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(仮)宮廷画家と宝石姫


※アトロパテネ平野〜バシュル山系。


ダリューンの提案でアトロパテネ平野から馬を走らせバシュル山に入った時、すっかり日は落ちていた。
ナルサスの名は王宮にいた頃から聞き及んでいたが、実際顔を合わせるのは初めてだった。心身共に疲れはてて彼の隠居する住まいに辿り着いた時、優しげな顔の男が悠然と彼女らを出迎えた。
目が笑っていない人物だったが、敵意はない様子だった。アルスラーンに続いてサナハーレがナルサスに挨拶すると、彼は心底不思議そうに目を丸くした。


「これはこれは。本当に実在していたのですな、姫君は。宮廷でお見掛けした事がございませんでしたので貴女の存在は半分幻かと思っておりました。」
「…父王の意向であまり公の場には出ておりませんでしたので。」
「ほう、でしたら私どもは案外話せるかもしれませんな。まあ大した持て成しは出来ませぬが中へどうぞ。」


家の中へ通されて、サナハーレは薪をくべた前に座る。侍童のエラムがすぐに熱いお茶を各々に用意してくれたのを彼女は有り難く受け取った。
ほっとする温かさと優しい味わいに気が抜けて眠ってしまいそうだが、彼女は意思をしっかりと引き結び顔を上げた。


「ありがとう、エラム。染み入ります。」
「それはようございました。湯汲みの準備が整いましたらまたお伝え致します。」


エラムは表情をあまり変えない、淡々とした少年だった。返り血は途中の川で少し洗ったものの、やはり洗い流せるならばそれに越したことはない。簡素だが美味しい食事が運ばれてきてサナハーレはアルスラーンと共に顔を見合わせてそれを口に入れた。
こんなに傍で食事をした事は今までなかった。胸があたたかくなる事に戸惑いながらも微笑むと、ふと、ナルサスと目があった。
物事を見透かすような瞳に、慌てて彼女は目を臥せる。まじまじと眼を見られるのは苦手だった為、慌てて平静な表情を繕う。
食卓での会話はアトロパテネでの戦況報告の話に移った。カーラーンの名がダリューンの口から出た時、僅かに肩が震えてしまった。ここへ来るまで必死で、忘れていた心がじわじわと戻ってくる。
ナルサスに協力を求めたダリューンらだったが、彼の返答は保留。その晩はひとまずそこで休む事になった。

身体を清めて、少し大きめのエラムの平服を借りたサナハーレは少しだけ涼みに外へ出た。この土地の精霊は穏やかで夜の静寂を楽しんでいた。家に居ついている精霊らもナルサスを気に入っているようだ。画材の周りで楽しそうに飛ぶのが見えた。
この空間はあまりに平和で、彼女はなお頭が混乱してしまう。つい数時間前まで酷い戦場の中にいたのに。こびりついた血のにおいを洗い流すと全身から力が抜けて、日差しの差し込む王宮を思い出した。

(城は好きではなかったはずなのにな…)

エクバターナが落ちるのは時間の問題になるだろうか。王都は城塞の防御に秀でた万騎長サームが守備についているが、あの数で攻められ鉄壁の城門と言えど持つかは全く読めなかった。


「…眠れませんか?」


さく、と土を踏む音がしてサナハーレは静かに顔をあげる。湯気だつ茶筒を片手に持つナルサスを見て、彼女は反射的に立ち上がった。


「…!いいえ、そういう訳では。ですが、少し頭を冷やしてから休みたくて。」
「体は疲れている筈だ。…エラムに薬湯を用意させましたのでどうぞお飲みください。」
「お気遣いありがとうございます。…エラムは殿下と同じ年頃に見えますのに本当によく気が付く青年ですね。」
「頼りになる侍童です。元は私の父の奴隷でしたが、今は自由民として仕えてくれています。 」
「…私にも大切な自由民の師がいるのです。私は彼から戦を教わり、食事の作り方や街中での身の回りの立ち振舞い…王宮では知れぬ事を彼は教えてくれました。…生きておられると信じていますが。」


手渡された茶筒に唇をつけて喉に通す。
それから幾ばくかナルサスと話をした気がするが、彼女はごっそり記憶が抜け落ち朝を迎える事になる。


「……ナルサス。よもや薬を入れすぎたのではあるまいな。」


ナルサスに抱えられて、家の中に戻ってきたサナハーレを見てダリューンは俄に顔色を変える。アルスラーンは既に就寝しており、エラムは明日の朝食の下ごしらえを釜の傍で行っていた。


「人聞きの悪い事を言うな、ダリューン。姫はここへ辿り着いてからも絶えず気を張っておられた。感受性の強いお方のようなので、休んでいただく為の気配りに過ぎぬ。」
「…」
「…時にダリューンよ。」
「なんだ」
「姫君は戦に出ていたと仰っていたが、誰がついておったのだ。」
「サナハーレ様はクバード殿の隊におられた。姫としての身分は偽っていたが、なかなかに通り名の知れた騎兵であるぞ。クバード殿もお主と同じく宮廷を好かぬ御仁であったが姫様と気はあっていたようだった。」
「ほう。クバード殿ときたか。それはまた…解しがたい組み合わせだな。」


力の抜けきった体を布団に横たえながら、ナルサスは不思議そうにサナハーレの顔を見る。クバードは女好きの男だが戦場で判断を誤る男ではなかった。珍しい金の目を持つ外見以外で、何が彼女の内で光るのか。もう少し人と成りを見てみたい興味が確かに沸いたが、厭世の隠者を棄てる天秤に勝る程では無かった。

(姫君…、せめて今宵くらいはゆっくりと此方でお休み下さい。)

目の下の隈をそっと指先で撫で、ナルサスは微かな寝息をたてる彼女に毛布を掛けた。
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2015 12 06

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