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黒王子と宝石姫


※ペシャワール城塞。「王子二人」辺り。


ペシャワール城塞に辿り着いて、まもなくサナハーレは一度高熱で倒れた。張り詰めていた緊張が解けたせいと、栄養不足から来る疲労だった。
ルシタニア兵の猛追を躱しながら最後の約丸2日間はほとんど飲まず食わずで馬を飛ばし、…カーラーンの一件もあった。ダリューンが平謝りするのに、彼女は首を横に振って彼に笑った。
貴方がいてくれたから、此処に辿り着けたのです。と。
寝台に一人横たわり、彼女は天井を見上げる。
本当は単なる疲労だけでない事は気付いている。生まれてこの方、魔術をあれだけ頻発して使用した事はこれまでなかった。恐らく、慣れない体に反動が来たのだ。
軍議は欠席することになった。アルスラーンは今頃、上手く臣下や諸侯らの前で振る舞えているだろうか。ナルサス殿がついているから大丈夫だろうけれど。
ただ部屋で心配する事しか出来ない自分が歯痒かった。

暫くして、キシュワードが様子を見に部屋を訪れてくれた。彼の使いであるアズライールも共にいて、彼女はふわりと力なく笑う。
上体を起こすと、アズライールがキシュワードの肩から布団に降りて、サナハーレの顔をじっと見上げた。


「姫、どうぞ横になったままで構いませぬ。まだお辛いのではありませぬか?」
「大丈夫…、ありがとう、キシュワード殿。ダリューン殿はどうしていますか?」
「軍議の後、すぐに此方へ向かおうとするので先ずは休ませました。お主に隣で謝り続けられては姫様の方が気を使うと。」
「……貴方には昔から甘えてばかりですみません。」
「何を仰いますか。貴女はもっと我らを頼るべきです。本当なら、剣を取らずとも良い身であるのに。」


アズライールの羽を撫でながら、気丈に前を向く王女にキシュワードは苦笑した。成長したとはいえ王女は女の身で、彼より10も下である。臣下たる騎士が守るのは当然のことであるのに、姫はそれを是としない。昔からアルスラーンと親交のある彼が、サナハーレも気に掛けるのは彼女の甘え下手な一面による所もあった。

ペシャワールから王都エクバターナへの挙兵を万騎長バフマンが渋っていると聞いて、彼女は胸に引っ掛かるものを覚えた。記憶していた中では、彼は決してルシタニア兵になど屈しない豪傑な人柄だった筈。何が、歴戦の将の足枷になっているのか。考えてみるが答えは出ず、彼女はまた少し眠った。

薬が効いて数時間もすると、サナハーレは難なく身を起こすことが出来た。まだ足は少し覚束ないが羽織物を纏い、部屋を出る。始めて足を運んだペシャワール城塞だが、王宮に比べ中の造りはシンプルで迷うことは無さそうだった。
中庭を抜けて城壁を見上げると、長い影がひとつ。動かず静かに伸びているのに気づく。夕日に銀色の髪が揺らめくのを見て、サナハーレはほっと顔を綻ばせた。
彼の元へ、ゆっくりと石畳の階段を登る。


「アルスラーン。」
「…!姉上!?このような所まで…お身体は大丈夫なのですか?」
「はい。心配を掛けてしましたね…。殿下こそ少しお休みにはなられましたか。」
「私は大丈夫です。…何だか久しぶりですね。姉上が髪を下ろしておられるのは。」


黒髪が風に揺れる。女らしい装いをしたのは王宮を出て以来だ。
少しの照れくささに彼女ははにかむ。 自分より少し背の低いアルスラーンの頭を撫でる。思えばこのように触れる事も王都を後にして久しかった。


「――これからの事を少し一人で考えておりました。姉上…、私達は父上と母上にまた生きてお会い出来る日が来るでしょうか。」
「殿下。ペシャワールへ入れたのも、ひとえに諦めなかったからです。アトロパテネから先、命を落とす可能性はいくらでもあった。けれど私達は今、こうして生きております。私は信じます。貴方を支え、今一度王都を取り戻すと。」
「姉上…」


―――貴様らが王都を取り戻す、だと。

不意に、暗い笑いが風に乗って響いた。二人がその気配に気がつくと、群青色の外套が音なく舞う。現れた銀仮面の奥の瞳に、サナハーレはぞっと身震いした。咄嗟に剣を抜こうとして、愕然とする。起き抜けのまま出てきたせいで、帯刀していない事に今更ながら気付いた。
まさか城塞内にこうも容易く敵兵に入り込まれているとは。丸腰の彼女を守るよう、アルスラーンが銀仮面の前に進み出た。


