安息の地 1/2
「ここが、風牙の都…。」
蛇の一件があって以来、茫然自失としなくなったヨナを引き連れてハクがやってきたのは、彼の故郷、風の部族の住まう風牙の都だった。城の兵がうろついているかもしれない人里に降りるわけにはいかない彼らにとって、ここは唯一頼れる場所と言っても過言ではない。
都のゆるい門番を抜けた先で、ハクを見つけた人々があっという間に集まり、そばに立っていたユタとヨナも、その餌食となった。確か彼は将軍になってから城に住み込んでいたはずだ。久々の帰還に、門番をしていた少年も、将軍をクビにでもなったのか?と冗談半分に言っていたが、立ち話もすぐにお開きとなった。
質問攻めにあっていたヨナが目を回し、倒れたのだ。そこでハクがテキパキと寝床と食事の用意を指示し、何故かユタも巻き込まれ、女たちに引っ張って来られあれよあれよという間に身ぐるみを剥がれ、風呂に入れられた。まって、僕は男で、なんていう暇も与えられず、清潔な服を着せられた。
幸いにも、女物の服を着て慣れない感覚に外へ出るのを渋っていたユタのもとへテウという少年が顔を出し、服を貸してくれた。ようやく支度を終え、案内された部屋で眠るヨナのそばに腰を下ろして、冒頭の台詞を吐いたのだった。
ここは、変な場所だ。城の者たちの、特に自分に向けられた余所余所しい空気しかユタには馴染みがない。無償で与えられる親切というのは、あまりにも不思議なものだった。
そんなことを考えていると、眠っていたヨナが目を覚ました。ゆっくり体を起こした彼女はまだ状況を把握できていないのか、ぼうっとしている。ユタは控えめに彼女のそばへ寄った。
「姫様…ここは風牙の都です。覚えていますか…。」
こくん、と小さく頷いたヨナに、ユタは安堵した。よかった、意識ははっきりしているようだ。 部屋には静かに眠れるようにと、ユタと、風の部族の人が用意してくれた食事しかない。寝起きのヨナは、御膳から漂ういい匂いにつられ、そちらを向いた。
「足は……。」
まだ力の入らないであろうヨナのために、ユタはお椀へ粥を掬い、冷まそうとする。ヨナはその姿に、ふと湧いた疑問を尋ねた。
「ああ…ちゃんとした治療、してもらったので。 もう大丈夫ですよ………口、開けてください。」
どこか距離をとっているとも感じられるが、これでもユタにとっては精一杯の歩み寄りだった。 そろそろ良いだろう、とユタはれんげに乗せた冷ました粥をヨナの口元へ持っていく。恐る恐る口に入れ、それを飲み込んだヨナは、たちまち涙を溢れさせた。
「……なんで泣くんだ?ま…不味かった…?」
かた、と戸を開けて入ってきた幼い少年は、そんな光景に思わずぎょっとする。食べ物を口にして泣くとはユタも想像していなかったので、彼もれんげを持ったままきょとんとしていた。
「あ…温かくて…。」 「温かくて泣くのか。変なヤツだな。」 「ち…父上を………思い出して。」
泣き出すヨナに、ユタは一度お椀を戻した。幼いその少年は、ヨナの膝に乗り、 小さな体をのばして彼女の涙をぬぐう。
「俺はテヨン。ハク兄ちゃんの弟だ。」 「……ハク将軍の?」
その容姿からは結びつかない、高華の雷獣の姿をユタは思い浮かべた。ヨナも意外だったのか、すっかり涙は止まって、目の前の少年に釘付けになっている。
「お前たちはハク兄ちゃんの友達か?」
愛らしい瞳で、テヨンは無邪気に問いかけた。当の聞かれた二人は、え、と頭をひねって考え出す。そしておもむろに目線を合わせたかと思えば、
「……………………………………たぶん。」 「……………………………………いいえ。」
揃って微妙な返事をした。
「たぶん友達──────────ッ!?」
次の瞬間、勢いよく開かれる戸にヨナの肩が跳ね上がる。現れたのは門番をしていた少年テウとヘンデ。それからその後ろで何やら不穏な空気を漂わせるハクだ。誰が友達だ、と不服そうな彼はヘンデを踏み潰してこちらへやってくる。
「え…じゃあ従者……」
それから危うく自分の正体を明かしてしまいそうになるヨナの口を押さえてその上にのしかかった。小声でやりとりをしているのはぎりぎりわかったが、あまりに突然のことだったので、ユタも思わず体を仰け反らせている。それが視界に映ると、ハクはヨナから身を引いて、ユタにもヨナの正体をバラさないよう簡潔に伝えた。
うんうん、と頷いている二人に満足げに微笑むと、ハクはすぐ後ろでテヨンの目を覆っているテウとヘンデに飛びついていく。ハクは、気を許した相手には、こんなに遠慮がないのか。城でみていた彼の意外な一面に、ユタは微かに口元を緩める。
テヨンと会話を続けるヨナは、この日はじめて笑顔を取り戻した。穏やかな風が流れるここで、彼女の傷が癒えますように。他からすれば変化のないユタの表情が和らいだことに、ハクは人知れず胸をなでおろした。
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