07
「そこをどけ!」
「どくもんか! 人の仲間に、なにしやがんだ!」
怒声を上げる魔物ハンターに、負けじとリアトリスが吠える。それを見ていたディックの目の色が、
再び翡翠色へと戻っていく。それと同時に、泣きじゃくる少女達の姿が思い返された。
――みんな、やめてよ!!
――そいつは、俺たちを助けてくれたんだぞ!!
――やめて! それ以上は、傷つけないで!!
少女は泣いていた。大粒の涙を零して、叫んでいた。ああ、そうだ。と思い出す。
彼女は泣いたのだ。小さな身体を震わせながら、泣き叫んでいたのだ。
こちらに背を向けて、怒鳴るリアトリスの姿が、何故だかあの少女や少年達の姿と、重なって見えた。
ディックは右目を押さえる。彼女達は、傷を負った自分を庇おうとしていた。非力ながら、助けようとしていたのだ。
「立てるか、逃げるぞ」
リアトリスの声に、我に返ったディックは立ち上がり、連れられるままに走り出した。
その後ろ姿を見ていた、魔物ハンターがぽつりと呟く。
「リア……?」
◆
アストワースの外れまで逃げたディックの前で、リアトリスが大きく息を吐いていた。
ふう、と最後に息を吐いて、何か鞄から取り出していた。ガーゼと、小さな容器に入っているのは、薬品だろう。
あまり医療には詳しくないが、一般的に考えるならば、止血剤や鎮痛剤だ。
ディックは腹部を抑えた。もう出血はしていない。しかし、じんわりとした傷みはずっと熱を帯びて、残っている。
体中の魔力が、必死に傷口を塞ごうとしているのが分かった。何度も撃たれた。完治するには、
少し時間が掛かるだろう。銃弾が掠めた、頬や腕の幾つもの小さな傷は、すでに塞がっていた。
人間に、敵意を持って攻撃されたのは、随分と久し振りだ。
一瞬湧き上がった言葉を思い出して、ディックは視線を魔剣に落とす。リアトリスの声が無ければ、
彼が割り込んで来なければ、自分はあの魔物ハンター達を、殺すつもりだったのだろう。
聞こえてくる、シェリーの声に従って。
迷いなく、そんな考えが湧き上がったことに、ディックは幾ばくか恐怖を覚えた。
”あの時”の記憶が、生々しく蘇ってくる。
「……リアトリスは、なんであそこに来たんだ?」
しゃがみ込む小柄な後ろ姿に、ディックは問いかけた。リアトリスは手を止めることなく、
「朝起きたらディックいねえし、腹減ったしで、食う傍ら探そうかなって。
そんで、町歩いていたら、なんか人が騒がしくってよ。聞いたら、魔物ハンターが魔物退治するってんで、
なんとなく見に行ったんだ。そしたら、」
そこに自分がいたので、飛び出したのだろう。
「魔物と人間の区別も付かねえのかってな。ちょっと苛々したよ。
話はそれくらいにして、応急処置くらいしか出来ねえけど、傷見せてみろ」
リアトリスの言葉に、ディックは顔を上げた。内部の完治には、まだ時間は掛かる。
しかし、表面的な傷は既に塞がっていた。ディックは、
「大丈夫」
と、やんわりと断る。しかし、すぐに「あのなあ……」と、リアトリスの怒気の混ざった声で返された。
「大丈夫なわけねえだろうが! 馬鹿言ってんじゃねえよ!
