はなしゅくしゃ


見回しても辺りには死体ばかり転がっている。喧騒にまみれていたはずの平野はいつしか沈黙してしまった。上体を起こしたサルシャーンは己の手に縋るアルスラーンに身を寄せ、漂う霧を睨み続けていた。


「……殿下!アルスラーン殿下!?
どこにおられるのです!?」


これは、カーラーンの声だ。
ぼんやり姿を現したカーラーンは、アルスラーンの名を呼びながら馬を歩かせていた。

「殿下!声が聞こえましたぞ!?」
「カーラーン!!ここだ!!」
「あっ、殿下…。」

アルスラーンがカーラーンの前に走り出し、サルシャーンの手すり抜けていく。これで助かると、そう口内に溜まった血をため息とともに吐き出し、カーラーンを見た。
そして次に口から出たのは、悲鳴にも似た警告。

「部下がみんなやられてしまった!助け……」
「駄目だ、逃げろ殿下!!」

霧から姿を現した万騎士であるはずのカーラーンは、周りにルシタニア兵を付き従えていた。
その瞬間、悟る。カーラーンは陛下を裏切りルシタニアに加担していたのだと。

「おお……ここにおられましたか。
アルスラーン殿下!」




体を投げ出され、ルシタニア兵は容赦なく槍で貫かれた肩を踏み付ける。焼けるように熱を発する傷口に意識が飛ばぬよう、歯を食いしばって事の行く末を見守ることしかサルシャーンには出来なかった。

「…哀しくあわれな王子よ。
あなたは何も悪くはないが、ここで死んでいただこう。」
「なんのことだカーラーン!!」

受け身一方のアルスラーンだが、その動作はヴァフリーズの稽古によって身に付いた確かなものだ。周りの兵が手出ししなければ、カーラーンがこのまま本気を出さなければ、何よりサルシャーン自身が拘束を逃れることが出来ればどうにか逃げる手はあるはず。

「離せ、雑魚め…!」
「なんだと!?」

下から睨み付ければ、罵倒一つで頭に簡単に血がのぼった兵は一瞬だけ体から足を退け、だがすぐにもう一度、次は頭強く踏まれた。

「このガキは殺さなくていいんで?」

そのまま片手でアルスラーンをあしらうカーラーンに尋ねる。

「女子供に用はない。
そいつには、目の前で王子を殺し己では何も守れぬと知らしめてやれば、二度と武器を手には取るまい。」

情けを、かけられているのだろうか。それともカーラーンは女だ子供だと人を見下し、馬鹿にしているのか。

「殿下に手出しはさせない!!」

上限を超えた痛覚など、何も感じないに等しいものだ。勢いつけ鈍感になった体を無理に起こした。荒い呼吸を繰り返し、驚いて仰け反った敵兵を蹴り飛ばしてその場で態勢を立て直そうと踏ん張る。

と、突如目の前に敵兵が血を吹いて飛んでくる。
そして目で追えない速さで刃が次々と身体を裂いて、一本の道を作り出した。

現れたのはたった一騎。

「ダリューン、殿…。」

彼は瞬く間に雑兵を斬り捨て、その刃をカーラーンへ撃ち込んだ。重い金属音が響き、馬上のカーラーンがここで初めて表情を歪める。

「殿下、サルシャーン。
しばしそこでお待ちください。
このダリューンがお守りいたしますゆえ。」

やっぱり彼は頼れるお人だ。あとはまかせたと息も絶え絶えにアルスラーンは黒衣の騎士に告げ、足を引きずって座り込んでいるサルシャーンの元へ、折れそうなその肩を支えた。

「…汚れてしまいます、殿下。
なにとぞ、触れぬように。」
「手を離せば、私はおぬしを見捨てることになる。」

これ以上一人も目の前で失いたくはなかった。常にそばにいてくれたサルシャーンなら尚更。

「国王陛下を裏切り王太子殿下にこのような真似を!!」
「待て!事情を知ればおぬしとて俺の行為を責めは…」

カーラーンがダリューンに圧されて、その額から汗が流れる。シャブラングが馬に体当たりをしたことによってカーラーンに隙が生まれ、ダリューンが剣を振り下ろした。
仕留め損ねたものの、それはカーラーンの手綱を断ち、撤退のきっかけとなる。

「逃げるか裏切り者…」
「ダリューン、待て!」
「…!」

駆け出そうとするダリューンをアルスラーンが呼び止め、その腕の中で苦しむサルシャーンを示す。奴はいつでも殺せると言い聞かせて、ダリューンはマントを翻した。

「殿下はお怪我を?」
「いや、返り血だ。
サルシャーンの手当てをしてやってくれ。」

意識が朦朧としているものの、彼の声はしっかり聞こえている。どこまでも優しい王子だ。捨て駒にしかならないような自分を助けようとするのだから。

残る力で服を脱がせようとするダリューンを制し、代わりにその手を借りて立ち上がる。

「手当てはせずとも、平気だ。
殿下、ダリューン殿。ここから離れましょう。」

カーラーンの裏切りと、人を殺めた感触はアルスラーンを内側から蝕んでいる。戦場に居続けては、負担を掛けてしまうだろう。

万騎士の裏切り。
それはパルス軍にとって痛手である。

「兄上…どうかご無事で……。」




*




利口なことに、愛馬のバートンはルシタニア兵に囲まれた主人を案じ、一歩離れた場所でダリューンが駆け付け敵を追い去るまで待っていた。薄汚れた体を撫でて傷がないと確認し、跨る。横にシャブラングに乗ったアルスラーンが並んだ。

