10
両手をへその真下で組み、部屋の隅に立っている。ばさばさの髪で顔が完全に隠されていた。
俯いているのが分かるのに、強い視線を感じた。こちらを、恨めしそうに睨んでいるのが分かる。
離れた距離なのに、更に距離を取ろうとしたディックは、足がもつれて、危うく転びそうになる。
「何してんだよ」
無邪気に笑って、リアトリスはティナへと向き直った。
ディックは、恐る恐る部屋の隅に視線を向ける。誰もいない。
――母さん、怒ってるんだ。
ディックは右目を右手で抑えた。母は怒っていた。恨んでいた。強い憎悪を抱き、約束を破った子供を、
彼女は決して許さない。死んで尚、約束を破ること、放棄することを許さない。
母はまだこの世にいる。死ぬまで、目を光らせて、憎悪をぶつけてくる。
「ティナ」
と、リアトリスがティナに話を続けている。
「この先、壊れるまで一人ぼっちで部屋に閉じ篭るのか? 確かに、外は魔物もすげえたくさんいるし、
反りが合わねえ奴もいる。面倒なことも、嫌なこともそれなりにあるけどさ。でも、
それでも悪いことばっかりじゃねえぜ。美味い飯もあるし、優しい人だっている」
リアトリスは、どういう心境が働いたのか。ティナを、城の外に連れて行きたがっているように見えた。
ディックは青ざめた顔で、その様子を見守っている。まだ、上手く声を出せる自信がない。
そのことに聡く気付かれ、変に突っ込まれたくはなかった。
ティナが首を傾げている。
「でも、かれ、そこ、いる、ですの」
「この人はもう、死んでるんだ。ティナ。……もう、ずっと前に」
リアトリスが、言い聞かせるように言うと、ティナは更に首を傾けた。
「しんでいる、とは、どういう、いみ、ですの? かれ、そこ、いる、ですの」
「……あんたは、人形だもんな」
吐き出す様に呟いたリアトリスは、その場にしゃがみ込んだ。ティナと目線を合わせようとしているらしい。
そういった動作一つにも、ディックは彼の人柄を垣間見る。
「身体は此処に残っているよ。……もう骨だけどさ。死ぬっていうのは、魂が身体から離れて、
……ああいや、その人の心が、地上に残っていない状態のことだ」
ティナには理解し切れないようで、困惑した様な顔をする。
それを見て、ディックはふと、「人形なのに、人間みたいな顔をするんだな」と、そんな感想を抱いた。
「とにかく。ティナが此処にいても、もうこの人はいないっていうことだ。
だから、ティナ。外出てみないか?」
「そとへ、ですの?」
「うん。おいら達、ギルクォードって所から来たんだけどさ。そこ、良い所だぜ。
優しい人ばっかりだし、飯も美味いしな」
ティナは迷うような顔をする。人形だというのに、表情は人間のそれと同じように、くるくると変わる。
しかし、それが彼女の意思なのか、そうなるよう仕組まれたものなのか。
それはディックにもリアトリスにも、分かり兼ねる所ではあった。
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