はなすべりひゆ


崖に囲まれ、騎兵には不利なこの地形を王太子アルスラーンを捕らえるために進むカーラーンの隊を、森の中から見守る影がある。ナルサスの読み通り、カーラーンのその日村を一つ焼き、アルスラーンを脅し、居場所を炙り出そうとしていた。

ならば此方から教えてやろうと、ナルサスに雇われた信用ならない男をカーラーンへ送り、その男と、アルスラーンたちを見た者の証言で、カーラーンは見事この罠に足を踏み入れてくれたのだ。

息を潜め、整列して歩く軍隊を睨むサルシャーンの近くに草を掻きわけてエラムが現れる。

「そろそろ、動き出すようです。
…殿下が心配ですか?」
「大丈夫だ、ナルサスが上手くやってくれる。」

エラムが武器を持っていないのは、アルスラーンに護身用にとでも渡したからだろうか。自分ではそんなつもりないだろうが、エラムもアルスラーンを気にかけている。変なところで照れ屋なエラムの頭を撫でようとすると、はたとサルシャーンはかなり手を高く伸ばしているのに気付いて手を下ろした。

流石ナルサスの小姓と言うべきか、エラムの足元には蔓で結ばれた石が大量に転がっている。サルシャーンとエラムの役割は敵の撹乱だ。地形はカーラーンにとって不利でも、此方は数が劣っているのだ。千騎の敵にたった数人で挑むなど無謀ではあるが、その策に文句もなく賛同するのは、それだけアルスラーンに長く仕えていたダリューンとサルシャーンがナルサスを信頼しているからだった。

夜半の空に、緩く弧を描いた上弦の月が昇って、嗤っているかのように淡く輝いている。サルシャーンとエラムの潜む場所からアルスラーンの場所までそう離れてはいない。木々の隙間からはしっかり、馬に乗ろうとしている姿が見える。

そして裏切り者カーラーンとの決戦の時。アルスラーンが崖の淵まで馬を進め姿を晒すと、騎士たちはたちまちアルスラーンに向かって崖を登り始める。騎士たちの雄叫びが反響し、木の葉を揺らした。

カーラーン、パルス兵よ。アンドラゴラス王を裏切り、このサルシャーンの兄万騎士シャプールを死に追いやったこと、忘れはしない。サルシャーンは外套を深く被り、槍を携えて、背後で待つバートンに跨った。

エラムによって崖を登る足元を崩された騎士たちの後ろからカーラーンが飛び出し、アルスラーンの元まで登りつめたのが見えた。だが彼方にはダリューンが控えている。サルシャーンは、ナルサスに与えられた役目を果たすべく、バートンと共に崖を駆け下りて行った。

「左前方の林に伏兵!!弓兵がいる!!」
「右から襲撃!!」
「いや下だろ!?」
「後ろからもだ!!
「囲まれている!!?」

騎士たちの背を次々と槍で貫いては投げ飛ばしていくうちに、隊列が乱れ、兵たちが目論見通り混乱した。

「(…弓兵なんていたか?)」

崖の上からはエラムが四方から落石を、兵が駆け下りてくるかのような演出をしてはいるが、弓はアルスラーンに渡したはず。これもナルサスの策略のうちなのか?と首を傾げたが、そう悠長にもしていられない。

一人でも多く斬り倒すため、バートンの耳に、まだまだこれからだ、と話すと彼は前足を高く上げて騎士たちを蹴散らして行った。

「一体何か所に伏兵がいるんだ!!」
「わからん…わからんが、十名どころではないだろう!」
「もっといるのではないか!?」
「我ら部隊千人を相手にしているのだぞ!?」

生憎、こちらは十にも満たない。エラムの落石の数が一気に増して、騒音轟かせて降ってくる。その中でエラムが叫んだ。

「ダリューンだ!!
万騎士ダリューンが突っ込んでくるぞ!!」

すると騎士たちは情けなくも悲鳴を上げて散れ!!と一目散に退散していくではないか。背を向けた騎士たちを狙って攻撃すれば、更に慌てて馬を蹴る。

「あっけない。
殿下の元へ帰るぞバートン……ん、どうした。」

後は追わなくても勝手にダリューンが攻めてくると勘違いしてどこまでも逃げていくだろう。フードを取ってバートンの手綱を引いて向きを変えた途端、バートンがその場で後退りしはじめ、行くのを渋っているようだ。

まさか、危険なことが起こっているのか。サルシャーンは白い毛並みを撫でて宥め、崖の上へ駆け出した。




*




殿下、とサルシャーンは声をかけようとして止める。馬から下りて、アルスラーンは必死の形相で首に槍の刺さって半ば息絶えているカーラーンに死ぬなと言った。

生きてカーラーンを捕らえるはずだった。だがダリューンとの戦いでは、生かす方が困難だ。それほどにカーラーンは強く、やはり武将であった。

虚ろな目でカーラーンは集ったアルスラーンの部下たちを見回していく。女子供に、城の地下道にいた楽士。アルスラーンの腹心であるダリューンと、宮廷嫌いのナルサス。そして最後に歩み寄ってくるサルシャーンを映した。地下道で会った時は怒り心頭の彼女も、今は顔を歪めている。

「カーラーン殿…二度も私を救ってくれたこと、感謝する。」

アトロパテネと地下道、会う度刃向かってくるサルシャーンを、カーラーンは一度も自ら剣を抜き、殺そうとはしなかった。利用価値があると理由をつけてはいたが、銀仮面から救ってくれたこともまた事実だ。サルシャーンはそばに膝をついて、死に際のカーラーンに、ひとり頭を下げた。

