雨が降る | ナノ









雨 が 降 る








雨が降る。
しとしとしとしと、雨が降る。


ほらほら、急いで木の下へ。
肩を寄せあい、あまやどり。
さあ一緒に、虹を待とう――






(1)


「あ、大変!」


シャアラは夕食の支度をしていた手を止め、空を見上げた。

ぼんやりと広がる、薄暗い雲。
ポツン、と冷たい水滴が頬に落ちる。


シャアラは急いでテーブルに広げた食材を片付け、干していた魚を回収し、焚き火から火種を取った。
全てを終えた頃には、案の定、本格的に雨が降る。

調理の下ごしらえは家の中で済ませ、この様子じゃ、スープは無理ね、とため息した。
雷の気配がないのは幸いだった。


(みんな、大丈夫かしら……)


窓からシャワーの様に降る雨を見つめ、そんなことを思う。


雨が降ると、視界が悪くなる。
足場が滑りやすくなる。
服が重くなる。
おまけに水が濁るから、魚も捕りにくい。


悪条件ばかりがそろってしまうのだ。
よりによって、シャアラ以外のみんながここから出ている時に……


「――あ」


シャアラはうっすらと見えたその人影に、立ち上がった。

ベルだ。
大きくて、優しくて、とても頼りになる、二つ年上の人。

あの大きな手のひらで眼に雨粒が入るのを防ぎ、柵を越えて走ってくる。


シャアラはすぐにシャトルの座席の布で作ったタオルを持ち、下に降りた。


「ベル、大丈夫だった?」
「シャアラ……」

扉を開け、中に入ってきたベルにシーツを手渡す。
ベルはありがとう、とはにかんで、顔をふいた。

「他のみんなは?」
「いないわ。多分、どこか適当な場所で雨宿りしてるんだと思う」
「確かに、この手の雨はすぐにやむからね」

ザッと勢い良く降り注いだかと思えば、サッとやむ。

幸いまだ全然暗くなる様な時間ではないから、危険を侵してまでみんなの家に帰ってくる必要はない。

きっと各々、木の下とか、洞窟の中とか、そんなところで雨宿りしているに違いなかった。


「わかっているなら、どうして帰ってきたの?」

シャアラは首を傾げた。

雨の中では、むやみやたらに歩き回るものではない。

ベルがそれをわからないはずがないのだ。

なのに、彼は今ここにいる。
そんなに彼がいた場所からここは近かったのだろうか。


ベルは、ああ、と穏やかに笑った。


「シャアラが心細いだろうと思って」
「――え」


思いがけない言葉に、シャアラの頬がぱっと色づく。

耳まで赤くした自信があったが、幸いここは木の下。
薄暗くて、ベルは気づかないみたいだった。


「ほら、雨の日ってどことなく気分が沈みがちになるだろ?」
「え、ええ……」


確かに、物語なんかでも悲しいシーンは大抵が雨の日だ。
ザアザアと響く音は、時として無音の中にいるよりもずっと怖い。


「シャアラは家に一人きりだろうからね。放っておけなくて……」


シャアラは、小さくうつむいた。


――嗚呼、心臓がうるさい。


雨音なんて、目じゃない。
ドクドクドクドク、潰れるんじゃないかと思うくらいだ。

たったそれだけのことなのに、嬉しくて、幸せで。
でも少し、悲しい。

ベルがそんなことを、あまりにサラリと言うものだから。


(あたしは、まだまだ“妹”ね――)


しとしとしとしと、雨が降る。
この雲が晴れるには、一体どれだけの時間がかかるのだろう――






(2)


