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Kiss me Good bye05


逃げても逃げても。
口を開けて紅い月は落ちてくる。
忘れられない過去。いくら後悔しても犯した罪は、消せない現実。何故、何処で間違えたのか。
初めは普通の、錬金術の研究をしていたのに。

いつからこの手は真っ赤に染まって、

「―……」

真夜中。額に嫌な汗をびっしょりかいてヒカルは目を醒ました。暫く見なかった昔の夢。薄れかけていたのに鮮明に甦る研究所の感覚。まだ熱の残る涙を、彼女は乱暴に拭うと息を整え体を起こす。

耳を澄ませば聞こえてくるにぎわしい喧騒。ここがデビルズネストだという事をはっきりと自覚して、ようやく少し安堵出来た。

「…グリードさん。」

縋るように、その人の名をヒカルは小さく口に出す。第五研究所で助けてもらって以来、まともに口を聞いた事など一度も無い。
だが…鉄格子の中で死を待つ事しか出来なかった私を救ってくれた手。
あの温かさが今でも忘れられないでここにいる。
しかし後ろめたさは拭えない。本当は…ここに居ていいような人間ではない事は分かっている。元々は彼らの命を弄ぶ側の研究員であったヒカル。マーテルやドルチェットのように強くない。戦ってグリードの役に立つ事は出来ない。
グリードが周りに置く女達のように特別美しいわけでもない。だから…彼のものとして側にいる資格など本当はないのだ。
だから…彼に話しかける事も―――――。

“そうやってまた言い訳ですか…?”


「っ…」


不意に脳裏に浮かんだ、蔑むような金色の瞳にヒカルはぎゅっと目を閉じた。
いつも、あの鋭い目は胸の内を見透かすようで…キンブリーは―――怖…い。

見る限り、彼はキメラをあまり心良く思っていない。それどころか時折敵意すら向ける風体でいるのに、何故ここに留まっているのか。落ち着いたら彼は出ていくものとばかり思っていたが。
彼女はそれが不思議でならなかった。

(…やめよう。)
あの人の事はどうせ考えても分からない。
ヒカルは一つため息をつくと、上着を一つ羽織り部屋の窓を押し開けた。


「おや…、奇遇ですねえ。」


不意に、下から聞こえた声にマリスはぎくりと体を強張らせた。ぎこちなく視線をそちらへ移すと、想像に違わぬ人物が部屋の階下に立っている。

煙草を銜えているのだろう。口元に小さな赤い光が見えた。


「眠れないんですか?」
「……は、はい。少し。」


上擦った声で返事をすると、ヒカルは慌てて顔を逸らした。何だか急に居心地が悪くなり彼女は窓の扉に手を掛ける。
彼と顔を突き合わせているよりは眠れずともまだ横になっていた方がマシだ。そう、思ったのに。階下の男は彼女の嫌いな笑みをその瞳に浮かべて薄い唇に弧を描いた。


「なら、降りてきませんか。」
「は…?……い、いいです。」
「じゃあ私がそっちへ行ってもいいんですか?」

「は……はあ!?」


素っ頓狂な悲鳴を上げて、ヒカルは一歩後退する。彼女が思いきり困惑し目を瞬かせているとキンブリーは満足そうににこりと笑い、側の壁に背を預けた。


「五分待ちます。お好きな方を選んで下さい。」

***

「…残念。時間ぴったりですね。」
「………。」


慌てて服を着替えたヒカルはストリートに飛び出していた。また部屋に押し入られるなどとんでもない。だが、呼び出されるのも不本意だった。不機嫌そうに眉を寄せる彼女にキンブリーは目を細めると、紫煙を唇からたっぷりと吐き出す。あ、と。ヒカルはそれをさっと避けると風上に移動し、その場に小さく座り込んだ。


「……煙草、嫌いなんですか?」
「…鼻にくるんで。…私も…一応、キメラですから。」


無愛想に彼女がそう言うと、キンブリーは意外にもすぐに火を消した。
驚いてヒカルが顔を上げると彼はそれに鼻で笑う。


「今夜呼び出したのは私ですからね。これくらいの配慮は当然ですよ。」
「……意外です…」
「…。それは褒め言葉と取っておきましょう。」


そう言って、静かに距離を詰めてくる彼にヒカルはハッと立ち上がった。
心の置けない…張り付いたような笑み。頭二つ分以上背の高い彼が側に立つと、自然と影に覆われる。

闇は…嫌いだ。そもそも夜自体好きではない。
深い闇は、あの暗い地下を思い出す。
ゆえに、ヒカルが少しばかり身を引こうとするとその腕を大きな手が容易く捉えた。


「…なん、ですか。」
「貴女はどうして、こんな所に居続けるんです?」


一瞬、彼が何を口にしたのか分からなかった。
暫し呆気にとられたヒカルだったが、程なくいつになく強い眼で眼前の男を睨みつける。

ここに留まる理由―――そんな事、知っている癖に。
彼女は胸を刺す僅かな痛みを感じながら悔しげに唇を噛み締めた。


「それは私の台詞です、キンブリー。…貴方は誰とも親しくなろうとしない、心を交わさない。…キメラの事だって貴方は快く思ってはいないでしょう?」
「ほお……よくお分かりで。」
「、なら…っ!なら、何で出て行かな………っ…」


言葉の途中で背中に冷たい衝撃が走る。

どん、と。
壁に押し付けられる感触。
口内に広がる苦い味に、ヒカルは小さく呻き声を漏らした。


「嫌ッ……やめ、っ…ん……!」


何とか逃れようともがくが、首元を押さえ付けられた苦しさで身動きが取れない。
噛み付くよう重ねられた冷えた唇。
混乱と不快感しかないそれにヒカルが顔を歪めると、キンブリーは目を細めた。金の瞳がほんの僅か柔らかくなるが彼女はそれに気付かない。

やがて彼はわざとらしく音を立ててヒカルから唇を離すと、至近距離で潤んだ瞳を覗き込んだ。


「な…何す」
「貴女にここは相応しくない。」


驚く程、それは真摯な声だった。反射的に身を強張らせるが、間近にある金色の眼が抗う事を許さない。
まるで全てを否定されたような絶望的な感覚が彼女を襲い…目尻から涙が溢れ落ちた。


「離して……離し…」


その声にキンブリーは黙って従う。開放されるままぱたぱたと建物の中へ消えて行く彼女の足音。
と―――それが途絶えてからすぐ、闇の中からゆらりと黒いシルエットが現れた。


「珍しいな…お前が女といるなんざ。あれ、気に入ったのか?」
「ええ、まあ。…彼女、私が貰ってもよろしいですか?」
「ハッ…冗談。あれは俺のもんだ。欲しけりゃ奪ってみるんだな。」


軽く肩を竦めると、グリードはデビルズネストの扉を潜る。その背中を歪んだ瞳で見つめるとキンブリーはポケットの煙草に手を伸ばした。


「……ではそうする事にしましょう。……貴方も、もう長くない。」


そうして明かりの消えたままのヒカルの部屋を見上げながら、彼の瞳は夜空に浮かぶ暗い月を映し込む。
血に濡れたような赤い輝きを宿すそれにキンブリーは愉快そうに目を閉じた。


もうすぐ自由にしてあげますよ―――――ヒカル。

ダブリスに吹く不穏な風。
それはまだ誰にも気付かれる事無く、キンブリーの吐き出す紫煙をただ静かに呑み込んだ。
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2006.11.23
一部改定。

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