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自由民と宝石姫2


街に降りて息を吸うと、様々な匂いがした。

エクバターナの城下町は王宮から見下ろす雰囲気と実際はまた異なり、人々の生活と声が直接聴こえる。少し前までなら一人で夜に街まで降りてくるなどあり得ない事だったが、ある人物と関わるようになってサナハーレは変わり始めていた。

あの人がいるところなら、大丈夫。
そんな何ら確信もない自信が、踏み出す一歩を軽くして。酒場から聞こえてくる笑い声に誘われて、彼女はフードを深く被り直しそちらへ静かに走っていった。

(あ、いた!クバード殿…)

こっそり入り口の近くの窓から中の様子を覗き見る。大きなソファーの真ん中にはクバードが座っていて、側には美しいパルスの女性達が幾人か酒を注いでいた。

(楽しそうだな…)

サナハーレはそれを遠目に眺める。夜店で買った焼き鳥を一人外でかじりながら、彼女は黙って壁に身を預けていた。クバードの隊に身を置いてから彼女は城を抜け出すことが多くなった。
もちろん、堂々と行えば従者が黙っていないので、夜、部屋に入り寝入ったふりをしてから。知らない事を自分で見聞きし、知るのは楽しかった。街中は夜でも賑わっており、多くの人間が灯りの灯る道を行き交う。ふとした拍子に辺りの感情が聴こえてくる。それはまるで音の洪水のように彼女の頭に流れ込んできてサナハーレは黙ってそれに聞き入っていた。
彼の近くで、街中の声を拾うのが彼女はとても好きだった。


「おい、子供がこんな所で何をしている?親は?」


あまりにその音に気を取られていて、彼女は人が立ち止まり、声を掛けてくるまですぐ隣の気配に気付けかった。
見上げようとして、全力で再び下を向く。

な―――なんで、このひとがこんな時間にこんな所に!
一瞬、逃げようかと思ったが、足で敵う相手でないのは分かりきっている。絶対に声は出せない。弱ったサナハーレは恐る恐る酒場の入り口を指差す。
親がいるから大丈夫だと。相手にそう伝えたかったが、あろう事かサナハーレはがっちり腕を掴まれた。


「全く、こんな時間に子供を放り出して自分は店で呑んだくれているとは。来い。俺が一喝してくれるわ。」


悲鳴を堪える。店内に引き摺られるようにして入ると、クバードとばっちり目が合った。彼は彼女と隣の男を一瞬驚いたように見比べるが、すぐにいつもの表情に戻る。ハラハラと狼狽えるサナハーレだが、自分から動く事は出来なかった。


「これはこれは、お偉い貴族様がこんな時間に街中の酒場に何用だ?シャプール。」
「フン、貴様には関係ない事だ、クバード。俺はこの子供の親を探しに入ったまで。外の路地で一人座っていたものだからな。全く、その辺の奴隷にでも危害を加えられたらどうするつもりか。」
「はあ?そいつの親だぁ?」

(わぁああ!喋らないでクバード殿!!)


殆ど、涙目でサナハーレは首を横にふる。咄嗟にシャプールに掴まれていた腕を振り解き、彼女はクバードの元に駆け込んだ。飛び付いた拍子にフードが外れる。ふわりと零れる束ねた黒髪。
クバードの肩に必死にしがみつくと、彼は深い溜め息をついて呆然としているシャプールを見た。


「…く、クバード…貴様まさか隠し子が」
「――んなわけあるか。…これは俺の女だ。ちぃーとばかし言い合いになって飛び出していただけの事よ。なあ?」


振り向かないまま、サナハーレは首を縦に振る。外套の上から艶めかしく腰を擦る太い腕に体が震えるが、シャプールと顔を合わせる方が気まずく黙って堪えた。
周りの女達からやっかみの声が上がる。幸いにもシャプールは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりにすぐに店から出て行ってしまい彼女はほっと息をついた。
引っついていた体を押すと、クバードと目が合う。礼を言って彼女はすぐ出るつもりだった。しかし思いの外、真剣な目をしたクバードはサナハーレを軽々と肩に担ぎ上げ、銀貨を数枚テーブルに置いた。


「悪いな。今夜はこれで仕舞いだ。後は好きにやってくれ。」


外套ごと巻かれ担がれた少女は、まるで人攫いにあったようだがクバードが背負っているとあって誰も気にも止めなかった。また女を引っかけてこれからお楽しみなのだろう、と。
だが、当のサナハーレは違った。
せっかく寛いでいたのを邪魔してしまい、もう帰るからと足をばたつかせ必死にもがいた。


「そう遠慮するな、姫さんはわざわざ城を抜け出して俺に会いに来たんだろう?まさかあのように熱い抱擁されるとは思わなかったが。宿でゆっくりと続きをしようではないか。」
「…ち、違うんです!クバード殿!さっきのはシャプール殿が急に来たから。その、吃驚して…!」
「…。お主まさか、シャプールに惚れておるのではあるまいな?」
「!?」


違う。そう告げたが、蹴り開けた扉の音にかき消された気がした。寝台に落とされ、何とか布を掻き分けて出ると、覆い被さるようにしてクバードがじっと見下ろしてくる。いつもの飄々とした彼の視線はどこかに行ってしまい、探るような目つきに戸惑う。
困りきって臥せようとする瞳を咎めるようにクバードは彼女の顎をそっと掴んだ。


「…そう言えば以前にも、姫さんはシャプールを持ち上げていたな。あの堅物がそんなに良いか?」
「ち、違います。私は別に…」
「では武勲の褒美を得る代わりにもし俺が姫さんを望めばどうだ。お主は俺の嫁になるか?」
「…私はクバード殿と結婚しません。もちろん、シャプール殿とも致しません。私の一番はアルスラーン王子です!さあ、分かったらこの手をお離し下さい!お、重いです!!」


まるで猫が鳴き喚くように、サナハーレはクバードの下で暴れ続けた。その様子が気に入ったのか、クバードは面白そうに唇を歪めて必死にもがく彼女を笑って見つめる。
視線が和らいだ事に内心、彼女は安堵して抵抗する力を強めた。


「クバード殿!私で遊ばないで下さいませ!」
「…いや。中々に良い眺めでこれはこれで癖になる。抱かずとも可愛いと思う女は初めてかもしれん。」
「か…!かわ…!?」
「そうだな。もう少し女らしい身体つきになったら、嫁候補にあげてやっても構わんぞ。しかし俺に抱かれたい女は大勢いるから無理かもしれんがな。」
「目指してません!!結構です!失礼です!そんなだから、クバード殿はホラ吹きなどと言われるのです!」


ああ、王族らしからぬこの姫が愛しい。
クバードは黒髪をかき混ぜ、笑う。
本来ならこのまま腕に抱いて眠りたい所だが、相手は仮にも主君の娘だ。彼とて手は出せなかった。
抱きついてきた時の体温と体の柔らかさを思い出す。シャプールから逃げるように、すがるようにしていたサナハーレがクバードは少し面白くなかった。

普段はいやに冷静な癖に、ヤツに連れられていた時のあの慌てようはなんだったのだ。

その不満がクバードの喉を通ることは無かったが。
――――――――――――
2015 11 24

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