はなきんぽうげ


元来サルシャーンという人間は気が長くない。頬を直に突き刺す寒さと、離れ離れになったアルスラーンの無事を確かめられない不安。それだけでも堪えていたというのに、その上ルシタニアの追手だ。

「まだ諦めずに追ってくるか。」
「いい加減鬱陶しいッ!!」
「しつこいのう。」

あとひとつ山を越えればもうすぐペシャワール城塞が見えてくるはずだ。ファランギースによれば、王太子の身に何かあればルシタニアの者たちが盛んに言いふらすだろう、と。故にまだアルスラーンは彼らの手には落ちていないとわかる。

いや、アルスラーンが無事ならそれは何よりだ。しかしサルシャーンの気は治らない。それもこれも、あの日出会ってから何度目かもわからない追撃と、今再び見えたザンデの所為だ。

「ダリューン!今日こそ貴様の首を取って天界にある父に誉めてもらうぞ!!」
「親孝行で結構なことだ。
だが俺の方は別におぬしと戦いとも思わぬ。」
「貴様は父の仇だ!!」

日頃ダリューンの低い声を耳にしているからか、やけに高くデカいザンデの声は耳触りが悪い。サルシャーンが痛む頭を抑えていると、ファランギースが庇うように前へ出た。

「否定はせぬが、おぬしの父上と俺とは正々堂々戦って勝敗を決したのだ。
それも、元々おぬしの父上がパルスの万騎士でありながらルシタニアの手先になって国を売ったがゆえ。子として父の愚行をこそ恥じるべきではないのか?」

ダリューンはあくまで落ち着いた口振りである。

「俺の父がルシタニアの手先になったと!?」

ザンデはよほどダリューンが気に食わぬか、大口を開けて言い放つ。

「父や俺はパルスに正統の王位を回復するため!!
あえて一時ルシタニアに膝を屈する、その真似事をしただけのこと!!
いずれ時が来れば、貴様と俺のどちらが王家の真の忠臣であるか判明するわ!!」

周囲のルシタニア兵たちが騒ついていたが、ザンデにはそれが聞こえないらしい。それはサルシャーンらとて同様であった。

「…正統の王位とはどういう意味だ。」

ザンデは歯を剥き出しにして笑った。
ルシタニアを指揮していたのは、サルシャーンも知るあの銀仮面だったが、彼の正体は掴めずにいた。だがどうやら、ザンデはそれを知っている。彼は優越感に浸り、自信満々に両手を広げた。

「知りたいか?ならば俺と闘え!!
貴様が勝てばすべて教えてやる!!」
「では遠慮なく教えてもらうとしよう。」

まさに瞬殺であった。
ダリューンの重い拳はザンデに一撃も繰り出させることなく見事落馬させたのだ。しかしザンデはダリューンの勝ちにも関わらず、秘密を抱えたまま、ファランギースに武器を持つ手を射抜かれ、その場を逃げ出そうとする。

「父親のほどの矜持は持ち合わせておらぬようじゃ。」

彼は情けないことに、放ったファランギースの矢にまともに当たることもなく崖から転がり落ちていった。

「私は今気が立っているが、貴様らは私の手にかかるのと自ら崖を転がり落ちるの、どっちがいい?」

呆然としていたザンデの兵たちも、サルシャーンの言葉に脱兎の如く駆け出して、ザンデの後を追った。なんとも間抜けな光景だ。

「死んだであろうか?」
「どうかな。」

三人はザンデを放って先へ進むことにした。威勢はいいが、大してダリューンの強敵にはなり得ない男と、彼はそう判断されたのだ。そして実に、口の軽そうな男でもあった。

「(正統の王位……?)」

彼の言葉は、三人の心に蟠りを残し、いつまでも消えることはなかった。




*




漸く追手を撒き、馬たちの鞍を外し、一休みすることにした。
サルシャーンは座り込んだバートンの背に凭れ掛かり、襲い来る疲労感に抗うことなく息を吐く。もしここにアルスラーンがいれば、彼女は決してこんな姿を見せることはなかっただろう。ダリューンも、よくここまで持ったとサルシャーンを褒めてやりたかった。

息を整えたサルシャーンは自分たちから数歩離れたところで草を啄むファランギースの馬を眺めた。その馬は元々のファランギースの馬ではなく、ルシタニア兵との交戦中、殺された馬の代わりにルシタニア兵から奪ったものだった。

利口な馬だ。馬装も全て解き放しているのに逃げないとは。

呑気にそんなことを考えていると、その馬の首に縄が掛けられるのを目の当たりにする。慌てて身を起こせば、それよりも早くダリューンが飛び出し、縄を掛けた人物に剣を向けた。