「降ってきやがった……」


ハワードは空を見上げ、小さく舌打ちした。

「ほら、あそこに行くぞ」

メノリが早口でそう言い、小さな洞窟を指し示す。
ハワードも手に取った弓をしっかり握りしめ、後を追った。

リュックに詰め込んだ果物が後ろでごろごろと背中を刺激したが、構ってはいられない。

雨は、すぐに本降りとなった。













洞窟の中の空気は、湿気だらけでじめじめとしていた。


風の通り抜ける音は、まるで人のうなり声のようで、実はほんの少し怖かった。

それでもメノリが近くにいるから、気を張って中に足を進める。
怖じ気づいたなんてばれたら、絶対、笑われる。


「全く、ついてないぜ」

ハワードはため息をついて、濡れた髪をかき上げた。

じっとりと肌に服が張り付いて、気持ち悪い。
いっそを脱いでしまおうかと裾をつかんだ。
その時だ。


「な、何をしているんだ!!」


メノリの、少し裏返った怒鳴り声。
ハワードは振り返り、眉をひそめた。


「何って、濡れたままだと気持ち悪いだろー?」
「馬鹿! それくらい我慢しろ!!」
「はぁー?」


ハワードには、メノリの言うことがさっぱりわからなかった。

裸なんて、今までに何度も見せてきている。
今更恥ずかしいもくそもない。
ましてや自分は男だ。


「裸など、公序良俗に反する!」


しかし一方のメノリは気が気ではない。
皆がいる場ではともかく、ここでは二人きりなのだ。

ハワードのことなんざ別に何とも思っちゃいないが、それでも彼が自分とは違う性別の人間であることは事実である。

異性への免疫なんて皆無に等しいメノリが、裸の男が近くにいて平気でいられるわけがなかった。
ただそれだけだ。


……だというのに、ハワードは何を勘違いしたのか、にやぁと気味の悪い笑い方をして


「ははーん。さてはメノリ、僕のことを……」


とのたまう。


「はぁ!?」


それに、メノリはほぼ素で素っ頓狂な声を出した。

何故そうなる!!


「ま、僕って見た目はいけてるし? 紳士だし? オマケに本物の上流階級の人間だからな〜」
「ふ……お前が紳士? ちゃんちゃらおかしいわ!!」

メノリは鼻で笑った。

「紳士は人前で裸になったりするものか」
「緊急事態だったらいいんだよ。第一、裸にならないのはレディーの前だけだ」
「私は女だぞ?」
「僕よりもたくましいお前が女だなんて認めるか」
「…………」


メノリは自分の言葉が詰まるのを感じた。


男勝りだなんて、今までさんざん言われてきた言葉だ。

けれど、何故だろう。
ひどく傷ついたような、気がする。


(冗談じゃ……ない)


何故、こんなことで傷つかなければならないのだ。


「……雨のせいだ」
「ああ? 何か言ったか?」
「……何も」


そう全部、雨のせい。


メノリは自分にそういいきかせた。


良い思い出の少ない雨だから、きっといつもより繊細になっているのだ。

ただ、それだけだ。






(3)


「大丈夫か?」
「ええ。……ごめんなさい」
「謝る必要はない」


ルナはふう、と息を吐いた。

突然の雨に、河原の砂利で足を滑らせてしまった。
その際、右の足首を軽くひねってしまったらしい。


「このまま河の近くにいるのは危険だ。歩けるか?」


確かに、いつまでもここにいるわけにはいかない。
河は簡単に、人を飲み込んでしまう。

ルナはうん、と頷いた。


「大丈夫よ」


そう言って、何とか立ち上がる。
じくじくと足首が痛んだが、そうも言ってられない。


カオルはそれに、はぁ、とため息をついて。
それからおもむろにかがみ、背中をルナに向ける。

何をしているのかと、呆然と立ちつくしていたら、カオルはただ一言、言った。


「乗れ」


それが、つい数分ほど前の話だ。













ルナは悪いから、と何回も断った。
けれどカオルは、いいの一点張り。


「その方が早い」


その一言が決定的だった。



ルナは今、カオルの背におぶわれている。

身長はそこまで変わらないのに、その背中はルナよりずっと広かった。
それには改めて、男の子なんだなあ、と思う。


「重くない?」
「……ああ」


返ってくるのは、素っ気ない返事。
それでも嘘は言わない彼だから、少しほっとする。


カオルはなるべく獣の少ない道を選び、進んでいった。

本来ならば雨がやむまで、どこか安全な場所に待機しておくべきだろう。
けれど二人とも既にびっしょりと濡れているし、ルナは怪我まで負っている。

もしも雨が長く続けば、危険度は今よりずっと増す。
暗くなる前に家に帰るのを見計らおうにも、そこまでどれだけの時間がかかるのか、全く予想が付かない。
それならば多少の危険は犯しても、今帰ってしまう方が安全だと判断したのだ。


カオルの細い髪から伝い落ちた水滴が、ルナの手の甲を濡らす。
ルナはそれが申し訳なくて、ちょっと目を伏せた。

「ごめんなさい。私の不注意で迷惑かけて」

もっと、周りに注意をはらっていたなら……。

そうしたら、きっと二人してここまで濡れることも、大変な思いをさせることもなかった。


カオルは、ちらりと横目で後ろのルナを見た。
けれどそれは、ルナに気づかれる前にすぐに戻される。

変わりに、カオルは小さく口を開いた。


「……もし転んだのがシャアラなら、お前はどうする」
「え……」


転んだのがもし、シャアラなら――?


