るりじさ


サルシャーンがアルスラーン一向の元へ戻ったその夜。荷袋を枕にして眠っていたアルスラーンはパチッと弾けた焚き火の音で意識が浮き上がった。

自身のそばには、壁に寄りかかって目を瞑るダリューンの姿がある。気付かれぬよう身体を傾けて、肩越しに焚き火を盗み見ると、ナルサスとサルシャーンが向き合って座っていた。声を潜めて話してはいるが、何如せん洞窟なもので此方にも聞こえる。

「ヴァフリーズ老もそこに…」
「うむ、アトロパテネに出た将軍たちは悉くな。」

アルスラーンは急ぎ体勢を戻し、寝たふりをした。考えたくない、知りたくない。彼らが今話していることを敏感に察してしまった自分を恨む。

カーラーンの部下が大将軍ヴァフリーズの死を告げた時に言っていた。今頃エクバターナの城門の前に晒されているだろうと。サルシャーンの口ぶりからして、それは事実らしい。

「おぬしが一人で来たということは、シャプール殿もそこに…」

シャプールの名を聞いてアルスラーンは息を飲んだ。腕の中で泣いていたサルシャーンは繰り返し申し訳ないと謝っていた。アルスラーンはそんな彼女に事の詳細を訪ねることはできなかった。

微かな気配で、サルシャーンが首を振ったのだと感じ取る。

「兄上は目の前で射殺された。」

自らの死を顧みず、サルシャーンは兄を救う一心で王都へ向かったのに、その強い想いは神には届かなかったのだ。散々泣きはらしたためか、今のサルシャーンの声は落ち着き、淡々としていた。

「偶然エクバターナへ流れ着いた楽士にな。」
「……そうか。怪我をしたとダリューンにも聞いたが、そちらはどうだ?」
「問題ない、動ける。」
「包帯を変える時はエラムを呼べ。」
「うむ。」
「それにしても、」

と、ナルサスが僅かに声のトーンを上げて話を切り替えた。

「お前が泣くのは久しぶりに見た。」
「………。」
「以前は俺の芸術をみて感動の涙を流すだけだったからな、俺が居なくなってからろくに泣いていなかっただろう。」

「………。」

枝で薪を突っついていたのだろうか、継続して響いていたコツコツという音がここでバキィッと激しい音に変わった。

折ったのか、枝を。

「何が芸術だ!あれは泣いて嫌がってたんだ!」
「嫌がるだと?
まったく、お前もダリューンも芸術がわかっておらんな。」
「わかりたくもない!」

なるべく声を抑えようとはしているのだろうが、それでもどんどんサルシャーンの声が大きくなっていく。激しくなりそうな言い争いにアルスラーンがどうすれば良いのかと考えあぐねていると、どこかから漏れる低い笑い声に気がついた。

「ダリューン殿も。狸寝入りを決め込んでいないでどうにかしてくれ!」

驚いてダリューンを見上げると、彼は肩を竦めて笑っていた。ゆったりした動作で立ち上がり、アルスラーンのそばへ、ずれてしまった羽織を掛け直してやると、ダリューンは囁いた。

「殿下、今はどうか眠ってくだされ。
でないと明日こやつらの所為で倒れられてしまいます。」

「「どういう意味だ!」」

どういう意味だも何もないだろうと呆れた口調で言ったダリューンがナルサスたちの元へ姿を消していくと、しだいに瞼が重くなって、背後でするダリューンの低い笑い声で眠りに落ちた。

翌朝、エラムが食料を調達するために洞窟を出て行った直後、それは起こる。




*




「ダリューン、これは。」
「戯れているだけです。お気になさらず。」

いや気になるだろう。

アルスラーンの目の前にあったのは、殴り掛かろうとするサルシャーンと、その拳を両手で受け止めているナルサスの姿。両者とも顔に青筋を浮かべて、拳も力を緩めず震えている。きっかけは何だったのかと思い返しても特に火種になるようなものはなかったはず。

『見ない内に背が伸びたか。』

ナルサスが王宮を追い出されたのが三年前で、アルスラーンが迎え入れられるする少し前だった。確かに三年前から比べるとサルシャーンは腕も体も細いままだが、身長がいくらか伸びていた。成長の個人差か、アルスラーンの方がサルシャーンの背を越してしまったが。

そんな、三年ぶりに会った友人の成長を素直にナルサスが口にしただけなのだが、気がつくと取っ組み合いにまで発展している。

「相談もせずに髪を切りおって!」
「一々そなたに話す義務などないわこの隠居老人!」
「誰が王宮でお前の面倒を見て来たと思っているんだ!」
「少なくともそなたではないぞ!!」

どこから喧嘩に発展したのかまるで分からない。ダリューンは二人の様子を空気とでも思ってるのか、動じず武器の手入れをしているし、エラムはいない。焦っているのは自分一人ではないかとアルスラーンが肩を落とした。

