もっと、ながく 1/1
お買い物は急遽先延ばしになってしまったが、もともと一日かけて戻る予定だったから、折角だし水入らずでお話しすることにする。 腰掛けたのは森の中にあった湖のほとり。
イタチくんの連れである猫背の男、記憶が正しければサソリだった気がするのだが、彼はここから離れた会話の聞こえない場所で待機している。 サソリさんは「オレは待つのも待たせるのも嫌いだ。きっかり10分で済ませ。」と言って背を向けてズルズル身体を引きずって消えた。
何故サソリさんに攻撃されたのかこっそりイタチくんに尋ねると、気まぐれで人傀儡にしようとしていたんだとか。 私を見逃すのも気まぐれのうちってわけだ。
不思議な心持ちだった。 立っていようと座っていようと、私はイタチくんを見上げてばかりで、嬉しくもあり寂しくもある。 私の知るイタチくんは、紅葉のような手をした赤ちゃんだったのだから、仕方もない。
「私のことなんて教えられてないのだと思ってた。」
よくわかったねこんな昔の人を、と自嘲気味に言うと、荒む私とは反対に目を伏せ穏やかに笑う彼が。
「あなたの写真を見て、育ってきました。 知らないはずがありません。」
会ったことなどない私に会いたいと切望していたのだそうだ。 それにしたって、既に死んでいる私を見つけて、何も疑問に思わないのかと聞こうとしたけれど、野暮な気がした。 秀麗な横顔を眺めていると、不意に黒曜石の瞳と交わって緊張が走る。
「あ、あのね、今男の子と一緒に暮らしてて、サスケくんって言うんだけど…」
ほとんど何も考えずに言葉を発していた。 一々説明などしなくたって、名前一つ言葉にしてしまえば、イタチくんは全てわかってしまうのに。
「サスケ…?」
問われてハッと気付いた。 一族を滅ぼしたのは他でもないイタチくんであり、サスケくんを生かしたのも彼であろう。 イタチくんの真意は知りようがないものの、サスケくんは殺したい男がいると、あいつを殺すために…と常日頃口にしていた。 それがイタチくんを指しているのだと、私は何故か深く考えずにいて、今になってようやく気付く。
「ごめん、なさい…サスケくんは、イタチくんを倒したいって。 あなたを憎んでるみたい。」 「ええ。…そんな顔をしないでください、オレがそうさせたのです。」
引きつってしまう頬を、イタチくんの骨張った、けれど滑らかな指が撫ぜる。 それは私を通して、その先にいる誰かを映しているように感じた。
「サスケくんを生かしたのは大切だったから?」 「オレの弟です。」 「あっ弟なんだ…そっか、弟……弟?」
いやいや、イタチくんに弟がいるなんてミコトさんに聞いてない…聞いてないのは当然なんだけど! うそ…と驚きすぎて掠れた声に、自分でまた驚いた。
じっと穴が開くほどイタチくんの顔を見つめて、サスケくんと重ねてみて、ミコトさんとフガクさんを思い出す。 二人とも母親似で、目元が特に。 そうか、初対面でサスケくんが誰かに似てると思ったのはミコトさんの息子だったからなんだ。 そばにいると何故か構いたくなるほど辛かったのは、そういうことだったんだ。 合点がいって、私の心は満ち足りた。
大好きなミコトさんの息子さんの隣に、何の因果か立てているのだ。 あの夫婦の形見が、こんなにも近くにいる。
「嬉しい…嬉しいよ。 もっとサスケくんもイタチくんも、大切にしなくちゃ。」
潤んでいく瞳から溢れた涙を、イタチくんは当然のように掬ってくれて、初めてのくすぐったい気持ちに、身を捩らせる。 でも、頬が緩んでいく私とは反対に、イタチくんは表情を曇らせて私を見つめているだけだった。
「イタチくん…?」
すみません、と彼の低い声が、見えない雫となって落とされた。 何に対しての謝罪かなんて、分かっている。
私が帰るはずだった故郷を、彼はその手にかけて、全て亡き者にしたのだ。 その中には私の大好きなミコトさんやフガクさんがいて、そして、私の母も含まれていることが、彼の黒曜石の瞳を通してすんなりと受け取れる。
彼から滲み出る息苦しさを、私は全て消し去ってあげることなどできはしないけど、今度は頭一つ分も上にあるイタチくんの顔に私の手を伸ばした。
「理由があったんでしょ、私は知ってるよ。」 「………。」 「だってミコトさんの子だもん。 イタチくんは優しい人だって、私知ってるよ。」
ちゃんと彼に触れられているだろうか。 感覚のない手で彼に何か伝えられるとは思っていない、それでも、自分を責めるような顔をしてほしくはなかった。
湖畔を通り過ぎる風が、草木を揺らして、心地よい音を立てる。 煽がれた木の葉が水面に落ちるそんな音も鮮明に聞こえるほどの穏やかな沈黙が続いた。 絡み合う視線を反らせずにいた中で、先に動いたのは、イタチくん。
頬に添えたままの私の手をゆっくりと取って、彼は笑う。 そして次には、全ての音が遠ざかって、視界が黒く塗りつぶされていた。
「ツカサ。」
初めてイタチくんの声で呼ばれた名前に、じんわりと、心から熱が沸き上がる。 でも次第にあたたかく感じるのが、心だけではないと分かった。
後頭部に手を回して、覆い被さるように私を抱きしめたイタチくんから、分厚い外套越しに、体温を感じた。 ひゅっ、と自分の息を飲む音が大きく響く。 するとイタチくんは一層力を込めて、私の髪に指を絡ませ、腰をぐっと引き寄せて包んでくれた。
「会いたかった。」
記憶に残っていないはずの私に、こうして抱きしめるような価値などありはしないのに、イタチくんは、どうして私をそこまで想うのか。 何故、と問うことは、最期の瞬間以来の人のぬくもりに酔いしれていた私にはできなかった。
「…あり、がとう。」
貴方で良かった、貴女が良かった。 口にしない互いの想いすら、心に直に伝わってしまうほど、胸が強く痛んだ。
一度離れて再び近付いた彼の顔が、鼻と鼻同士がぶつかってしまう寸前で止まる。 こつんと合わさった額と瞳。
ほら、イタチくんはやっぱり優しい人なんだ。 嗚咽を漏らしはじめた私を、イタチくんはただ抱きしめて、痺れを切らしたサソリさんが長い尾で攻撃してくるまで、そばにいてくれた。
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