ルナは首を傾げた。
質問した意図はわからなかったが、答えは決まりきっていた。


「カオルと同じことするわ」


迷惑だなんて、決して思いやしない。
助け合いこそが、今の生活の中で最も必要なことだと思うから。

そこまで考えて、ハッとカオルの後頭部を見る。
けれどカオルは、それ以上は何も言わない。

でも、分かった。
それが、伝えたかったこと。


「……ありがとう」


――気にするな。





「――あ」


ルナは空を見上げた。
雨はいつの間にか、やんでいた。


「カオル、見て見て!」


変わりにそこにあったのは、天地にかかる、大きな、七色の――


「虹だわ……」


とても綺麗な、光の結晶。






(4)


「もー、最悪だよ」


シンゴは膝を抱えて呟いた。


海辺の、岩と岩が重なって出来た小さな岩窟。

そこに腰を落ち着けるのは、シンゴ、チャコ、アダムという、地求人に異星人にロボット、一昔前の映画のような組み合わせだ。


三人は、突然振り出した雨にも大して濡れてはいない。
視界が開けた海辺では比較的早くあの雲に気づけたし、避難場所もすぐそこにあった。

せっかく作っていた塩は半分がダメになったが……。
それは言い換えれば半分は確保したということだ。

それだけでも、狩りの最中であったろう他のみんなよりマシだろうと思う。
海辺には、滅多に獣も来ない。

わかってはいても、言わずにはいられなかった。


「こればっかりはしゃーない。コロニーとはちゃうんや」

チャコの言葉に、アダムは首を傾げた。

「コロニーでは雨は降らないの?」
「いや、降るで? ただし、人工のな」
「じんこう?」

耳慣れぬ言葉に、アダムがまた尋ねる。
まだまだ知らない言葉が、彼にはたくさんあった。

「人の手によって作られた、ってことや」
「コロニーの雨は、あらかじめ監理局が降らす量や時間を決めているのさ。大きなシャワーでコロニー全体を濡らす、って感じかなぁ」
「えぇ、シャワーを?」

アダムは小さな穴を数個開けただけの竹を思い浮かべた。
彼にとって、シャワーといえばそれなのだ。

アダムの想像を察したチャコは、ちょっと笑って手を顔の前で横に振る。

「もちろん、あないなんがコロニーの上についてる訳やないで。見かけは普通の雨と変わらん」
「でも絶対にたくさんの人が出かける時間や、決められた時以外には降らないから。今から思うとすごく不自然だったよね、便利だけど」
「へぇ、コロニーってすごいんだね」

獣に襲われる心配はないし、食べ物は豊富で、夜でもピカピカと明るい。

でもここで過ごすみんなとの生活が大好きなアダムは、それに感心こそすれ、大きな興味を持つことはなかった。


「お、雨がやんだみたいやな」
「あ、ほんとだ」

シンゴとチャコが外に出て行く。
アダムも、その後に続いた。

空を見上げる二人の真似をして、顔を上げる。

弓形の、七色の光が空と海を結んでいた。


「わぁー……」
「綺麗やなぁ」


雨は予告無く降るけれど、塩も半分はダメになっちゃったけど。
でも、こんな景色はきっとコロニーでは見れない。


だから、やっぱりこっちの方がいいや。


アダムはそう思って、ニコッと笑って見せた。








あとがき


個人的にはけっこう気に入っています。
自画自賛ではないですけど。

唐突に思い浮かんで、書きたい、と思ったままの勢いでの制作でした。
睡眠時間をまたもや削ってしまった……。
一度書き出すと納得するまでなかなか寝付けなくなるんですよねー。

ちなみに一番書きたかったのは、最初のシャアラとベルのお話です。
真っ先にできあがりました。
続いて、独り身トリオ。

正直言って、私の中で今回のお話はハワメノとカオルナはオマケみたいなものです。めずらしく。

特にハワメノ……あまりに薄すぎる。
いや、ネタが引きづりおろせなくて……。

時系列的には冬が始まる前。
だんだんアダムが言葉を覚えだした頃でしょうか。











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