おにのしこぐさ


パルス歴320年 秋。
西北方ルシタニア国軍、マルヤム王国を滅亡せしめパルス王国に侵入。
アンドラゴラス三世自ら軍をひきいてアトロパテネの野に侵略軍を迎え撃つ。

王太子アルスラーン初陣す。
ときに十四歳。


「緊張しておいでですかな、殿下。」
「カーラーン…。」
「殿下にとって初陣ですから無理もございません。」
「うん…。」

アトロパテネ平野の手前に陣を構え、整列した歩兵の中に、馬に乗った三つの姿がある。この隊をひきいる万騎士カーラーン、そして此度の戦で初陣を迎えるアルスラーンとサルシャーン。
初陣というのもあって、アルスラーンの表情は浮かばない。それは横に並ぶサルシャーンも同じことで、口を一文字に結んで、前を睨んでいた。

「ご心配めされるな。
此度の戦はアンドラゴラス陛下自らご出陣のうえ、大将軍ヴァフリーズ殿もおられる。」

万騎士八人それぞれが受け持つ一万騎、国王親衛隊五千騎の合計八万五千の騎兵と、さらに十三万八千の歩兵の大軍。
これだけの兵をひきいて、地形すら把握しているパルス軍を相手にルシタニアはどう戦うのか。

「わざわざ遠い異国に墓を作りに来たようなものです。」
「カーラーン殿、過度な自信は時に禍いを招くのではなかろうか。」

前を見据えたままのサルシャーンが、抑揚のない声で言った。

「我がパルス軍が負ける、と?
陛下は不敗の王だ、サルシャーン殿の杞憂ですよ。」

カーラーンは王の下で忠実に働いている。それゆえ万騎士にまでなったのだが、サルシャーンにはカーラーンの真意が計りかねる。なぜそこまで自信があるのだろうか。


「アズライール!」


高い空から鷹が一羽、アルスラーンの肩へ留まる。数年前とは違い、しっかりとアズライールを受け止めたアルスラーンに、サルシャーンは密かに感心した。小柄だった彼の方が、自分より大きくなっている気がしたのだ。

ふと、サルシャーンはアズライールの変化に気付く。

「殿下、アズライールの羽根が湿っております。」
「本当だ…。アズライールが飛んできたのは、あちらか…。」
「カーラーン殿に報告いたしますか。」

うむ、とアルスラーンが頷きカーラーンの名を呼ぶ。

「アトロパテネの方から戻ってきたアズライールの羽根が湿っている。」
「…なんですと?」
「ここはこんなに晴れているのにおかしくないか?
大丈夫だろうか?」

地形を完全に把握しているとはいえ、天候が変わればどこで足を取られるか分からないのが戦ではないだろうか。だが歩兵たちは皆、アルスラーンを臆病だと陰口を叩く。
状態は万全でなくてはならない。アルスラーンの意を汲み取って、カーラーンはもう一度偵察に出ると一人隊を離れて行った。

「天候が崩れるかもしれないし、もうすぐ戦になるからお帰り。」

アルスラーンの腕からアズライールが翼を広げて飛び立つ。

「東だよ。
キシュワードは東方国境のペシャワール城塞≠セ。」
「………。」

小さくなっていくアズライールを見届けて、アルスラーンはサルシャーンに顔を向けた。

「……大丈夫、だよな…。」

縋るような視線。
それを受けてこの日初めてサルシャーンは笑ってみせた。

「私がおります。必ず生きて帰りましょう。」




*





本陣へと向かっていくアルスラーンと一時別行動を取り、サルシャーンは一人後方部隊へ馬を進めた。

この戦では国の万騎士が八人参戦している。サルシャーンの兄であるシャプールもこの戦場にいるのだ。出立前は慌ただしく、まともに会話など出来なかったので、出陣の合図が出るまでの間兄に会いたかった。

「サルシャーン。」
「サルシャーンではないか。
…殿下のそばを離れてまでこやつに会いに来たか。」
「無論、兄上に会いに参りました。」

運が良いのか悪いのかシャプールとクバードはまた隊が隣り合ってしまったらしい。相も変わらず二人は睨み合っていたが、サルシャーンが現れるとさっと距離を取ってそれぞれサルシャーンの元へ寄った。

