いた。
「まあ、いいさ。月を見ながら、誰かを待つ時間もまた、乙なものだ」
シェリーの腰掛ける窓枠は、二人くらいなら並んで座れる程の大きさだ。ディックは、そこへ腰を下ろした。
視線を落とせば、時計台を囲む茂みが、ひっそりと闇を抱いている。時折聞こえる声は、
獲物を探して徘徊している夜行性の動物のものだ。この時計台でシェリーが暮らすようになってから、魔物はこの近隣には立ち入らない。
魔物社会というのは、人間のものと比べると非情にシンプルだ。弱い魔物は、力のある魔物に従う。
しかし、時折、力のある魔物に魔力結晶を奪われてしまうこともある。魔力結晶は、
魔物にとって核とも言えるものであり、心臓と同じくらいに大切なものだ。それを奪われるということは、
単に殺されるだけではなく、力も吸収されてしまうことを、意味していた。
それ故に、力のない魔物は襲われない為に、自分より強い魔物の前に姿を見せようとはしない。
しかし、力がなければ、いずれは魔力結晶を奪われて死んでしまう。魔物は身を守る為、
強くなろうとして、別の魔物の魔力結晶を奪おうと戦う。なので、同格の魔物同士では、
魔力結晶を奪い合い、殺し合うことが頻繁に起こるのである。
獣の声が大きくなった。シェリーがスゥッと目を細めたのを、ディックは見逃さない。
「……何か来た?」
静かに尋ねると、シェリーは「ああ」と頷いた。ゆっくりと立ち上がる。
すん、とディックの鼻に臭ってきたのは、魔物の臭いだ。死臭と血を纏った、不快な香りは、
一匹や二匹ではなさそうだ。どうやら、群れを作る魔物のものらしい。
ディックは鬱陶しそうに、露骨に顔を顰める。せっかく、シェリーと過ごそうとしていたのに、それを邪魔されたように思った。
「この一帯が、シェリーの領域だってこと、分かっていないのかな」
「さあな。だが、余所者に変わりない。あたしの魔力に気付かない程、愚かな奴らなのか。
それとも、分かっていて横断しようとしているのか」
「追い払う?」
手伝おうか。そういう意味を込めて問いかけると、シェリーはこちらを見た。
赤い唇を釣り上げて、微笑を浮かべている。
「追い払う? おまえはヌルイな」
風も吹いていないのに、シェリーの長い黒髪がざわざわと波打つように動く。
深海のような瞳が、鋭い威光を放っていた。
「焼き尽くすんだよ」
静かに言い放たれたその言葉には、どんな屈強な大男でさえも、途端に震え上がるような響きがあった。
彼女のその言葉を聞いて、ディックは小さく笑う。まるで、可愛らしい冗談を言った恋人を、愛おしむような笑い声だった。
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