04
焚き火が消えないように、ディックは薪をくべる。その傍で、鞄を枕代わりにして、リアトリスが眠っていた。
すぐ手に取れる位置に、ライフルや拳銃が置かれている。その肩が静かに上下していた。
遠くから、魔物の咆哮が聞こえる。何度も、何度も繰り返される咆哮は、リアトリスの耳には届いていないらしい。
「……」
ディックが、森の闇へと翡翠色の瞳を向ける。
ひたりと、左目を向けたその先には、幾つもの金色の目が浮かんで見えた。
獣とも思える程、弱々しい魔力だ。これでは、人間であるリアトリスが気付かないのも、無理は無い。
少しだけ、脅かす程度にディックは自身の魔力を強めた。少なくとも、周囲を取り囲む彼らよりも、
強い魔力を持っていることを示す。魔物は決して、自分より強い魔物に、自ら戦いを挑むことはない。
負けることが分かっているからだ。襲われた時は抵抗するが、それも出来れば避けたいのだ。
魔物達は、じりじりと後退りをしながら、やがて闇の中へ消えていく。
「……魔物の気配、しなかったか」
リアトリスが目を開けて、ライフルに手を伸ばした。
流石にこの至近距離では、彼も勘付くらしい。ディックは薪を火の中にくべる。
「辺りにいたけど、見向きもせずに通り過ぎたよ」
そう答えれば、リアトリスは「へえ」と頷く。
「火の番、変わるよ」
身を起こしたリアトリスに、ディックはかぶりを振った。
「さっき寝たばかりだろ。まだ、大丈夫」
「そう、か?」
「まだ一時間も経っていない」
嘘だった。リアトリスが欠伸をする。
「じゃあ、時間になったら、ちゃんと起こしてくれよ」
そう言いながら星空を指差し、むにゃむにゃと横になるリアトリスに、ディックは笑った。
彼が目を閉じると、すぅっとその表情を消す。
「……」
仲間を見捨てて、逃げてしまった罪に向き合うと、リアトリスは言っていた。
その言葉が、いつまでもディックの心を苛んでくる。翡翠色の左目は、ぼんやりと焚き火を映していた。
その火の中に、友人だった子供の姿や、母アレクシアの姿が浮かんでくる。リアトリスの言う罪というものは、
挙げればキリが無い。母が死んでしまった原因が、他にあるとはいえ、全ての引き金となったのは、
ディック自身だ。
シェリーは、ディックは何も悪く無いと言った。けれども、――と、ディックは探るような視線を、夜の闇に向ける。
――それでも、俺が約束を破ったから、母さんは俺を許さないんだ。
その闇の中。アレクシアが立っている。恨めしそうな顔で、こちらを睨んでいた。
遠くにいるのに、声が聞こえてくる。あなたの所為よ、と訴えていた。
血染めの衣服に身を包んだアレクシアは、こちらに近付くこともなく、遠くから恨み言を呟いている。
何か気配を感じると、いつもアレクシアはそこにいた。母親の変わり果てたその姿を見るたびに、
心臓を掴まれたようにとても苦しくて、上手く呼吸が出来なくなる。
特に、シェリーが傍にいない、今日のような日は、とても怖い。
リアトリスは、交代で火の番をしようと提案してきたが、ディックは彼を起こすつもりなど無い。
このまま、寝かせるつもりだった。シェリーのいない夜。意識を手放すのが、たまらなく恐ろしく思えるのだ。
――あなたの所為よ。あなたが私を殺したのよ。
ディックは耳を塞いだ。目を閉じて、深く頭を低くした。
それでも、アレクシアの声は、ずっと頭の中に響いてくる。優しかった母の、恨みの声はもう聞きたくない。
しかし、その優しかった母を、壊してしまったのは、他でもない自分自身だということを、ディックは分かっていた。
時折姿を見せる今の母が、犯した罪の象徴なのだ。
後悔も謝罪の言葉も、最早何の意味もない。
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