03


 弥生マルスももう終わりに近い。その為、夜も寒さが気にならない。
 岩の影に腰を下ろしたディックは、器用に火打石で薪に火を灯す、リアトリスを見た。
 そして、鞄から飯盒を取り出したリアトリスは、出掛けにグラニットから渡された堅パンと、
 水筒の水を使って、手早く粥を作り始める。彼は、こうした場面においては、自分よりも技術の優れた少年だった。

 程好く煮立った所で、リアトリスが器に粥をよそい、「ほい」とディックに渡した。
 そして、自分の器にも粥を注ぐと、息を吹きかけて冷ましながら、少しずつ口に入れていく。
 焚き火が爆ぜる。その薪が燃える心地良い音に耳を傾けながら、ディックが口を開いた。

「……依頼でもないのに、アストワースに行く理由を、聞いてもいいかな」
「……うん」

 リアトリスは焚き火から目を離さない。二人の髪を、焚き火の灯りが照らしている。
 ディックの赤い髪は、より赤く煌めいて見える。蛙や獣。梟が鳴く声がよく聞こえる。
 その静かな時間の中、リアトリスがようやく口を開いた。

「おいら、魔物ハンターの組織にいたって、前に言ったろ」

 いつもの快活な声ではなく、リアトリスはいつになく、静かな声だった。
 ディックは黙って頷き、彼がゆっくりと話す言葉を聞いていた。

「一年……二年前まで、おいらは部隊に所属していて、その日はある魔物討伐の帰りだったんだけど。
おいらの所属していた部隊は、本部に帰還出来なかったんだ」

 思い出すように、ゆっくりと言葉を選ぶような話し方だ。
 静かに語られる言葉に、耳を傾けるうち。梟や獣の鳴き声といった、夜の音がすぅっと遠くへ行った。

「帰り道で、魔物と戦闘になってさ。……正直、今思えば仕方がない状態だったと思う。
厄介な魔物の討伐で、みんなやっぱり疲れてたし。相手は、力のある魔物だったしさ。
声を掛けたのは……えっと、誰か忘れたんだけど、その帰り道で、助けを求めている人に出会ったんだ」

 今でもその顔は忘れない。

「すげぇ疲れてる奴だった。空腹で、ボロボロで、今にも倒れそうな奴でさ。
隊長も、おいらより全然力のある人も、みんなそいつから、魔力を感じなかったと思う。
おいらも分からなかった。だから、人だと思って、腹が空いてんだったら、何か食わせなきゃって。
だから言ったんだ。『腹が減ってるなら、何かやるよ』って。そうしたらそいつ、ニヤッて笑って……。
すぐ傍にいたおいらに、襲いかかってきたんだ」

 リアトリスは、ディックから焚き火へと、再び視線を落とす。

――急に襲いかかってきた魔物に、対処出来なかった。おいらを庇った隊長は……

 あの凄惨な場面が蘇ってくる。
 貼り付けたような、気持ち悪い笑顔を浮かべた、人型の魔物だった。

「何かあったんじゃないか、魔物に遭遇した人なんじゃないかって、そう思ったから、声を掛けた。
そんなことしたから……」

 そこでリアトリスは、唇をキュッと噛み締めた。ゆっくりと、息を吐く。

「……その魔物が、吸血鬼?」

 ディックの質問に、リアトリスは黙って頷いた。

「おいらはともかく、隊長も先輩も、熟練のハンターが全然太刀打ち出来なくて。
おいら、その時……怖くなっちまった」

 戦意を喪失し、戦うことを放棄してしまった自分を庇ったのは、隊長だった。
 そして、致命傷を負い、自ら生贄の山羊スケープゴートとなった彼の最期は……

「今でも、逃げことは後悔しているし、最期まで戦うべきだった。
みんなは、死ぬことを覚悟して魔物と戦っていたのに、おいらだけ死ぬのが怖くなったんだ」

 話、逸れたな。と、リアトリスは小さく息を吐いた。

「だから吸血鬼の話を、オボロのおっちゃんに聞いた時に、
もしかしたら……あの時の吸血鬼かもしれねえって、そう思って」
「その時倒せなかった吸血鬼と会ったら、どうするつもり?」

 ディックが尚も問いかける。

「前に会った時、大勢で立ち向かっても勝てなかった奴なんだろう」
「……自己満足でも構わねえし、刺し違えても殺そうと思う。それで、死ぬ覚悟は決めている」

 リアトリスは、はっきりとそう答えた。ディックの顔をまっすぐ見つめる。

「それが、おいらの贖罪だ」

 そうだ。と、リアトリスは改めて決める。それが、贖罪だった。仲間の為と謳いながら、自分が納得する為。
 自分の中でけりを着ける為に、吸血鬼を退治する。オボロから吸血鬼の話を聞いた時に、
 リアトリスはそう決めた。一晩じっくり考えて、そう決断したのだ。
 もう二度と、逃げてはいけない。

「おいらは、真正面から、自分の罪と向き合わなきゃいけねえ」

 まっすぐ向けられた、その空色の瞳に射抜かれたディックは、「そう」と言葉を返すと、
 ぎこちなく視線を逸らした。心臓を撃たれたような、そんな鋭さを胸に感じ、思わず目を逸らしてしまった。



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