05


 そうして山を超える頃には、すっかり昼を越していた。出掛けにグラニットに渡された、
 簡単な軽食を口にしながら、二人は進む。ようやくグラフトン湖が見えてきた。キラキラと陽の光を浴びて、
 穏やかな波を立てる湖は、底が見える程透き通っている。

 喉の渇きを覚えたリアトリスは、その湖に駆け寄ると両手で水を掬いあげて、一口飲んだ。
 綺麗だということもあって、あまり抵抗は無い。冷たく冷えた水は、喉を伝って体内に収まっていく。
 ほんのりと甘い。更にもう二口程飲んでから、やや乱暴に手の甲で口を拭った。両手を振って、
 付着した水分を飛ばしながら、リアトリスはディックのもとに戻った。

「待たせたな」
「いや、大丈夫」

 そんなやりとりをしながら、湖の横を歩き続ける。

 陽が傾き始めた頃。ようやく、ディックとリアトリスはクロズリーに辿り着いた。
 石造りの家は崩れ、木々は倒れ、見るも無惨な光景となっている。誰が埋めたのか、
 クロズリーの入口付近には、土が大きく盛り上がった箇所があり、木で作った粗末な墓標が倒れていた。
 既に枯れており、根元も腐っている。つい先日魔物に襲われたとのことで、建物や土地に残る傷跡も、
 真新しくて生々しい。夕刻ということもあって、何処か不気味な雰囲気が、立ち込めている。

 ディックは、最近この町の名前を聞いた気がしたが、誰に聞いたのか。どうしても、思い出すことは出来なかった。
 思い出せないということは、瑣末な記憶なのだろうと、気にしないでおく。

 少し離れた丘陵の上に、古い城が見えた。斜陽に照らされて、微かに橙色に染まっている。
 ひっそりと佇んでいた。ぼんやりと、その城を眺めていたリアトリスに、

「行くよ」

 と、ディックが声を掛ける。「え?」と聞き返したリアトリスに、ディックは続けた。

「古城の調査に来たんだろ」
「え、あ、うん」

 先々と歩いていくディックに、置いていかれないように、リアトリスは追いかけた。

 歩みを進めていく毎に、民家はどんどんと少なくなり、丘陵に差し掛かる頃には、周りには木々しかなかった。
 緩やかな勾配を登って行き、ものの二、三分で古城の前に辿り着いた。遠目で見るのとはまた違い、
 夕刻ともあって、人気のない古城はなんとも言い難い雰囲気に、包まれている。黒ずんだ壁には、
 何かの蔓や蔦が絡みつき、石造りの屋根は苔に覆われて、錆びているようにも見えた。
 時折吹く風に揺られ、辛うじて形を保っている鉄製の門が、キィ……キィ……と、物悲しい音を立てている。
 開きかけたその門を抜けて、城の正面玄関へと続く庭を突っ切っていくと、枯葉や苔、
 小枝や虫の死骸で埋め尽くされた噴水を見つけた。

 女神を象ったような、裸体の女の彫刻が、庭に転々と並んでいる。しかし、長年放置され続けた結果。
 罅割れ、剥げ落ち、なんともみすぼらしい姿へと変わっていた。中には、腕や頭が砕け落ちているものもある。

「うわ、気味悪ぃ」

 リアトリスが、毒付くように零した。

 城の玄関扉へ続く小さな階段は罅が入り、そこから雑草が幾つか生えている。
 その草を踏みつけて、ディックは階段を登った。何かを封じるように、扉には枯れ枝が伸びて、
 絡みついていた。ディックが手を伸ばして少し引っ張ると、思ったよりも簡単に折れていく。
 そのまま、躊躇なく枝を取り除き続けて、扉本来の姿を見せていく。ディック越しに、
 リアトリスは枝で封鎖されていた扉を見た。少なくとも十年以上、誰も此処に出入りしていないらしい。

 ようやく、邪魔な枝を全て取り除いたディックは、両開きの扉に手を掛けて、開こうとした。
 しかし、鍵が掛かっているのか。それとも、鍵が錆び付いてしまったのか。扉はびくとも動かなかった。

「どっか、別の入れる場所探すか?」

 そう尋ねるリアトリスの前で、おもむろにディックは剣を抜いた。徐々に傾いていく陽に照らされた剣は、
 目を見張る程に美しい赤に染まる。藍色の細やかな文様で縁取られたその剣は、まるで宝石のように赤く輝いていた。
 その奇妙な剣を構えて、ディックは一切の躊躇もなく、扉を斬り付けた。

「お、おい……」

 と、リアトリスが手を伸ばしたが、止めることは間に合わず、ただ空中で止まった。
 見ている前で、大きな音を立てて扉が崩れていく。砂埃を上げて倒れた扉から、
 ディックに視線を向けたリアトリスは、「おいおい」と呆れたように肩を竦める。

「合理的だな、ディック」
「だって、あのままじゃ入れないだろ」
「別の場所から、探すことも出来ただろ」

 リアトリスが指摘すると、

「探す時間や手間が掛かるじゃないか」

 そう言って、リアトリスの言う言葉に首を傾げながら、ディックは古城の中に入っていく。
 いつしか、その場はすっかり闇に包まれており、ディックの姿も闇に消えた。

「待ってくれよ」

 慌てたようにそう言って、リアトリスも中に足を踏み入れる。



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