「本陣の様子はどうだ。」
「問題はない。
…だが、この天候だ。兵たちが騒ついている。」
「…そうか。士気に影響しなければ良いのだが。」

アルスラーンとサルシャーンの思った通り、時間が経つにつれ、天候が崩れ深い霧が漂ったのだ。

「なにしけた面をしておるのだ。
サルシャーンにとっても初陣なのだぞ?」
「わ…っ」

堅物二人が集まって交わす会話など、クバードにとってはつまらないことこの上ない。表情の曇ったサルシャーンの背を一つ強く叩いて、喝を入れた。
当然だがシャプールが何をする!と怒鳴る。

クバードの言うことも一理ある。
アルスラーンの初陣でもあるが、サルシャーンも初めてその足で戦場に立つのだ。暗い顔ばかりしているのも縁起が悪いだろう。

「……兄上?」

だが笑おうとしても、まだ十五でしかない妹が戦場にいると考えると頬が引きつっていく。黙ってしまったシャプールを訝しく思ったのか、サルシャーンは強張っているその顔を覗き込んだ。

「いや、何でもない…。」

どこの隊も危険であることには変わりないが、サルシャーンは前方にいる。
何かあれば真っ先に…いや、いけないと首を振った。

「サルシャーン、殿下を守り生き抜け。」
「あぁ、私にはバートンが付いてる。
殿下だけではない、兄上たちの元にも駆けつけるぞ!」
「はは、それは頼もしい。」

やっと兄が笑ってくれた。
緊張しきっていたサルシャーン心が和らいでいく。

「クバード殿、兄上を頼みます。」
「…っと、それは無理なお願いだな。」
「俺はこやつに頼らずとも…!」
「兄上、私は兄上に傷一つ負わせたくはない。」

揺るがない瞳を見て、こっちのセリフだろう、と言いかけてシャプールは口を噤んだ。
はじめこそ自分達の真似をして剣を握ったが、サルシャーンはいつしか、自分達を守るために剣を振るうようになっていた。本来ならば、守るのは兄の役目なのだが、知らぬ間に、手を握って笑っていた妹は遠くへ行ってしまったらしい。
子どもの成長は喜ばしいが、反面寂しさがある。

「…俺はお前さえ生きていれば、それで良い。」

馬同士を近づけ、そこに跨っている細い身体をシャプールは乗り出して、抱きしめた。腕に閉じ込めたぬくもりがどうか、戦で散らぬようにと、強く。

「兄上、心配なさるな。
このサルシャーン、最後には必ず兄上の元へ帰ってくる。」

兄上も帰るだろう?ここへ。

ああ、違いない。
最後はお互いのいる所が帰る場所になる。

「見せつけてくれるではないか。
…見上げた兄弟愛。いや、兄妹愛、か?」
「クバード殿!」

仏頂面かと思えば、兄の前ではその頬を目一杯に緩ませて笑っているサルシャーンは、クバードのその言葉に照れて身を乗り出した。

浮いた話のないサルシャーンだが、果たして嫁に出たらこの過保護な兄はどうなるのだろうか。
慌てふためくシャプールの姿を思い描いてクバードは鼻を鳴らした。

「一つ楽しみができた。
おぬしの兄、多少は任されてやろう。」


一帯に響く出陣の合図。


「兄上、クバード殿。…ご武運を。」
「サルシャーン、無事でいろ。」

離れていくサルシャーンが名残惜しいのか、シャプールは彼女に触れた掌を握りしめている。良い妹を持ったなと言えば、この時ばかりはシャプールも素直にあぁそうだろうと答えた。おぬしにはやらん、と付け加えて。

この兄妹が、戦を生き抜いた先で笑いあえるよう、心の片隅で祈った。
サルシャーンの笑顔は好きだ。シャプールの、家族を慈しむ表情も、当然見ていて不快なものではない。


こやつと共に敵を薙ぎ倒し、生きてやろう。
戦場でも張り合いがなければつまらない。

だから、サルシャーンよ。
その先で我らを待っていろ、おぬしの兄を待っていろ。



鬼の醜草 -追憶-

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