08
何処からか硝子の割れる音と、怒鳴り声が聞こえてきた。
しかし、ディックもその女も意に介さない。別の女が口を挟む。
「そうそう。だから、結構この辺りも魔物ハンターの人が、吸血鬼が出たらすぐに駆けつけられるように、
巡回しているのよん。ほら、あそことか」
そう言いながら、女が指差す方向へ、ディックとリアトリスが揃って顔を向ける。
魔物ハンターと思われる男達が、数人で歩いているのが見えた。ローブを纏い、ライフルを背負いながら、
路地を闊歩している。女がリアトリスを見た。
「キミも鉄砲持ってるけど、同業者?」
「まあ、そんな感じで……」
適当にはぐらかしながら、リアトリスはそっとディックの陰に身を潜める。
それに気付き、視線を落としてくるディックに、リアトリスは「悪い」というような笑みを返す。
姿が完全に見えなくなってから、ようやくディックに隠れることを止め、リアトリスが姿勢を正した。
別の女が口を開いた。
「それから、最近行方不明になってる女の子、多いのー」
女の言葉に、周りの女達がこぞって頷いた。リアトリスが身を乗り出す。
聞けば、彼女達が知っているだけでも、五人の女が行方不明だという。自宅にも戻っていないらしく、
吸血鬼に襲われたのだという噂も、立ち上っているらしい。
「あとは、そうねえん。もっと詳しいこと知りたいなら、羚羊亭って酒場に行けば、いいと思うわん」
「羚羊亭?」
リアトリスが復唱すると、女は艶やかな笑みを唇に浮かべた。
「そう。そこに髭面のおじ様がいつもいるんだけど。魔物ハンターの人とも知り合いだから、
あたし達が知らないようなことも、知っているかもしれないわよん」
「じゃあ、そこに寄るよ。情報ありがとう」
そう言って立ち去ろうとするディックに、リアトリスが置いていかれないよう走り出す。
「結局、寄らないのぉ?」
その後ろで、最初の女が声を掛けてきた。一度足を止めて、ディックは小さく笑う。
「生憎だけど、間に合ってるよ」
◆
顎に手を当てる髭面の男は、思い出したように口を開いた。
「吸血鬼? ああ、知ってるぜ。吸血鬼が襲ったって思う被害者は、みんな婆さんばっかりなんだけどよお」
「それは知ってる。聞いたもん」
と、リアトリスが口を出すと、男は不遜な笑みを浮かべて見せた。
「それがちぃっと可笑しいってことも、知っているかい?」
「と言うと?」
リアトリスが尋ねると、男は意味深な笑みを浮かべたまま、口を閉じる。軽く肩を竦め、ディックは店主に酒を注文した。
二人がいるのは、先程の娼館が立ち並ぶ路地から、少し離れた飲み屋の席だ。羚羊亭という、
立ち飲み式の酒場だ。この男はほぼ毎晩、この時間帯によく来ているらしい。色々な店に顔を出し、
顔馴染みの魔物ハンターも多く、うっかり口を滑らせたハンターの話も、ちょくちょく仕入れているという。
「だいたい、そんな大事な話をうっかり零すのは、気の良い若ぇ兄ちゃんだな」
とのことだ。「内密にしてくださいよ」という約束事など、どこ吹く風のようだった。
しかしこの男は、確かに情報通ではあるらしいが、人にたかる悪癖も持っているらしく、
こうして奢らされること四杯目となった。カウンターに、酒瓶と木のカップが静かに置かれた。
気分が良さそうに、店主から渡された酒を、男はカップに注ぎ込む。
「それで、何が可笑しいんです」
「そうそう。婆さんばっかりなんだけどな、その婆さんの格好がちょいと不思議でさあ」
男はまた酒を煽る。赤ら顔で、酒臭い息をディックの顔に吐いた。
それに対して、ディックが僅かに不快そうな表情を浮かべる。
「装飾品とか服とかがさあ。婆さんじゃあ、まずしねぇだろうってもんばっかなんだよな。
派手な色合いの服とか、キラキラした指輪とかネックレスとかな。しかも、最近なんだよ。
そんな奇妙な婆さんが出始めたのって。そんでもって、ここいらで行方不明になってる娼婦が、何人かいるんだが、
ああ悪いな」
空いたカップに、ディックが酒を次ぐ。
男が声を潜めたので、自然とディックとリアトリスは耳をそばだてた。周りが少しやかましいので、
注意しなければ聞き漏らしてしまいそうだ。
「ハンターの奴に聞いたんだけどな。もしかしたら、その死んだ婆さんが、
行方不明になっている娼婦なんじゃねえかって。そんな推測も立っているらしいぜ」
「そうですか」
ディックは革袋を取り出して、そこから紙幣を何枚かカウンターに出した。
「情報、ありがとう御座いました」
そう言うと、男は泡の付いた髭を撫でながら、うっとりと目を細める。
「お役に立てたかい。どうも、ご馳走さん」
店を出たディックに、リアトリスが声を掛けた。
「娼婦が婆さんになってるって……」
「まあ、有り得ない話ではないよ」
ディックの言葉に、リアトリスも顎を引く。
「ああ。吸血鬼が吸うのは、血だけじゃねえって聞いたことがある」
「精力、若さも吸い取る種なんだろう。お婆さんばかり……ということは、女の人を標的にしているってことだ」
リアトリスは頭を掻く。どうした、と問いかけるディックに、リアトリスが口を開いた。
「おいらが、二年前に会った吸血鬼に襲われた仲間は、年老いちゃいなかったなって。だから、別の吸血鬼なのかもしれねえ」
「じゃあ、本職の人に任せて、明日ギルクォードに戻ろうか」
そう提案すれば、リアトリスは眉を顰め、難しい顔をする。どうしたのかと問えば、
「いや。……うん、そうだな」
と、顔を逸らしながら、歯切れの悪い返答が返ってくる。
それ以上の追求を逃れようとしたのか、リアトリスが急にこちらを向いて、ディックを鋭く見据える。
その、澄んだ空色の瞳に真っ直ぐ見据えられて、思わず面食らった。
「あんた、昨日寝てないんだから。今日はちゃんと寝ろよ」
怒っているわけではないが、怒ったような声で厳しく、嗜めるようなリアトリスを見て、ディックは小さく笑う。
これでは、どちらが年長者か分からない。急に笑った姿を見て、リアトリスはきょとんとした顔をした。
しかし、またへらっとした笑みを浮かべてみせた。
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