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レディ、お手をどうぞ03side_L


結局、次の日の夕方近くまで彼女は宿の部屋から出なかった。恐らく空腹が限界でなけばまだ出なかったかもしれないが、一度、仕度をしてしまえば早かった。

外へ出ると、鼻先を掠める独特の温い風。
香水。食料。それに混じり常人では気付かない程度の血の匂い。
それらを払うよう首を横に振ると、宿からなるべく近くに位置する食堂の扉を彼女はくぐった。

早くここから出る客船の情報を調べて、
島を出なくては。


「コーヒーとホットサンドを。」


店員にそれだけ告げると、ヒスイは人気の少ない場所を選んで腰を降ろす。
店内で静かに流れるBGM。共有スペースにあった新聞を手に取ると、トラファルガーやキッドが大きく掲載されていて溜め息しか出なかった。
それ以上、読む気がせず紙の束を机に置く。
浮かない気分で彼女が頬杖をつくと、覚えのある気配が背後に生まれた。

「……。」

確かめる事はしなかった。
溜め息をつこうにも今吐き出したばかりの酸素はもう肺に残っていない。

腰を上げる。しかし微かに笑う声が聞こえたと同時に彼女の腕にカシャリと腕輪が付けられた。

「―――、っ」

力が抜ける。発動させかけた能力が途切れ、再び座り込むしか出来ないヒスイを横目に向かいの席が静かに引かれた。


「つれねェな、"クロノス。"少しは相手をしていけ。」


どかり、と座ったローに、苦々しく顔をあげたヒスイ。こんな、海楼石の腕輪など何処から持ち出してきたのか。大人しい彼女の反応に気を良くしたのか、ローは口元の笑みを深くした。
ちょうど運ばれてきた彼女の軽食を一つ取って、彼はそれを口に放り込む。


「…わざわざ私の素性なんか調べたの。」
「まあな。個人的な取引材料としての興味も含めて。」


ローは彼女の訝む視線を軽くいなし、長い足を組み替えるとウェイターに酒とつまみを注文した。


「……私は一人で食事を摂りたいの。」
「そう邪険にするな。あんたが思ってる程、悪い人間じゃねぇよ、俺は。」
「…二億の賞金首がよく言うわね。トラファルガー。」


湯気だつコーヒーを口に含みながら、ヒスイは冷ややかに目を細める。
名前を呼べば、ローは機嫌良さげに歯を見せた。


「それならあんただってそう変わらねぇだろ、クロノス。むしろ俺よりずっと高い金があんたの命には掛かってる。そうだ、名前を教えろよ。コードネームじゃまずいんじゃないか。なあ?」
「!…ちょっとッ」
「ほら、連呼されたくないなら早く言え。」


ベッドの中までそれじゃやる気も出ねェ。

その言葉に、ふつりと彼女の中で何かが切れた。
立ち上がる。海楼石で確かに能力は大きく減退しているが、実際、彼女に限っては実は使えないわけではない。体に負荷は掛かるが、かつて海軍で耐性を実験されていた賜物だ。トラファルガーはそれを知らない。裏をかくには一瞬あればそれで充分。


「貴方に名を呼ばれる謂れはない。私は行くわ。」


緑眼が未来への道を視る。行ける。しかし、彼女がその足を踏み出した瞬間。目の前の視界が、ぐにゃりと歪んだ。


「―――ッ!?」


咄嗟に体を支えようと、椅子の背を掴むが腕に力が入らない。重力に逆らえず崩れ落ちる体。それを後ろから支えたのは、ローの刺青だらけの腕だった。


「――、…!」


目が回る。浅い呼吸を繰り返しながら、ヒスイは混乱の中胸を押さえた。朦朧とした意識の中、自分を受け止めた男を見上げると彼は変わらず余裕の笑みを浮かべて机を見た。

(……まさか。)

歯を食いしばり、焦点を変える。
辿る視線の先は口にした食事と飲物。何か盛られていたのか。ヒスイは失態に下唇を噛んだ。


「…――あ、なた」
「クク…、二度も取り逃がしてるから念には念を入れておかねぇとな。先読み出来る奴ほどこういうシンプルな罠を見落としがちだ。さて、今度こそ詰みだ、お嬢さん。心配するな、殺しやしねぇよ。」


ヒスイを軽々抱えあげて、ローは戸口へ歩いていく。続いて、彼女の帯刀を持って出る人物がもう一人。全てが自然でまるで流れ作業のように。

初めから全部、仕組まれていたように。


「宿はどこだ?荷物位は運んでやる。」


ローの言葉にヒスイは気だるさを殺して、大人しくポケットから部屋のキーを取り上げる。


「…悪名高い海賊でも、そんな気のきいた事をしてくれるのね。」
「気に入った女だ。可愛げがありゃ、もっと優しくしてやるが、まあ後はあんたの態度次第だな。」


最後の嫌味のつもりだった。
だが意外にも真っ直ぐ言葉を返され、その不意打ちに息をのむ。軽く響くリップ音。唇に赤く滲んだ血をやんわり舐めて、ローは彼女をしっかりと抱え直した。


「眠ってろ、クロノス。そうして次、起きた時にゃお前の航路は俺の行く先だ。」
「…名前はヒスイよ。トラファルガー。」
「ヒスイ、ね。漸く自己紹介が終わったな。」


力の抜けきった彼女を腕に、かの海賊はそう不敵に嗤った。

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2011 03 03

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