×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



此処から先は大人の時間(忍田 真史)


退勤のタイムカードを押して、彼女は荷物を纏めた。
同じく本部の同僚に声を掛けられるがにこやかに挨拶して、足早に部屋を出る。


「ヒカルさん、たまには仕事終わりにご飯でもどうです?」
「ありがとう。でも、この後、まだ少し残務が残ってるの。良かったらまたの機会に。」


彼女の素性を知る者は少ない。近界侵攻時に家族を失くした事くらいで、他を詳しく知る者は殆ど居なかった。
実際の所は少し違った。話さないのは、意図してだ。総司令が組織に配属する際、彼女にそう命じた。


「君はここで友人を作る必要は無い。私が君に求めるのは協力と、情報提供。不用意に隊員達との過度な接触はしなくて良い。」
「…はい、城戸司令。」
「君は忍田の下につける。いざという時の戦力として動けるレベルには仕上げてもらっておけ。」


今日は業務時間外の、秘密の訓練の日だ。

***

「トリガー、起動。」


ヒカルの持つトリオンは独特な色をしていた。
美しく膨大でまさしく生命の泉とも言えるような淡い虹色。目の前でそれを見つめる忍田真史は初めて出会った頃を思い返していた。
第一次近海侵攻以前までは彼女は一般人として生活していた。家族から特別な力を教えられていた事もなく平凡な大学生として。ボーダー隊員による発見時、彼女は自らの意思と関係なく周囲のトリオンを吸収しながら自己治癒をしていた。明らかに異質だったその光景に本人も呆然として状況は分かっていない様子であり、瓦礫と化した家の前で蹲り震えていた。


「…立てるか?」


正体の分からない彼女の前に最初に跪いたのは忍田だった。声を上げられず小さく頷いたヒカルにいくつか質問して彼は彼女を抱え上げた。

あの時の、砕けそうな怯えた面影は今はもう無い。ただ静かな意志が彼女の瞳にはあるだけだ。
表向きはボーダー職員。しかし、実際の所彼女は目の離せない監視対象だ。移動区域は制限されているし、組織に指定されたアパートで暮らしている。

こうしてA級アタッカーを務められる実力を持つことも、知っているのは上層部のごく一部だ。


「…また腕を上げたな。下半身をよく鍛えている証拠だ。」
「忍田さんにそう感じて頂けてるなら良かった。忙しい合間で見ていただいているのに以前以下では申し訳ないですから。」 


上位ランクの隊員達をよく研究している証だろう。こうして間近で打ち合うと彼女の努力がよく分かる。そして、彼女の持つトリオンの希少性も。光と影を利用し、巧みに相手との間合いを騙し攻撃する。いまだ解明されていない、虹色のトリオンと彼女のトリオンを無効にしてしまう能力。
他国家に知れれば軍事利用しようと奪いに来る輩は恐らく数知れないだろう。


「…忍田さん?」
「、」


我に返る。顔を掠めかけた剣を、忍田は彼の意思と関係なく叩き折りそのままヒカルを押し倒した。叩き付けられた反動で彼女が咳き込み、忍田ははっと手を離す。


「す、すまない。弾みで、」
「い…いいえ。本部長相手に一瞬でも取れると踏み込み過ぎた私の甘さです。」


ふう、と息をついて彼女は上体を起こし、苦笑する。
そのままベイルアウトしたヒカルを追いかけるよう、忍田も訓練を終えた。

***

「…本当に大丈夫だろうな?」
「本当に平気ですよ。生身じゃありませんでしたし。」


館内から冬空に足を踏み出すまで忍田は顔を曇らせていた。大きな怪我もしていないのに、ここまで心配されるとはまだまだだと内心、彼女は悔しさが滲む。例えばこれが小南さんのような優秀な女性隊員だったら、こんなに気にさせることはない筈だと。


「じゃあ飯でもどうだ?もう遅いし…あ、これはセクハラに当たるか?」
「ふふ…いいえ。私には該当しませんけど。忍田さん、お嫌いなものは」


会話の際、ふ、と風が割って入った。
木枯しかと思ったが、違う。ーーー彼だ。気配を探すと、エントランスの前に身軽な影が降り立ちヒカルと忍田は足を止めた。


「お疲れ様です。」
「…こんばんは。遅くまでお疲れ様、迅さん。」


普段通りにこやかに一礼する。かなり遅い時間だが、本部への報告に来たのだろうか。近付いてくる迅の顔は心なし少し険しい気がした。


「残業ですか?お二人"だけ"で。」
「まあそんなところだ。お前ももう上がれるのか?」
「はい。この後は何も。…ヒカルさん、真っ直ぐ家帰るんですか?」
「え。ああ、…。今日は遅くなったから夕飯を本部長と相談してて」
「じゃあそれ俺も追加で。ちょっと待っててください。」
「え、…あ、ちょっと!」


返事を返す前に迅はその場から消えてしまった。
気まずさを殺して忍田をそろりと見上げると、複雑そうな顔で苦笑している。何を思われているかは想像がつく。ヒカルは小さく息をついた。


「…、その、なんだ。嫌われるより良いんじゃないか?」
「…それはそうかもしれませんけど。彼はまだ未成年ですし、かと言って無下にも出来ませんし。…複雑です。」
「では今夜は止めておくか?俺は構わない。君が帰るとなれば迅も玉狛の隊舎に帰るだろう。」
「…そうですね。」


忍田の提案に頷いて、ヒカルは既に非常灯に切り替わっているエントランスを振り返った。
鞄からメモを取り出して、走り書きをすると近くの柱に貼り付ける。きっと、彼はこれを見る。そして、申し訳ないが少し項垂れてしまうのだろう。


「では忍田さん、今日はこれで。今夜は遅くまでありがとうございました。」
「ああ。…ヒカル。俺で構わなければたまには誘え。誰かの顔を見ながら夕食を取るのも悪くないだろう。」
「お心遣いありがとうございます。またの機会に是非。」


冷たい夜風が彼女の髪をふわりと梳かした。
月明かりに浮かぶ笑顔は美しく、少し視線を落とした瞳は僅かに寂しげに輝いて見えた。

夜の帳が降りた街へ彼女は一人歩いていく。
頼りなくは見えない。しかしそのまま夜に溶けて帰ってこないような儚さをその背中は感じさせた。

(……彼女を孤独なまま置いてあるのは、我々上層部だ。
もう、大切な仲間である筈なのに。)

忍田は迅の若さを少し羨ましく思った。
柵など気にせずあの細い背中を追い掛けて、そのまま抱き締めてしまえばいい。
たった数秒で出来てしまうそんな事が大人になると出来なくなるから。

居場所の一つになりたい。と思う。
少しずつ手放せないものをまた作って行けば、彼女もまた心から誰かを愛し笑えるようになるだろう。

迅が再びエントランスへ戻った時、二人の気配はもう遠のいた後だった。
柱に貼り付けられた落ち着いた色のメモ用紙を長い指が掬う。


"今夜はこのまま帰ります。よく休んで下さいね。"


ため息と共にしゃがみ込んだ青年は、嫉妬と恋慕の狭間で頭をかいた。

ーーーーーーーーーーー
2021.12.16

[ 4/7 ]

[*prev] [next#]