「白昼堂々人の馬を盗むとはいい度胸だな。」

草むらから一体どんな賊が現れるかと思えば、そこにいたのはギーヴであった。

「…ダリューン!」
「ギーヴか!」

どうやら彼は馬を盗んで肉にするか売り飛ばして食料と交換するか企んでいたらしい。

「ダリューンの馬…ではないな。」
「女神官殿の馬だ。ここで休ませていた。」
「なに!ファランギース殿も一緒か!」
「サルシャーンもな。」

ダリューンが付け足すと、ギーヴがすぐ様木陰から姿を現したファランギースとサルシャーンのもとへでれでれとしたしまりのない顔で近付いた。

「なんじゃ、おぬし生きておったか。」
「ご心配いただきこのギーヴ、恐縮の至り!」
「おぬしのことなど心配しておらぬ。」

最早恒例となった二人のやりとりを見届けると、サルシャーンは土まみれの汚れた服へと掴みかかる。

「ギーヴ、ギーヴ!そなた、殿下とはご一緒ではないか!?」

うお、と驚いて仰け反ったギーヴは、サルシャーンの縋るような瞳に肩を竦め、隠れているよう指示していた少年たちに口笛で合図した。

「サルシャーン!ダリューン!ファランギース!無事でよかった!!」
「で、殿…殿下ぁ!!」
「殿下!!」

気を張ることも忘れたのか、情けなく覇気のない声を上げてサルシャーンは数日ぶりに会えたアルスラーンの広げた腕の中へと飛び込んでいった。そのそばにエラムも並んだが、サルシャーンは少年らがすっかりぼろぼろになっていることに気付き、更に顔を歪める。アルスラーンはそんな彼女にこみ上げる喜びを噛み締めつつ、膝をついたダリューンの謝罪を受けた。

「咄嗟の判断とはいえ、あそこで別れたことで殿下を危険に晒してしまいました。
面目ございません!」
「謝ることはない。
ギーヴとエラムが私を守ってくれた。」

頭を下げるダリューンよりも更に身を低く屈めて、アルスラーンは笑ってその面をあげさせた。ダリューンはそばのエラムに視線を向ける。

「私は何も!ギーヴ様が……!」
「ギーヴの機転と技に何度も助けられたのだ。」

これには、ダリューンも瞠目した。ギーヴの腕を認めていたとはいえ、彼の忠誠心がアルスラーンにないことはサルシャーンも感じ取っていた。だがそんな彼が、少年二人を守り抜いてくれたのだ。

「…正直今までうさんくさい男と疑っていた、すまなかった。
殿下を無事ここまで連れて来てくれて感謝する。」

ダリューンは慎ましく、流浪の楽士"であった"男へ感謝の言葉を口にした。一度ギーヴは、男にしおらしくされても嬉しくないがね、と突っ撥ねてから、

「一流の男に認められるのは嬉しいものだ。」

と改めてダリューンと握手を交わし、この時本当の意味でアルスラーンの配下に加わったのである。

逸れた者のうち、六人が揃った。残りは…と、サルシャーンが辺りを見回すと、アルスラーンも眉を下げてナルサスの身を案じた。

「ご心配には及びません。
あやつは頭はもちろん、剣の腕前も一流です。」

ダリューンも認める剣の腕であるのは確かだが、アルスラーンはここまでのルシタニア兵の数を相手にして一人では苦戦するだろうと言う。

「我々は七人揃って一体ではないか。
もう離ればなれになりたくない!ナルサスを捜しに行こう!」
「我が友にありがたいりお言葉!」

ああやはり、この王子はどこまでも甘い。サルシャーンはそう思いながらも頬を緩めざるを得なかった。彼のそば仕えることができ、本当に幸せだと。




*




ナルサスを迎えに行くダリューンとエラムとは別行動を取り、こちらは一足先にペシャワールへ向かうこととなった。アルスラーンとファランギースを前にして、サルシャーンは珍しく自らギーヴと馬を並べる。

「進んで俺のそばへ来てくれるとは、ようやくこのギーヴに花を手向けてくれる気になったか?」

悠々と笑みを携えてギーヴは彼女の返答を待った。が、思い出したように、そういえば俺はおぬしの仇であったなと付け足す。言ってからこれではサルシャーンの機嫌を損ねてしまうかなと、横目で様子を伺えば、彼女は上機嫌に目を細めているのだった。

「ギーヴ。」
「な、なんだ。」

これまでになく柔らかい声音で名前を呼ばれ、思わず肩が跳ねた。サルシャーンはその反応におかしそう笑って、続きを紡いだ。

「ありがとう。
そなたへの恩は返し尽くせないな。」

晴れやかにそう言ってのけたサルシャーンに、意表を突かれたギーヴは放心した。耳元で小さな三つ編みを揺らし、嬉々として馬を進める少女との間に空いた僅かな距離を縮めるようにギーヴは駆け出す。

「俺の目に狂いはなかったようだ。」

少年たちを救ったことで、ギーヴとサルシャーン、そしてダリューンとの中で縺れかけた糸は、するりと解けてしまったようだ。何よりもサルシャーンの向ける笑みが、そう告げていた。


花金鳳花 -晴れやかな魅力-

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