下手したら死ぬのは、魔物相手でも人間相手でも、どっちも変わりねえんだぞ!」
額に皺を寄せていたリアトリスは、やがてふっと息を吐く。
ディックはその表情から、怒りの感情が消えていくのを見た。
「……なあディック。おいらってさ、そんなに頼りねえかな」
「そんなことないだろう。イェーガーさん達もオボロさんも、頼りにしているじゃないか」
「じゃなくて、あんたにとってだよ」
リアトリスは、悔しそうな顔をしている。
「そもそもディックってさ、おいらだけじゃなくて、誰に対しても、どう思っているのかとか、
何を考えてんのかとか、何も言わねえだろ。あんたの感情が、何も見えねえんだよ……」
ディックは「違う」と理解する。彼は悔しい顔をしているのではない。
悲しい顔をしていたのだ。色褪せた古い記憶の母と同じ、悲しい色をした顔だ。
眉を下げて目を伏せて、唇を強く噛み締める。悲しそうな顔は、男でも女でも苦手だ。
「あんたに比べりゃ、おいらは弱い……と思う。だからかもしれねえけど、でも、
……それで距離を置かれるのは、正直キツいし、悲しいよ。せめてさ。怪我した時くらいは、頼ってくれよ」
決して彼が弱くないことも、頼りないわけでもないと、ディックは知っている。
人間の中では、リアトリスも充分強い方だ。魔物ハンターとして、職に出来る程度には、魔物と戦える少年だった。
腹部にディックは手を当てる。どれだけ彼が頼ってくれと言っても、彼は内側の傷を手当て出来ない。
彼がどう言ってくれても、表面的な処置など要らないのだ。
「……俺は別に、リアトリスが頼りないとも、弱いとも思っていないよ」
そう言うと、俯いていたリアトリスが顔を上げた。
「でも、手当ては要らない」
躊躇う心はあったが、ディックは衣服を捲り上げ、腹部を見せる。
その肌を赤黒く固まった血が、染め上げていた。しかし、銃創は何処にも見当たらない。
リアトリスが、信じられないような顔をして、そして恐る恐るといった風に、ディックの顔を見る。
「なあ、ディック。……あんた、何者なんだ?」
空色の瞳が、こちらを強く見据えてくる。下手なごまかしや嘘など、許さない。
そんな意思を感じさせた。ディックは魔剣から手を離すことなく、淡々と答えた。
「混血。魔物ハンターの組織にいたなら、聞いた覚えはあるだろう」
「ああ。周りの連中もおいらも、見たことなかったけど。魔物と人間の子供で、大抵生まれたら殺されるから、
殆ど情報が無い…………でも、まさか……」
リアトリスは僅かに目を伏せる。
そして、なんとなく感じていた違和感の正体が、はっきりとしてきたことに、リアトリスは怖気を感じる。
もう一つ気付いた。普段全く感じることのない、魔物のような殺伐とした魔力が、ディックを中心に周囲に漂っている。
考えを纏める為、リアトリスは一度ディックに背中を向けた。
一方で、打ち明けたディックも考えていた。リアトリスは、イェーガー夫婦や、オボロに言うだろうか。
ギルクォードの自警団に伝えるだろうか。いや、此処でそのライフルを引き抜き、こちらに銃口を向けてくるかもしれない。
もし、此処で戦闘になれば……と、様々な考えが頭を駆け抜ける。
やがて、リアトリスが「なあ」と声を掛けてくる。ディックは、ほんの少しだけ、魔剣を握る力を強めた。
「あんたは、なんでこの事を隠してたんだ」
「隠してたわけじゃない。別に言う必要もないと思ったから」
「……」
どちらも似たようなものじゃないか。リアトリスはそう思ったが、口には出さない。
その答えに釈然としなかったが、納得はした。ディックの纏う雰囲気、やんわりと、
他者を拒む様な距離感。魔剣を扱える理由。全てに合点する。
リアトリスは振り向いて、彼の顔に目を向けた。包帯を巻いていないディックの顔は、
なんとなく新鮮な感じがする。右目は固く閉じていたが、普段見えない顔の半分が顕になったことで、
その全体がよく分かる。際立って美しいというわけではないが、目鼻立ちがすっきりとした顔立ちだった。
「魔物の血を引いていると知って、どうする? シェリーの時と同じように、駆除するか?」
こちらを試すようなその物言いは、どこかシェリーを彷彿とさせる。
それがわざとなのか、知らずにしているのか、リアトリスには分からなかった。
只、リアトリスは分かり易いように、大きく肩を竦めてみせる。
「……しねぇよ、別に」
その言葉は、はっきりと告げた。
「あんたが、魔物の血を引いていようが、混血だろうが、知ったこっちゃないね。
人間だろうと混血だろうと、種族に拘る必要はねえよ。あんたはあんただろうが」
リアトリスは、ディックから視線を逸らさない。
今、目を離したら、彼の最後の信頼が無くなってしまう気がした。彼の翡翠色の瞳には、
何も見えてこない。こちらの話を聞いているのは分かるが、それをどう受け止めているのか、
全く見当も付かない。空虚なその瞳が、感情に揺れることはなかった。
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