つくばねあさがお


「きゃっ…」

弾かれた剣が遠く、侍女達の足元まで飛んで派手な音を立てて転がった。

「すまぬ!」
「い、いえ…。」

侍女達に一声掛けて視線を戻せば、剣を飛ばされた白髪の少年アルスラーン王太子殿下は、尻餅をついていた。どうやら、大将軍ヴァフリーズにより次々と繰り出される突きに怯んでしまったようだ。

城下に身を置いていたらしいアルスラーンは、王位を継承するために城へ戻され座学に追われる日々だった。そして戦に出るためにと、ヴァフリーズがこうして稽古も付けている。

が、当の王太子は大層つまらない様子だ。

「なぜ大将軍ヴァフリーズは父上の遠征に同行しなかったのだ?
おかげで毎日剣の稽古に付き合わされて散々だ。」
「此度は王都エクバターナをお守りするのがヴァフリーズ殿の任務です、殿下。」
「サルシャーンの言う通りです。
西の"ルシタニア"のみならず、東方の国々もこの都を狙っておりますゆえ。油断はなりませぬ。」

他国に付け狙われるほど、このパルスは豊かで強大な国なのだが、母国を巡り戦が絶えないのはやはり、憂鬱だ。
アルスラーンのそばにドカリと腰を下ろしていたサルシャーンは、彼と同じくつまらなそうな、うんざりした顔で空を見上げた。

「そんなに忙しいなら私の剣の稽古などつけてくれなくても良いのに…。」
「そのような覇気のないことをおっしゃられていては、立派な王にはなれませぬぞ!
それに殿下は初陣もまだですから、その日に備えて剣を鍛えておきませんと!」
「わかっているよ!わかってはいるけど…。」

初陣、か。

城下にいた頃から王子としての自覚があったのかは知らないが、アルスラーンがこの宮殿に住み正式に王子として生き始めたのは、サルシャーンが見てきたこの数ヶ月。登城なされてまだ一年と立たないのにもう初陣の話か、と気弱そうなアルスラーンを横目に思った。

「なら、サルシャーンに稽古をつけてもらうことにいたしますかな?」
「い、嫌だ。」
「む…?殿下、私では役不足だと申すのですか。」
「そうではない!サルシャーンは容赦ないのだ。」
「…戦場で容赦してもらえるとお思いですか。」

つくづく甘い王子だが、サルシャーンは彼が嫌いなわけではない。と言うのも、年の近い友人などほぼ皆無だったサルシャーンの数少ない友人が、他でもないこのアルスラーンなのである。

ヴァフリーズの計らいでもあるのか、アルスラーンが城にやって来た時からサルシャーンはそばにお仕えしてきた。初対面の時、国王アンドラゴラスの様に他者を跳ね除けるでもなく、笑って手を差し伸べてくれたことが純粋に嬉しかったのはよく覚えている。王子にしては優しい、というか優しすぎるのだ。

侍女に足を拭かれて靴を履いた彼が立ち上がるのに合わせて、腰を浮かせれば、宮殿の中に入ろうとした彼が足を止めたのが見えた。

「母上!」

駆け寄っていくアルスラーンとは裏腹に、通りかかった彼の母である艶やかな女性タハミーネは、表情を変えることなく、言葉少なにアルスラーンをあしらっていく。我が子にそこまで冷たくなれるものであろうか。国王、王妃共に、王子のアルスラーンには関心がないようだった。

「…立派な王とはなんだろうな。」

少なくとも、サルシャーンは優しいアルスラーンの方が立派な王になれそうだと思っている。




*




バサッと翼の羽ばたく音に顔を上げれば、頭上には二匹の鷹が円を描いて飛んでいた。告命天使スルーシ告死天使アズライールである。

「ほぉ!こやつらが帰って来たということは…。」

戦に出ていた者たちが帰還したようだ。

おいで!と呼んだのに、アルスラーンはアズライールを受け止めきれず、地面に転がっていく。すかさずサルシャーンは彼の元へ詰め寄り、顔を輝かせた。

「殿下!行ってもよろしいですか!」
「う、うむ。」
「感謝いたします!」

大袈裟に頭を下げてあっという間に走って行くサルシャーンの背に、アルスラーンとヴァフリーズは苦笑を零した。
よろしいですか、と尋ねてどこへ行くのか。常に一緒にいるアルスラーンは把握しているものの、例えその訳を知らなくとも、あんな顔をされては否とは言えない。たった一つしか年は違わないが、この時だけはサルシャーンが年下に見えてしまう。

