真鶴に託す | ナノ



昨日と十年
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乱れた呼吸が、やけに鼓膜に響いた。
手足の感覚など無いに等しく、視界もぼやけているのに、聴覚と頭だけは嫌に冴えていた。

背中に負ぶった二人の体を落とさぬよう、体を傾けてひらすらに、歩き続ける。
踏み出しているかなど感じない。
ただ進まなければいけないという意思だけが、確かに足を動かしていた。

「みんなで…、帰る、の。」

三人揃って里へ戻らなければならない。
あの人が帰ってきた時、そこには今までと何も変わらない環境がなければ、あの人がいなくなる前のままの状態で出迎えなければならないのだ。

目を背けているのは分かっている。
冴えていく頭で、耳のそばで微かに感じる呼吸が、たった一つしか無いことなど。
分かってはいるけれど、…彼女は助かるのだと思いたかった。

体が冷えていく。
全身を濡らしている血が固まり、服は重さを含んで纏わりついていた。
ひんやりとした感触はやがて表面だけではなく皮膚を貫通して内臓にまで届く。

ひたり、ひたり。
踏み出せば踏み出すほど、体内では気色の悪い音がした。

死に苛まれているのに、懐かしい笑顔ばかりが頭を掠めては、漸く宿った虚しさに自嘲した。
その時、朧な視界の、はてどのくらい先だろう。
声を張り上げ、真っ直ぐこちらに近付く輝かしい色が見えた。

「─────迎えだ。」

口から出た言葉は鮮明であった。
迎えが、果たして里に戻るための迎えなのか、又は寒気に覆われた鈍くなった身体を解き放つための迎えだったのか。
月に照らされて煌めく金色の彼が私たちに手を伸ばしたその瞬間に、悟る。

「ツカサ…!」

はっきりと名を呼ばれたのが分かった途端に、膝から力が抜け、背負っていた二人の重さをもろに受け、崩れ落ちる。
寸前で駆けつけた彼の腕に飛び込む形で、胸に身体を凭れかけた。

状況を伝えたければと口を動かそうとするけど、一気に緊張が解けて身体が言うことを聞かなくなってしまっていた。
辛うじて、二人を見つけた場所だけでも知らせねばと情けないくらい低くあげた腕で方角を示す。
すると彼は部下を引き連れていたのだろう、振り返って指示を出し、のちに幾つかの影が私の歩いて来た方向へ飛んで行った。

「ツカサ、手当てを。」

彼の他にもう一つ私に伸ばされる手、恐らく医療忍者のものだ。
しかしそれを掠れた声で止めた。

「わたしじゃ、ない…はやく、」

二人を助けて。

返事はなく、迷っているようだった。
教え子を救うか、実の子のように可愛がってくれていた私を救うか、優しい彼は迷っている。

でも、大丈夫。
私はきっと生き延びるだろうから、あの二人を助けてと未だに応えない彼にお願い、と懇願するとやっと頷いた。

あの子達を頼むと指示を出して、彼はそのまま私の手を握って、ただ抱きしめてくれた。
温かいはずの体温も感じず、身体が冷えて、感覚を失いつつある。


「こちら無事を確認致しました!」


良かった、間に合った。
薄く笑うと彼は私の頬を撫でて、よく頑張ったと褒めてくれる。
良かった、これで帰れる。
これから里に戻って、怪我を治して、みんなであの人の帰りを待つのだ。
誰も欠けることなく、私たち四人で。

「ツカサ?」

あの人はきっとこっ酷く怒られるだろう。
危ない真似をしやがって、死んだかと思ったじゃないかと怒られるだろう。
そして泣きべそをかくあの人を、私とあの子でたっぷり慰めて、撫でて、抱きしめてやるんだ。
生きてて良かった、おかえりって。

「ツカサ。」

あの人はきっと、笑ってくれる。
また懐かしい笑顔を私たちに向けて、大声で誓うんだ。
火影になってやるって。

嗚呼、未来はこんなにも明るい。
こんなにもあたたかい。
はやく帰ろう。
私たちの里に、あの人のいるところに。

「ツカサ、ツカサ!駄目だ、」

目を覚まして、と声が聞こえる。
でも私はもう限界だった。
寒気はとうに収まって、じんわりと心が熱を感じる。
少しだけ、ほんの少しだでいいから眠らせてほしい。
すぐに目を覚まして、また笑うから、今だけ、今だけ。

「帰るんだろう、ツカサ!」

…うん、帰るよ。

「君の帰りを待っているんだよ、だから起きて。」

でも、だめなんだ。

「約束したじゃないか。無事に戻るって。」

…あぁ、破ってしまった。

「ツカサ、」


「ごめん、なさい。」


本当はもっと沢山声をかけてくれて、何度も私の名前を呼んでくれていたのだろう。
応えることができないのが、悔しくて、悲しくて、でも幸せだった。

名前を呼んで。
震えるばかりの唇で、ちゃんと言葉にできただろうか。
息が漏れただけのそれを、しかし彼は必死に耳を傾けて拾ってくれた。

私の頬を流れる滴を掬って、多分きつく抱きしめたんだと思う。
全ての音が遠のく中、彼の顔がすぐ近くにあって、最期は耳元ではっきりと彼の声がした。

「おやすみ、ツカサ。」

そうして、私は彼の腕の中で息を引き取ったのだ。


これが私にとっての昨日であり、今見下ろしている先にいる男にとって十年以上も昔の話になる。


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