09
人形は、緩慢な動きで首を傾げていく。まるで、そう動くよう教えられたような、ぎこちない動きであった。
ふわり、と亜麻色の髪が揺れた。少女がゆっくりと、ゆっくりと首の位置を戻していく。
そして、またゆっくりとした動きで、瞬きを繰り返した。
「あなた、たち、しらない、ひと……しらない、ひと。どなた、ですの?」
「えっと。おいらは、リアトリス。こっちは、ディック」
反射的に答えたリアトリスに、人形は満面の笑顔を作った。
「はじめ、まして。ティナは、ティナ、ですの」
ディックは、ティナと名乗る少女人形に尋ねた。
「君を作った人は、どこにいる?」
「そこ」
ティナはゆっくりと答えた。彼女が指差した方向には、椅子に腰を下ろす骸骨がある。
「かれ、ティナに、けっしょう、残したあと、」
そう言いながら、ティナは両手を両目に当てる。そして、すぐに離した。
「かれ、おしゃべり、してくれなく、なった、ですの」
「君はそれから、ずっと此処に一人か?」
更に質問を投げかけるディックに、ティナは首を傾げた。
「かれ、そこ、いる、ですの。だから、ティナ、ひとりじゃない、ですの」
「でもこいつ……もう、死んでるんだぜ。この状態じゃあ、少なくっても十年以上前に」
ティナが首を傾げた。こちらの言葉の意味が、分からないらしい。
「此処から出ようとか、思わなかったのか」
リアトリスが言うと、ティナはかぶりを振った。
「かれ、いった、ですの。ここ、でたら、いけない。ずっと、ぼくといっしょに、いてくれと、
いわれた、ですの。だから、ティナ、ここにいる、ですの。かれ、でたら、いけない、いったから」
ティナの紫の瞳は、人形らしい無感情さを醸し出していながらも、やけに生々しい輝きをまとっている。
それは、粗略に積み上げられていた人形達の比ではない。まるで、本物の目のようだ。
「かれ、たくさん、ティナをつくった、ですの。そして、こわした、ですの。かれ、さがした、ですの。
おもいでの、ティナ、ずっと、ずっと。そして、ティナ、できたとき。かれ、よろこんだ、ですの。
ティナ、できたとき、かれ、よろこんだ、ですの」
抑揚のない語りが続く。
「そと、こわいこと、いっぱい。そと、いやなひと、いっぱい。そと、わるいこと、いっぱい。
このへや、あんしん。このへや、あんぜん。だから、でたら、いけない。いわれた、ですの。
やくそく、ティナ、した、ですの。かれと、やくそく、した、ですの」
ティナという少女人形に刻まれた、約束という名の命令。ディックは、かつて結んだ約束を思い出した。
母と交わした約束。決して、破ってはいけなかった約束だった。
「かれ、いっていた、ですの。ティナのこえ、みえなくても、きこえる、から。
みえなくても、いっしょに、いるから」
「ええっと。じゃあ、ティナはこれからも此処にいるのか?」
リアトリスが尋ねると、ティナは首を傾げた。
「このへや、いる。やくそく、ティナ、したから」
「でもさ。ティナを作った人は、もういないんだろ。
いない人との約束なんて、反故にしたっていいんじゃないの?」
その言葉を聞いて、ディックは思った。
母はもういない。母との約束も、無かったことにしたら……解放されるのだろうか、と。
少しでもそう思った途端、ディックは急に、背筋に強い視線を感じた。勢いよく振り向く。
そして、呼吸を詰まらせた。
母がいた。
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