「私に万が一がありましたらシャブラングにひとムチ打って一気に戦場を駆け抜けてください。」
「おぬしに万が一があるのか?」
「ありませぬ!殿下をお守りするため、億が一もありえませぬな!」

なんとも頼もしい言葉だ、とアルスラーンの横にバートンを走らせたサルシャーンが生気のない顔で笑った。


道すがら現れる敵を蹴散らすのはダリューン一人が担っていた。サルシャーンもその手伝いをしたかったが、落馬の際に槍を落としてしまった上、利き腕の怪我で今はバートンの首にしがみ付くのが精一杯である。
アルスラーンが時折声をかけてくれるのがサルシャーンの意識を繋ぎ止めるものとなった。

不意に現れたルシタニア兵は、馬の背にパルス兵を捕らえて載せていた。目を凝らしたサルシャーンは、そのパルス兵に見覚えがあるとすぐさま馬を降りた。

「大丈夫か!しっかりしろ!」
「ダリューン殿、この者は兄上の下にいた者だ!」

もう助からないと一目で分かる重傷だったが、パルス兵は最後の力で、戦況を伝えようと口を開いた。

「万騎士のうち、マヌーチュルフ殿とハイル殿はすでに……戦死なさいました……。
シャプール殿は………」

兄に関してこれ以上語られることはなかったが、その口ぶりからまだ存命だとわかる。

「ア…アンドラゴラス王が…退却の命を伝えず、お逃げになったので……全軍の士気が一気に下がっ…」

びくんと体を痙攣させ、やがてパルス兵は首は垂れた。

目の前が真っ白になっていく。恐れていた事態が起こってしまったのだ。今日まで何のために剣を握り、兄の反対を押し切ってまで戦場に立ったのだろうか。握った拳の間から血が滴り赤い斑点を作っていく。

「まだ…まだ、生きている…」
「……サルシャーン、何を考えているんだ。」
「ダリューン殿、敵は今後どの様に動くと思われる?」

ダリューンが咎めるように声をかけたが、返ってきたのはそんな質問だった。一度口を噤み、ダリューンは来た道を振り返る。

「アトロパテネでの戦いが終わったとなれば、ルシタニア軍はこのまま別働隊と合流し王都を攻めるだろうな。」
「そうか、なら私はエクバターナへ戻る。」
「え…。」

痛めた肩を庇うことすら忘れたのか、ゆらりと立ち上がったサルシャーンはバートンの前に立った。

「王都へ戻るにはこのまま戦場を突っ切らねばならん。
万騎士たちがこれほど倒されているということは、王都までの道はルシタニア兵であふれかえっているはずだ。」

つまりダリューンは行くなと言っているのだろう。
サルシャーンは、急所は外れているとはいえ、失血死を起こしかねない状態であった。王都へ戻る途中ルシタニア兵に後ろを突かれては、ひとたまりもない。

命を無駄にするな。
黒い兜から覗く金色の瞳が鋭くサルシャーンを射抜いた。

「ダリューン殿、それでも私は兄の元へ帰らなければならない。」

約束したのだ、必ず兄の元へ帰るのだと。
兄に傷を負わせたくない、と。

「兄上を助けにいく。」

バートンの手綱をアルスラーンへ差し出し、今しがたダリューンの乗っていたルシタニア兵のものであろう馬に跨る。

「ま、まってくれサルシャーン、危険だ!」

アルスラーンが駆け寄って腕を引こうと手を伸ばしたが、それよりも早くサルシャーンは後退る。彼とダリューンに、愛馬を預けた。

「そやつの速さに敵う者はおりませぬ。
この先も無事に駆け抜けられましょう。」
「…俺が行かせると思うか。」
「思ってはおりませぬ。でも…。」

言葉を区切り、俯いたサルシャーンの肩が微かに震えていることに、アルスラーンとダリューンは目を見開いた。

「兄を失っては、私に生きる意味などない。」

城で共に過ごした日々で、アルスラーンはサルシャーンがどれほど兄を想っているのかを間近で見てきた。サルシャーンを常に支え、突き動かす存在の大きさをよく知っている。

だから、行くなとは言えなかった。

「そばにいれぬこと、お許しください。」
「サルシャーン、」

アルスラーンの手は届くことなく、力なく下されていた。
自分よりもずっと剣の腕が良く、王族らしいサルシャーンの背中に、密かに抱いていた憧れ。
しかし霧の中へと消えていくサルシャーンの背中はそんな憧れとは程遠く、心細いものだった。



花縮砂 -むだなこと-

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