ハチ公前で待ち合わせ 1/1
傘を返すために神楽という少女を探している。 だが全学年3クラスのどの中にも彼女の名前はなく、おかしいなと首を傾げて、融通の利く先生に話を聞くため職員室まで来た。
「つまり何、お前俺をパシリに来たの。」 「融通が利くでしょ。」 「こき使ってるよね、パシリだよね。」
珍しい銀髪に死んだ目をした白衣の先生の名は坂田銀八と言って、いつも怠そうにペロペロキャンディを加えている変人である。
彼は一年ほど前、入学して半年も経つかという頃になってもクラスに馴染めなかった私をどこかで見ていたのか、声をかけてくれた人だった。 それからは、ちょっと彼に懐いた。
「神楽なら、俺のクラスだけど。」 「え、クラス持ってたの?」 「これでも担任なの。」
この人が担任したら確実に学級崩壊しそうなんだけど。 顔に出ていたのか、失礼じゃない?と額をどつかれた。
「その傘どうすんの?俺が代わりに返してやってもいいけど。 つか職員室入る時私物全部廊下に置いてこいって習わなかった?」 「他人の物であって私の私物ではない。」 「他人の私物だろーが。」 「勢いで持って来ちゃった。 別にいいでしょ、ハチしかいないもん。」 「今授業中なの分かってる?」
その犬みたいなあだ名やめてくんない?と言ってもう一度私の額をどついた。 坂田も銀八も、先生をつけて呼ぶと長く感じるもんだから、親みを込めて私は彼をハチと呼んでいる。 可愛いよね、なんか。 はち、ハチ〜と、二人きりの職員室に私の声が響いた。
どうでもいい話だが絶賛サボり中である、というのも、私は滅法朝に弱く、夜に強い。 語弊があるかもしれないが、そのままの意味だ。 故に朝起きられなくて遅刻することが多々あり、その時はこうして銀八先生にサボり付き合ってもらっている。
「で、どうすんだ?それ。」 「自分で返しに行くよ。教室の場所おし──」
えて、と言いかけた言葉は、突然開いたドアの音にかき消された。
「よぉ。」
我が物顔で後ろ手にドアを閉めながら銀八の前まで歩いてきたその人は、これまた特徴的な、眼帯をした男子生徒であった。
不良だ、これはまごうことなき不良だ。 着崩れた制服に切れてかさぶたになった唇の端、そして仄かに漂う煙のにおい。 私が萎縮している横で、二人は世間話の如く話し始めた。
「また喧嘩したって? 昨日の今日で来ねーかと思ったわ。」 「フン、火種がこっちにいるってんでな。 シメにきたついでだ。」 「ほどほどにしとけよ。 じゃないと怒られんの俺だから。」
止めろよ天パ、思考回路までパーかよ。 映画やドラマでしか見て来なかったリアルガチ不良を目の当たりにして、私の心は凄いの一言。 他に言うことが思い浮かばない。
その後も二人は私を取り残して物騒な世間話を続けるから、何だか居た堪れなくなってしまう。 神楽さんに返すのはいつでもいいと言われたし、不良の彼が現れてタイミングも悪くなっただろう。 ハチのクラスならいつでも頼めば連れて行ってくれるはずだから教室にでも戻ろうと一歩足を引いた。
「そうだ高杉くん、こいつも教室に連れてってやってくれない?」
あァ?と睨まれた。 無理、怖い。
「神楽に傘借りたんだと。」 「…ほぉ。」 「い、いい。今授業中でしょ。 後でにするから。」
そう言って逃げようと背を向けると、思ってもみなかった、腕を掴まれる感覚。 決して強引なものではなく、本当に優しいものだった。 梅雨の間冷えることもあるからと着ていたセーターが肌に触れるかのすれすれのところ、こそばゆい感覚が走って振り返ると、掴んでいたのはなんと、高杉くん。
「どうせ授業になんてなっちゃいねェよ。」
連れてってやる。 読めない笑みを浮かべて、今度こそ彼は私の腕を握った。
「じゃあヨロシク、高杉くん。」 「ハチのいじわる。」 「クッ…何だその犬みたいなあだ名。」
だからやめてって言ったんだろ!と喚く銀八にあっかんべーしてやった。 めんどくさいからって不良に私を押し付けやがって。 ざまぁみろだ。
もっとからかってやろうと身を乗り出した私を、高杉くんが床に無造作に置かれた私の鞄ごと引っ張って、結局何も言えずに職員室を出る。 不良なのに、その手は痛くなかった。
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