「これだから私は心底そなたに会いたくなかったのだ!!
そなたを父に持つ者はさぞ鬱陶しがるだろうな!」
「俺はお前を娘だと思っているが?」
「きぃッ、もちわるい!!ふざけるな!!」
「ほう、照れ隠しか?」
「照れてないし、仮に照れていたとしても、隠すべきは私の照れではなくそなたの下手な絵だろう!!」
「今のは聞き捨てならん!」

此方に飛び火して来ないのは良いのだが、聞いているだけで気力が削がれていく。なるほど、昨晩のダリューンの言葉の意味を今理解した。そして昔ダリューンがナルサスを登用してほしいと言った時のサルシャーンの反応も、納得がいった。

「二人は不仲なのだな…。」
「違いますぞ、殿下。」

ひとりごちたアルスラーンに、ダリューンが笑って答えた。アルスラーンが首を傾げると、一層笑みを深くして、未だ言い争いをする方を指差す。

「んなっ、こらバートン、ナルサスに懐くな離れろ!絵心のなさが移る!!」
「馬が絵を描くとでも言うのか!」
「バートンは描ける!!」
「何の意地を張ってるんだ!!」

バートンはいつだってサルシャーンに忠実であり、そしてサルシャーンの分身のようでもある。主人の命をそつなくこなし、更に己の判断で行動出来るよく出来た牡馬だ。

また、サルシャーンが心を許した者にはよく懐き、反対に苦手としている者には近付きすらしない。王宮ではシャプールやクバードに懐き、その一方でサルシャーンが近寄りたがらない人を前にすると蹄を鳴らしていたのが印象深い。

そんな異体同心である一人と一頭だが、どうだろう、バートンはサルシャーンが毛嫌い(?)しているナルサスに体をすり寄せている。傾げた頭をもっと深くすると、ダリューンは解説してくれた。

「バートンはサルシャーンの本心を見抜いているのです。
犬猿の仲に見えましょうが、ナルサスを嫌ってなどいないし、寧ろサルシャーンはナルサスを好いております。」
「そうなのか…うむ、安心した。
これから先共に過ごす仲間だ。不仲ではと心配だったが、問題なさそうだな!」

首が取れるのではと思うほど凄まじい勢いで此方を振り返ったサルシャーンが悲鳴をあげる。

「ずっと…こやつと過ごすのですか!!」
「ナルサスには宮廷画家になってもらう約束があるのだ。」

そんな汚点を残して良いのですか!?と喚いて蹲ってしまったサルシャーンをどう慰めようかと困ってダリューンを見上げると、放っておけと言わんばかりに首を振っていた。




*




エラムが食料を手に帰って来たその瞬間から口を噤んだサルシャーンは、ナルサスの横でダリューンに稽古をしてもらうアルスラーンを眺めていた。ダリューンの動きについていけるアルスラーンを意外そうに見ているエラムに、ナルサスがヴァフリーズに鍛えられていたことを教える。

「といっても嫌々稽古を受けていたのでしょう。」
「アトロパテネの前まではな。
今朝方自らダリューンに頭を下げて頼んでいたよ。
『私を鍛えてくれ』とな。」
「そなたら一騎当千の化け物に左右を固められては、引け目も感じるだろうな。」
「羨ましいのか?俺で良ければ鍛えてやるぞ。」
「そなたに刃を向けるくらいなら先にそこにある画材を切り裂いてくれよう。」

「ナルサス様、サルシャーン様。」

「……ふむ。」
「……む。」

エラムに喧嘩を止められたサルシャーンは拗ねて、剣を地面に突き立て肩で息をするアルスラーンに近寄った。

「少し休みますか?」

ダリューンの問いかけに、サルシャーンから手ぬぐいを受け取って汗を拭ったアルスラーンは、しかし休もうとせず、もう少し頼むと言った。頷いて構えようとする二人を、ナルサスが止める。

「そこまでにいたしましょうアルスラーン殿下。
あまり根をつめると逃げる体力がなくなってしまいます。」

そういえば逃避行の最中であったかと、あまりにも実感がないのですっかり薄れてしまった危機感を抱え直す。

「そろそろ山を下りる相談をいたしましょう。」

体を強張らせたのに気付いたのか、ナルサスが小さなサルシャーンの頭に手を乗せると、1秒としない内に叩き落とされた。


その晩、誤った日にちを伝えられ悠々とテントを張って休んでいるカーラーンの部下たちを蹴散らして山を下りることになるのだが、その際、

「山中にこもっていて暦を見ることができなかったのでな。日にちを間違えた。」

と満面の笑みで言ってのけたナルサスの横っ面をサルシャーンが殴りたくなったのは言うまでもない。


瑠璃苣 -愁いを忘れる-

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