「まったく、仕方ありませんな。」
「…良いのだ。」

消えた背中に向けられた羨望の眼差しには、誰も気付いていない。




*




「兄上!!」

目印である白馬の元に駆け寄れば、横に立つ男は丁度手綱を部下へ渡すところであった。サルシャーンは驚いて振り返った彼と、すぐ横にあった白馬の首を巻き込んで飛びつく。

「兄上!バートン!」
「いつものことながら、耳が早いな。」
「先程キシュワード殿に兄上がここにいると聞いたのだ。…バートンはお役に立てたか?」

サルシャーンが兄と呼んで慕うのは、万騎長の一人であるシャプール。吊り上がった目とは裏腹に、義理堅く、心優しい人だ。

年の頃はサルシャーンより20も上だが、兄妹の真ん中にあるイスファーンが彼を兄上と呼んで敬愛している由もあり、それに倣ってサルシャーンも兄上と呼んでいる。
父と呼んでもおかしくはない年の所為か、現にシャプールの首に巻きついた少年を、部下たちも親子の様だと、微笑ましく思っていた。

「躾けが行き届いている。手綱を握る者の意思を先読みしているかのようだった。」
「うん、こやつは自慢の馬だ。」

サルシャーンは早駆けなら誰にも負けないが、それは他でもない、愛馬のバートンがいてこそ。いずれは自身も大きな戦に赴くのだろうが、今はまだバートンを介し、シャプールやイスファーンの役に立っていたかった。
故にバートンを可愛がる中で、人間と同じように接しものを教えたところ、立派な名馬に育ってくれたのだ。

「兄上、屋敷に戻った後、稽古に付き合ってくれないか?」
「構わないが…。」

昔は真似事で剣を振り回していたサルシャーンだが、今では自分に合う武器を手に取り着実に武将への道を歩み出している。本人は兄上の役に立てればと言っているが、兄の立場からすれば複雑だ。

イスファーンがシャプールに強く憧れていた影響を強く受けたサルシャーンは、昔から女物の着物を嫌がって着なかった。
自分の性別を間違えられても特に気にしていないようで、いつしか妹≠セったはずの彼女は弟≠ノなっていた。
そして、槍の腕も確かである。多少融通は利かないが、武術も類稀なる才能があり気遣いができる心優しいこの少年は、周囲からすれば、立派な武将候補である。

「何を渋ることがある。付き合ってやればいいだろう。」
「なっ…クバード、おぬしも分かっているはずだ。」
「意志は固いようだぞ?な、坊主。おぬしは。」

豪快に酒瓶を煽りながら現れたクバードは、大きな手をサルシャーンの頭に乗せた。一瞬で嫌悪感丸出しになったシャプールを余所に、助け舟が来たとばかりに目を輝かせるサルシャーンを、クバードは撫で回す。

シャプールを慕ってはいるが、戦わせることを渋るところだけは、不満だった。

「はい!私は兄上たちを守るために強くなるのだ。
大切なものを守るのに、条件は必要ないぞ!」

ぐっ、と言葉に詰まるシャプールをクバードは豪快に笑って退けた。

「ハッ、シャプールよ、言い負かされたな。
所詮はおぬしも将来は女の尻に敷かれるただの男よ。…相手が見つかれば、だがな。」
「関係のない話を持ち出すな!おぬしにも当てはまるぞ!」

軽口…シャプールに関しては口喧嘩だが、ソリは合わなくともお互いを信頼し合う二人の関係が、サルシャーンは好きだ。芯を通したように真っ直ぐなシャプールがクバードと対面した時だけ違う表情を見せることを、密かに楽しんでもいる。

ただシャプールをからかうためだけに相手してくれているのかと思えば、クバードはクバードでサルシャーンを気に入っており、甘やかしてくれる。喧嘩は絶えないにせよ、二人の間に挟まれるのは心地良いのだ。

「さて、シャプールよ。召集の時間だ。」
「分かっている。」

彼らはマルヤムに侵入したルシタニア軍を撃退して国に戻られたばかりだが、国王や他の将からの情報共有が必要なため、広間に召集されているのだ。

では行くか、と今度こそバートンを厩へ向わせ、不思議だが当然と言うようにシャプールとクバードは並んで歩き出す。
数歩離れたところで、サルシャーンは一番大切なことを伝え忘れたことに気付き、声を張り上げる。

「兄上!!…とクバード殿!」
「…俺はついでか。」
「どうした。」

「おかえりなさい!ご無事で何より!」

その言葉で、二者の間に漂う緊張の糸がほどかれ、やがて、顔だけなら無愛想な二人は頬を緩めていく。

「おう。じゃあな、嬢ちゃん。」

周りに兵たちがいなくなったのをいい事に、クバードは嬢ちゃん、と呼んだ。性別を偽っても武器を握る健気な姿が、クバードがサルシャーンを気に入っている理由の一つでもある。

一足先に宮殿へ入って行くクバードを背にしたシャプールは、低い位置にある頭を、自然な動作でぽんっとひと撫でする。

「あぁ、ただいま。」

よく頭に乗せられるクバードの大きな手は心地よい。けれど、何にも変えがたい肉薄で骨張った兄のあたたかい手に撫でられるのが、いちばん好きだ。サルシャーンにとって兄は特別なのである。

揺れて遠ざかる三つ編みを、だらしなく弛んだ顔で見送った。



衝羽根朝顔 -心の平安-

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