然れど神は紫煙を燻らす(SH×鬼灯の冷徹)
2014/08/24 23:45

 桃タローも、店員のうさぎたちも寝静まった夜、珍しく白澤が女性なしに静かに月を見上げて独り酒をちびちびと呑んでいた、そんな時、とても珍しい来客があった。

 若く、けれど完成した肢体を持つ女性だった。その美しい顔に浮かぶのは神秘的な、あるいは万物を見下すような微笑。装いはひどく簡素で、黒いドレス、ただそれだけだ。それ以外には腕に抱いた黒い書物以外に彼女を飾り立てるものは何もなく、しかし月光に艶めく黒髪と、ピジョンブラッドよりも尚濃い紅い瞳がその美しさを物語っていた。

「おや、珍しい。君が来るなんてね―――――運命(Moira)、いや、今は歴史(Chronica)か」

 最早、地獄とも天国とも所属がつかぬ曖昧な女神。かつてはEU天国に所属していたというが、現在はカルト宗教が崇める主神として扱われていると、白澤は『識って』いる。

 自分の座る縁側、そこに座るよう促し、あ’ら’か’じ’め’用意していたもう一つの杯に養老の滝の酒を注いで薦めるが、彼女は盃を受け取るだけで、決して口をつけようとはしなかった。

「君、随分大きくなったんだね」

 『前』はこのぐらいしかなかったのに、と白澤が座る自分の顔よりも下を手で示せば、クロニカは「そこまで小さくはありません」と言って髪をかき上げる。本来は人の歴史を綴った文字の群れ全てを宿したように長大な黒髪はヒトガタを取って問題なく動ける程度に縮められている。

「前は、なんだっけ。予言者の女の子だっけ?ピンクブロンドが綺麗な子だった」
「ええ、得られぬ愛情に、静かに壊れた少女です」
「僕だったら女の子ってだけで精一杯可愛がってあげたのに」
「残念ながら、『今の』“私”は愛する相手がいて、子供もいますから、貴方の遊び相手の条件から外れますよ」
「おや、それは残念」

 君みたいな美人ならいつでも大歓迎なのに、と言いながら、白澤は笑い、そして。

「でも、殺されたんでしょ?旦那さん。反逆して、君を逃がして、そして死んだ」

 一瞬の沈黙。それでも、女神の微笑は崩れない。

「ええ、今の私は、哀れな母親です。決死の想いで逃げ出して、夫は殺され娘とは引き離されて“私”になった」
「じゃあ、次のバックアップはその娘なのかな?」
「かもしれませんね。あるいは、次の人類の母となるか。いずれにせよ、もう今の“私”には関係のないことですが」

 神には代替わりを行う者が意外に多い。それは、大概が人類が誕生してから定義された神々だ。人類最初の死者として冥界を任され、信仰によっては著名な人物が死後、交替で勤めるとされた閻魔大王然り、目の前の女神も例外ではない。

特に、彼女とEU地獄の一部を現在も担当する死の神Θはバックアップとして次の器が用意されるのが常だった。

「僕にも、人間が文明を作り上げた頃から、人間に関する記録専用のバックアップが用意される手筈だったんだ。でも、そいつはバグで不死でない体に生まれちゃった。だから、天界からどこへでも行けと落とされ、人間として短い生を送った」
「いつもその話をしますね、白澤」
「そうだね、これも感傷、というやつなのかもね」

 これもやはり、クロニカが訪れる前から箪笥の奥の奥に、油紙を巻いて保存していたのを取り出して用意した煙管を白澤は手に取る。羅宇屋に手入れをさせたばかりのように美しく保たれたそれに、草を詰め、火を点けた。常には吸わぬ煙草を吸うのはこの時だけと白澤が決めたのは、クロニカが訪ねてくる何回目だったか。

「まさか、それが鬼神になるとは思わなかったよ。でも、結果としてあいつが人の世については記録してくれていた形になっているからこそ、僕はこうしてまったりとしてられるんだけどね」

 ふぅ、と紫煙を口からそっと吐き出して白澤は言う。犬猿の仲である常闇の鬼神・鬼灯。彼が、現世の人間の数の大幅な減少が見込まれる事態になったと、愚痴りながら薬を受け取りに来たのは数百年前のことだ。新しい亡者が増えることがめっきり減り、地獄は閑古鳥が鳴きつつある。神にとっては短い間に、黄泉という場所自体が失われることだろう。

「とはいえ、あいつは僕の代わりに人間という存在について記録するために造られた存在だ。だから、もうじき」

 一度言葉を切って、クロニカを見やる。張り付いた微笑はそのままに、諦観だけがその顔にある。

「死んでしまうんだろうね、君と同じく、いつもどおりに」

 そう、所詮は予定調和の内。

「今回はちょっと長持ちしたね。それでも、足りたとは思わないけど」

 白澤とて、悲しくないと言えば嘘になる。もうじき、女の子と遊ぶのも、桃タローに薬学について教えてあげることも、従業員のうさぎたちをモフモフすることも、お香に膝枕してもらうことも、鬼灯としりあげあしとりすることもできなくなる。人類が生まれたからこそ存在し始めた者たちは、誕生と消滅を繰り返す世界の中で人類の滅亡とともにじわりじわりと死んでいく。そして、最後には白澤ら人類と無関係に存在する神だけが残されるのだ。

 そして、その直前になると、必ずクロニカは美しい月夜の晩、白澤の元を訪う。人類という最大の媒体を失い、消滅するその前に。

「大丈夫だよ、人間がいなくなって、歴史(キミ)を誰も知らなくなって、誰も運命(君)を理解しなくなっても、また君は蘇る」

 それは森羅万象を記録はしても、未来は読めぬ白澤からの、予言。

「いつかまた、運命(君)を認識する者が生まれて、天網を書き換える者が現れて、そして運命(君)は歴史(キミ)になる」

 横から聞こえる嗚咽も、何かが崩れていく音にも、決して白澤は視線を向けない。ただ、その目には満月に照らされる、永遠に変わらぬ桃源郷だけが映っていた。

「どの君のことも、僕は覚えておいてあげるから」

 だから、ゆっくりと眠っておくれ。

 そうつぶやいてからゆっくりと顔を向けた先に黒髪の女の姿はなく、ただ黒い古書だけが名残として置かれている。煙管を置いて代わりにそれを手に取れば、微かに甘いミルクの香りがする気がした。

「大丈夫、僕は大丈夫だよ」

 そっと黒い表紙に書かれた黒い文字をなぞり、そっと目を伏せ、黙祷する。失われる神に、人に、歴史に。

「何万年か、また待つだけさ」

 自分に言い聞かせるように白澤が呟いたその数時間後。閻魔大王第一補佐官の急死の報が、地獄からもたらされた。


【然れど神は紫煙を燻らす】
(哀れむことなんてない、)(僕も彼女も、決して逃れられないのだから)

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