くろぼしおおあまな


「ルシタニアの追手の数は!?」
「五百騎といったところか!」
「ちと多いな!」

王都奪還に兵の増強は不可欠である。身を潜めていた小屋を出た一向はダリューンが提示した、この先にあるカシャーン城塞に住むホディール卿に助力を求めるため、山道を進んでいたのだが、運悪くルシタニア兵に見つかってしまった。

「殿下!もうすぐダリューン卿が兵を連れてまいりましょう!ご辛抱くださいまし!」
「うむ!」

アルスラーンの額にも汗が滲み、時折後ろを振り返っては険しい顔をしていた。弓使いであるファランギースとギーヴ、それからエラムは器用に馬に跨りにながら矢を射っては敵を倒していく。
弓が不得意なばかりに歯がゆい思いをしていたのはサルシャーンで、見ていられなかったのか、最後尾を走っていたエラムをアルスラーンの隣に呼んだ。

「サルシャーン、戻れ!」

踵を返して敵の中に単騎で乗り込んでいくサルシャーンにナルサスが怒声をあげるが聞く耳持たず。アルスラーンの心配を他所に、ギーヴたちの矢とともにその手に持つ剣を突き出し、次々と敵を切り裂いていった。

撃ち返せ、とルシタニア兵も負けじと指示するが、それは無駄に近い。騎馬民族であるパルス人には馬術や馬上弓では敵わないのだ。ルシタニア兵の放つ矢はギーヴたちに届かず、すぐ目の前にいるバートンも軽やかにそれを避けてサルシャーンを助けた。

「奴らに夕日を背負わせるな!
回り込め!!」

馬を一層早く走らせようとしたルシタニア兵たちを遮るように、角笛の音が響く。直後、上方よりダリューン率いる味方からの攻撃が始まった。

退却の合図で我先にと逃げていくその背中にバートンが脚で砂をかけてから、ナルサスを通り過ぎてファランギースの横へと並ぶ。

「なんだ、まだ拗ねているのかサルシャーン。」

面白がって言っているのが更にサルシャーンの機嫌を悪くさせる。悠々と笑みを携える黒衣の騎士に向かって拗ねたように睨むその姿は珍しい。
お手上げとばかりに両手を掲げたナルサスに背を向けると、そのままサルシャーンは一言も話すことないまま、カシャーン城塞に足を踏み入れた。


城に着いた途端、あれよこれよと城主であるホディール卿の指示に従って使用人に武装を解かれ、気付けば夕食の席に座っていた。

ホディールはよく喋る男だったが、印象のいい方ではない。ファランギースは彼の舌は油を塗っていると言っていたが、その通りで滑るように喋り続けている。

席に案内された際、サルシャーンはナルサス、ダリューンとともに座るよう指定されていたが、柄にもなく嫌がって静かに駄々をこねた。見兼ねたアルスラーンが良い良い、と自分の隣にサルシャーンを座らせて、ようやく気も済んだようで、見たことのない料理に興奮するエラムたちを放って、落ち着いて食事をしている。

「殿下。」

ホディールに声をかけられたのはサルシャーンが取ってくれたシャーベットをゆっくりと咀嚼している時だった。

「私には息子はおりませんが娘がおります。」
「はぁ…そうなのか。」
「年は十三。これがなかなかの器量良しでしてな。
いや、親馬鹿と言われるかもしれませぬが、」

ずいっと身を乗り出すホディールにピリピリと自分の横から殺気が放たれるのをアルスラーンは感じた。殿下、と気遣わしげに、そして苛だたしそうにサルシャーンが呼ぶ。

「もし殿下のお側に仕えさせていただけるなら、娘にとってもこれ以上の幸福はございませんな。」

勢いよく吹き出したアルスラーンに肩をビクつかせて微かに身を引いたサルシャーン。突然のことにその場にいる者皆に注目されてしまった中で、妃がどうのとホディールは続けた。

「殿下、これで拭いてください。」

まだ顔を近づけたままのホディールにいけない、と首を退けた先で、大きな瞳とぶつかる。怪訝そうに眉をひそめたサルシャーンを見た途端、アルスラーンは焦り始めた。何か言い返さなくては、と。

「くっ…国が混乱している今それどころではない!」
「それでは落ち着きましたら…」

ホディールが言い終わらないうちに席を立ち、風に当たってくるとその部屋を後にしようとする。

「私もお供いたします。」
「いや、サルシャーンはここに残っていてくれ。」
「…?」

咄嗟に突き放してしまったが、ほのかに熱くなる自分の頬に、その判断は間違っていなかったと思う。殿下のお側に仕えさせていただけるなら≠ニいうホディールの言葉。アルスラーンが無意識に向いた先にいたサルシャーンに、そうだ、側には彼女がいるではないかと思った。
尚も不思議そうに首を傾げているサルシャーンと視線が合うと、アルスラーンはすぐに顔を逸らした。サルシャーンは何とも思っていないのだろうが、一方的に気まずいだけに、足早に部屋を出て行く。考えれば考えるほど煩悩が増して頭が痛くなる。
後をついてくるギーヴは追い払えなかった。




