08
「あんたが、何を考えてるのか分かんねえけど。でもおいらは、」
流暢に言えるように、リアトリスは小さく唇を舐める。
「おいらは、あんたに敵意も悪意も持っちゃいない。まだ数ヵ月くらいしか経ってねえけど、
それでもおいらは、ディックのこと仲間だと思ってる」
「……」
仲間という言葉を、ディックは頭の中で繰り返す。そう言われたのも、随分と久し振りだ。
そして同時に、懐かしい響きだった。あの小さな村で、あの子供達はそう言っていた。
リアトリスが続ける。
「全面的に信じて欲しいとか、おいらに全部打ち明けて欲しいとか、そんなこと言うつもりはねえんだ。
でも、シェリーだけじゃなくってさ。少しだけでも良いから、おいらのことも頼って欲しい」
リアトリスの言葉を聞きながら、ディックはゆっくりと肩の緊張を解く。
――少なくとも、今は攻撃するつもりはないみたいだ。
そこで、リアトリスは少年らしい柔らかな笑みを浮かべた。リアトリスはほんの少し、嬉しかったのだ。
混血だという、その衝撃的な事実を打ち明ければ、
敵対する可能性もあるということを、ディックなら視野に入れていた筈だ。それでも、
ディックは隠したかっただろうその事実を、打ち明けてくれた。
少しだけでも、信頼してくれているのではないか。と、そう思えてくる。
「ありがとな。そんな大事なこと、話してくれて」
信頼してくれたことに、感謝をする。リアトリスは出しっ放しにしていた道具を、鞄の中に仕舞い込む。
後は、この町から速やかに退散するべきだ。この町の魔物ハンター達は、どういう経緯かは知らないが、
ディックの正体に気付いていた。アストワースに滞在し続ければ、また交戦せざるを得ない。
リアトリスは地図を広げる。
「裏門から外に出ようぜ。ちょっと遠回りになるけど、魔物ハンター達と鉢合わせなくて済む」
「ああ」
リアトリスが言うと、ディックは静かに頷いた。
◆
川の傍に居座っている巨木に、その二人はいた。幹を背にして、シェリーは太い枝に腰を下ろし、目を閉じている。
地上にはディックがおり、飛び出した大きな根に腰を下ろしていた。右目にはいつも通り、包帯が巻かれていた。
川のせせらぎを耳にして、穏やかな風を浴びながら、久方ぶりの休息だ。町の喧騒からも離れて、静かな空気だった。
アストワースから戻ってきてから、二週間程経った。季節は卯月となり、
一気に陽光差し込む穏やかな空気となった。春は恋の季節とはよく言ったもので、トスカーナ山の兎や鳥もまた、
番を探すのに浮かれている。
アストワースで、以前打ち抜かれた腹の傷は、もう完治している。
リアトリスはオボロにも、イェーガー夫妻にもディックのことは、何も言っていないようだ。
変わらない三人の態度を見て、ディックは少し安心した。
「シェリー」
ディックが名前を呼ぶと、膨らんだ蕾が開くように、シェリーはゆっくりと瞼を開けた。
穏やかな風が吹いて、彼女の長い黒髪が柔らかく靡いている。しなやかに手を伸ばし、
シェリーは漣のように揺れる髪を抑える。
「この間、アストワースに行っただろ」
「ああ。血の匂いを纏って、戻ってきたな」
アストワースの名前を言えば、シェリーは眉間に皺を寄せたが、ディックには見えない。
ディックはあの後、リアトリスと共に人目を掻い潜り、裏門を通って外へと出たのだ。
裏門にいた自警団が、こちらを見て慌てていたが、魔物ハンターと情報の連携は、たまたま出来ていなかったらしい。
衣類に付いた血の跡を見て、驚き慌てていただけだ。
「魔物ハンターに囲まれた時……俺、そいつらを殺せばいいって思ったよ」
「でも、どうせ殺せなかったんだろう」
シェリーの呆れたような声が、降りかかってくる。ディックは視線を川の水面に向けた。
透き通った水の中で、魚が光って見える。
「シェリーには、お見通しか」
「おまえはそういう奴だ。あたしが何を言っても……」
「ずっと昔、出会ってそんなに経っていない時にさ。混血のこと、少し教えてくれただろ」
魔物の傍で生きていれば、人間的感覚は薄れ、魔物により近い存在となる。
そして、人間の傍で生きていれば、魔物特有の殺人衝動や闘争本能も薄れ、人間に近い存在となる。
十数年、あの日が来るまで、ディックは人間の母と町の人間達に囲まれて暮らしていた。
それまで、自分が何者であるか、深く考えていなかった。
「……俺は今、どっちなんだと思う?」
「さあな」
ディックの問いかけに、シェリーはそっけなく答える。「そう」という返事の後、
それっきりディックは何も言ってこなかった。穏やかな風が吹いている。鳥の囀りや川のせせらぎを耳にしながら、
ゆったりとした時間を感じていたシェリーは、ふとディックを見下ろした。
高い木の枝から、地上に舞い降りる。大きな根に腰を下ろしていたディックは、
こののどかな空気や陽光に負けたのか。小さな寝息を立てていた。シェリーが傍にいる。
そんな安心感を抱いていることが、見て取れるその寝顔は、いつまで経っても変わらない。
シェリーはその寝顔を見て、小さく顔を綻ばせる。しかし――
「……母さん……」
小さな声で紡がれた言葉に顔を曇らせた。
シェリーはディックを深く、深く求めている。だからこそ、迷いなく自分と同じ方向へ。
つまりは、魔物として生きて欲しいと思っていた。人間への執着も迷いも、リアトリスやティナといった他人も、
そして母への後悔も、過去の悲しみも全てを投げ出して、自分だけを求めて欲しいのだ。
「おまえは、いつまでそうして……」
その押し殺すような声には、普段からは想像も出来ない程に。悲哀が篭っていた。
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