「…部下も連れず、王族がなんと不用心な事よ。」
「誰だ!そなたは何者か。」


不穏な気配を察したアルスラーンは、剣を抜く。…駄目だ勝てない、彼女は硬直してしまった。その気になれば声を上げる間に、相手の男はこちらの息の根を止めてしまう事が出来るだろう。
男は刀身を引き擦りながら、アルスラーンに斬りかかる。一思いには殺さぬ、先ずは右手首、次は左手首をもらう、呪いの言葉を吐きながら彼はアルスラーンをなぶった。壁に叩きつけられ、アルスラーンは崩れ落ちる。
銀仮面の灰の眼が、次にサナハーレを捉えた時。彼女は身を竦ませたまま数歩後ろにふらりと下がった。


「…そうだ。その金色の目だった。あの頃はアンドラゴラスが城の奥に隠していたせいで分からなんだわ。まさか、奴の子だったとはな。」
「…」
「俺を覚えてはいまいな。あの時、お前はまだ幼かった。口にした事も記憶にあるまい。」


冷えた手が彼女の頬を滑る。サナハーレは眼前に、焔の幻影を視ていた。かつての、幽閉されるように過ごしていた自分を知る人間。誰しもが口にしない火事があったのは知っている。それで命を落とした者の名も。父の兄王が病死し、その件があり、アンドラゴラスは即位したのだから。

あの日、暗闇に昇る黒煙と赤い火にまかれたのは―――…。


「殿下!姫君!」


一本の矢が、均衡を破る。銀仮面は振り向き様に狙い打ちされた矢を叩き落とした。異変に気付いたファランギースが声を上げ、辺りの兵達もそれを察する。
駆け付けてくるダリューンとナルサスの声。アズライールが空を舞い、キシュワードが来るのも分かった。


「…引いて下さい。殿下。お願いです。」


消え入るような声で囁いたサナハーレに、銀仮面は喉の奥で笑った。次の瞬間、彼女の腹を殴り、身動きを取れなくさせた。
ダリューンがそれを見て吠えるように銀仮面に突っ込んでいく。ナルサスも刺客に剣を向け、彼を仕留める為兵が集まってきた。
立てるまで回復したアルスラーンがサナハーレのもとに駆け寄る。脂汗を拭い、彼女は目の前で剣を振りかざす銀仮面の存在に狼狽えていた。


「…今一度問う!お主は誰か!私はアンドラゴラスの子、パルスの王太子アルスラーンだ!」
「王太子とは僭称するものよ。貴様は薄汚い簒奪者の産み落とした子であろうが。」


向けられる憎しみに震える。朧気な記憶の中、無愛想だったが、柔らかい顔をしていた青年の顔をサナハーレは思い出していた。
勝手に出歩く事を許されていなかったあの頃、一人いた緑の片隅で出逢った、あの人は、


「俺は先王オスロエスの子、ヒルメス…!」


烈火のごとく、ヒルメスはダリューンの剣を弾き返すとアルスラーンとの距離を再び一気に詰めてくる。サナハーレの金色の眼が、ヒルメスを見据えた。

――…守らなくては。
アルスラーンを殺させてはいけない。
彼女がアルスラーンの前に出ようとした瞬間、人影が彼らの間に割って入った。

血しぶきが舞う。体を貫く長剣。二人を庇ったのは万騎長のバフマンだった。彼は僅かにヒルメスと言葉を交わし、城塞の外へ走り出したヒルメスを追撃しようとしたダリューンを最後の力で引き止めた。

――殺してはならぬ。あの方を殺せば――

咄嗟にバフマンの口から滑り出た言葉に、周りの者達は戦慄した。冬山の頂に落日が訪れる。彼の命が尽きるのと時を同じくして。白い顔をしたアルスラーンにサナハーレが寄り添おうとした時、キシュワードが静かに隣に膝をついた。


「立てますか?怪我は?」
「…は、はい。私は大丈夫、わっ、」


彼女の返答を待たず、キシュワードは横抱きにサナハーレを抱えあげた。


「キ…、キシュワード殿!だ、大丈夫だと」
「失礼。ですが直ぐに医者に診てもらわねば。全く…何事かと駆け付ければ、貴女様までおられ肝が冷えましたぞ。」
「ごめんなさい…」


キシュワードはアルスラーンをダリューンとナルサスに託し、城内へと歩き始める。大人しく身を委ねるサナハーレに彼は安堵したが、言葉を発せず俯く彼女に、掛けるべき良い言葉は見付からず。キシュワードはしっかりと抱いて歩く事しか出来なかった。

――あの方を殺せばパルスの正統な血が絶えてしまう――

彼女はもう一人の王子の事を考えていた。
血筋の事よりサナハーレは過去に囚われていた。
ヒルメスが触れたのは、かつて彼女が触れたのと同じく。

火傷の視えた右頬であった。と。
―――――――――――
2015 12 01

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