*



アルスラーンが広間を去った後、ホディールはダリューンやナルサスと向き合ってしまって、サルシャーンには興味を示していないようだった。素っ気ない、というよりは焦っていたアルスラーンのことを追いかけようともしたが、ギーヴが立ち上がったことによってまたその場に腰を落とすことになった。

こんな豪勢な食事、余ったらどうするのかとぼんやり思うが、完食するために貢献しようとはしない。食は細く、気がかりな事も多くあり、より少食になっている。一口一口、亀のように遅い手付きで口に運んでは、また亀のようにそれを噛んで飲み込んで、傍らでされる会話を聞いた。

「この城には三千の騎兵と三万五千の歩兵がいます。」
「それは頼もしい!」
「殿下にもよく訓練されているとお誉めにあずかりました。」

サルシャーンはこのホディールという男が気に食わなかった。諸侯だか何だか知らないが、アルスラーンに娘の話を勧めたり、人の良さそうな顔をして心から思ってもいない慰めの言葉を言ったりするホディールが、疑わしくて仕方がない。いつ寝返るかもしれない、王族に媚びる安っぽい貴族のようで。

「ホディール殿が殿下を擁して起つとなれば、他の諸侯も呼応してくれることでしょう。」
「そうですとも!
ルシタニアを追い出し殿下には一日も早く王都にご入城いただく!
それこそが、このホディールの願い!」

本心でもないのによく口にできたものだ。拳を作ったホディールを視界に入れることすら腹立たしくて、器を置いて静かに目を閉じた。

「サルシャーン様、もう食べないのですか?」
「様はいらぬと言ったぞエラム。」

口いっぱいに放り込んだ食べ物を飲み込んでから、ナルサスの背後から移動してきたエラムが飲み物を差し出してくれる。酒か、と問えばそんなわけないでしょうと半笑いで返された。酒に強くはないけど飲めないわけではない。期待してしまった理由は自分でよく理解している。

「ある人を、思い出していた。」

酒瓶を豪快に煽っていたあの人は、首だけになってしまったのか、アトロパテネの戦から逃げ延びたのか、知る由はない。ところで、とエラムが話題を変えようとしたが、言い出し辛そうである。

「ナルサス様と仲直りなさらないのですか。」

ぶふっと、アルスラーンではないが飲み物を吹き出しそうになった。

「別に喧嘩をしているんけではない!
ただ、自分があまりにも情けなくてな…。」

エラムがそう言ったのも、身を隠していた小屋を出る前からサルシャーンとナルサス、更にはダリューンの間では微妙な空気が流れていたのだ。


原因をエラムは聞いていないが、それは三人が王都から帰ってくる道中に遡る。

サルシャーンは王都で火傷を負った男と会ったことを、話すつもりはなかった。だが、ダリューンたちと合流し、山小屋へと向かう最中、彼らが話す銀仮面について聞いていたところで、サルシャーンは自分の犯した大きな過ちに気付いてしまったのだ。

王都で出会ったあの火傷の男は、まさしく彼らのいう銀仮面だった。それに気付かず、剰え逃してしまった自分の不甲斐なさに、サルシャーンはひとり拗ねていたのである。


いつまでも引きずり、彼らにまで不快な態度を向けてしまうのは良くないと分かっているが、中々自分から謝りにいけないのが、サルシャーン一家の血筋。彼女の兄たちも頑固だと聞く。

「ナルサス様は怒っていませんよ。」
「うぅ…わかっているよ、エラム。
それに、今はそれどころではないしな。」

サルシャーンが視線を向けた先では、ホディールがナルサスがダイラム領主時代の奴隷を解放したことを持ち出して、油まみれの汚らしい笑みを深く顔に刻んでいる。昔のことですと動じずに返したナルサスをよそに、穏やかでないのは子ども二人だった。
ナルサスもダリューンもとっくにホディールの本性に気付いているのだろうが、何も指摘しない。戦いなら胸を張って先頭に立てるが、生憎戦の采配やらは、サルシャーンにとって苦手分野であり、全てナルサスたちに丸投げしていたこと。

ひとえに、ナルサスの頭脳を認めているからであり、その判断に意を申したことはなく、指示には従う。今回も当然、指示があるまで手出しはできないのだが、相手が相手なだけに、こちらは低姿勢でいなくてはならない。数万の兵が手に入れば、大きな利益になるからだ。
見ている限りでは交渉が決裂しそうだが、ここは大人たちがどこまで成功に持っていけるか、歯ぎしりしながら待つことにする。正直サルシャーンには成功しようが失敗しようが、どちらでも一向に構わない。ただ仲間に指一本でも触れることがあれば、即座にそれを叩っ斬るのみだ。

「仲直りできそうでよかったです。」

考え事をしているサルシャーンに聞こえているのかは定かではないが、いつも喧嘩ばかりしている彼女が見つめる先にはちゃんとナルサスがいる。お互いしっかり想いあっているようで、エラムは心底、安心した。


黒星大甘菜 -純粋-

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