なにゆえ見逃したのだろうなと、カーラーン自身思い返す。女だから、子どもだから。そんな単純な理由だろう。
ああ、でも、いつもしゃんと伸ばされた小さな背中がサルシャーンの真っ直ぐな強い意志が、己のせがれに重なって、戦場で切り捨てるのを躊躇わたのかもしれない。
密かにそんなことを思った、

「……精々、吠え続けること、だな。」

負けから始まった彼らの戦い。しかし、その中でアルスラーンが手にした仲間は、きっと何にも屈しないだろう。

大変な奴を相手取りましたな。
王都で待っているだろう仮面の男を哀れんだ。

「…!カーラーン殿、」
「死ぬなカーラーン!生きよ!!」

最後まで甘い王子だ。

「おぬしの命令は聞けぬ!!」

この国を取り戻すためにどこまでも足掻くがいい。そんな意を込めて吐き捨て、カーラーンは息を引き取った。



カーラーンからもたらされた情報はアンドラゴラス王が生きている、それだけだった。王を殺さず生かしておくのは何か相応の理由があるだろうから、無下に害を加えはしないだろうとダリューンがアルスラーンを元気付ける。

力なく頷いたアルスラーンに、何かを思い出したナルサスが声を上げた。

「そうだ!おぬしらを殿下に紹介せねば!」

呼ばれて前に出て跪いたのは、息を呑むほどの美しい、そして露出の激しい女性。サルシャーンは彼女の格好に、唖然として、頬を染めた。

「我が名はファランギース。
フゼスターンのミスラ神殿に仕えていた者でございます。先代の女神官長の遺言により、参上いたしました。」
「おお!ミスラ神のご加護か!
先程は危ういところを助けてくれたな。
礼を言う。」

殿下の命を救ったのなら信用がおける。ファランギースと目のあったサルシャーンは会釈をし、だが次の瞬間には怖い顔をした。

いたのだ、あの変態楽士が。なるほどバートンが嫌がる訳だ。現に暴れてギーヴに突っ込もうとするバートンをエラムが手綱を握って止めている。

「我が名はギーヴ。
王都エクバターナより殿下にお仕えするために脱出してまいりました。」

しれっと嘘つくな!しれっと!!
サルシャーンが槍を振りかざして走り出そうとするのをダリューンが捕らえる。馬といい、その主人といい。似た者というか本当にサルシャーンそのものだな、とナルサスを見ると、肩を竦めているだけでサルシャーンを止めようとしないのが腹立つ。

「カーラーン隊の残党が戻ってきてはめんどうです。場所を変えましょう。」
「少し待ってくれナルサス。
ファランギースに頼みがある。
カーラーンとその部下たちの死に弔いの詞を捧げてくれないか。」

それには一同目を見開いた。

「エクバターナに家族がおる者もあったろう。
それでも裏切りに加担せねばならぬだけの理由があったのだと思う。
ミスラ神は契約と信義の神だが軍神でもある。
どうか戦士を弔う神の詞を。」

ここで死んだ騎士のみならず、その背後にある家族のことまで考えているアルスラーンを、皆誇らしく思った。

承知しましたと、騎士たちに弔いの詞を贈るファランギースの声に耳を傾けつつ、サルシャーンはギーヴから離れようとナルサスのところへ向かう。ナルサスは横へ並んだサルシャーンに耳打ちした。

「あの男か。」
「……ああ。」

察しがいいもここまでくると怖いものだ。

「今こちら側へ引き入れておくのは得策だと思うが、異存は?」
「ない。腕はたしかだ。」

サルシャーンの反応をみるに、あの楽士とはすでに顔見知りなようだ。それならばとナルサス下した判断に、予想していた通り彼女は反対しなかった。ダリューンはそんな二人のやりとりを横目に、腕を組む。

「五人が七人か。
まぁ戦力が増大したわけではあるが、はたして信頼を寄せていいものかな。特にあの男。」
「あの女性がこちらにいる限り、ギーヴの方も問題はないだろう。」

サルシャーンでもわかる。ファランギースという彼女は稀に見る絶世の美女だ。そんな美女を、あの楽士が放っておくわけがない。

「ルシタニア軍が三十万いるとして、一人で五万人片付ければいいわけだ。
随分楽になったではないか。」

まぁ一先ずはな、と付け足したナルサスは珍しく逃げないサルシャーンの頭にぽんぽんと手を乗せた。


「む……たしかに五万なら俺一人でなんとか…。」


「……ナルサス、ダリューン殿は本気だぞ。」
「本当にやりそうだなこの男…。」

もし殿下に仇なすならギーヴもその五万に入れてもらってサルシャーンは一向に構わない。ナルサスの手に撫でられるがままサルシャーンは一騎当千の黒衣の騎士に苦笑いを浮かべた。


「さて、本格的に王と王妃の所在を確かめねばならなくなったな。
行くか…エクバターナへ。」


朝日が昇って眩しさに目を細めた。太陽を手で隠していると、不意に振り向いたギーヴと目が合う。満面の笑みで手を振ってくる暢気な楽士に渾身の睨みで返事をし、サルシャーンもエクバターナについて行こうと決めた。

いつかアルスラーンが取り戻す王都が、この空のように明るく輝けることを、ファランギースの声に想いを乗せて祈った。


花滑りひゆ -所縁の日-

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