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Kiss me Good bye03


着替えを持って、剥き出しのコンクリートの廊下をひたひた歩く。 ここデビルズネストは空き部屋は余る程あるのだが、シャワールームは生憎地下に一つしかない。

昼間は時折、店のホステス達が使うのでヒカルがここへ来るのは大抵夜。 皆が上で騒いでいる間にヒカルはいつもこそりと足を運んでいた。
誰もいるはずがない。鍵もかかっていない事も確認して彼女は徐にノブを 回す。
――――と。


「…やあ。すみませんがもう少し待ってもらえますか?」


声が出ない。 どうして鍵を閉めないんだとかどうしてそんなに落ち着いているのかとか。言いたい事はふつふつと浮かんできたが、上半身裸でたっぷりとした黒髪から水を滴らせている姿に硬直して何も言葉にならなかった。
ふらりと一歩後退し、ヒカルは謝りながら勢い良く扉を閉める。

顔が熱い。怒りなのか、恥ずかしさなのかよく分からないものが一気に込み上げてきて彼女は壁に寄りかかった。

落ち着かなければ。まず、落ち着かなければ。

一度、深呼吸してヒカルは思考を正常なものに引き戻す。そして部屋に帰ろうと足を出しかけた時、予想外に早く中の人物が閉めた扉を開け放った。


「ああ…お待たせしました。…おや、何処へ行くんです?」
「……は、はい。わ、…忘れ物したんで……」


振り向く事など出来ない。 咄嗟に思い付いた言い訳を口に出しながら、彼女はその場を離れようとする。免疫の無いヒカルにとって今彼といる事は拷問に近いものだった。
だが、そんな胸の内などさらさら汲めず。 男は平然とさらに心乱す言葉を口にする。


「そうですか。じゃあ、私もついて行って宜しいですか?」
「…え……え゛!?」


反射的に振り返ってしまうと、意地悪く笑う金の目とまともに視線が合う。

……冗談、だ。からかわれただけ。
そう思おうとしたが、男は固まる彼女の背にごく自然に手を回し歩く事を促した。


「さあ。行きましょう。このままでは風邪をひいてしまう。」


普通ならここでいくらでも断る理由が出てくるはずだった。だが添えられた手が殊の外熱く、風呂上がり特有の良い香りに思考が限りなく鈍らされた。
断りきれない自分を恨めしく思いつつ、ヒカルはそれに渋々従う。顔の赤らみは薄暗い灯りが隠してくれるよう祈った。

***

「……熱くないですか。」
「はい。とても気持ちいいですよ。」


……何故、自分がこんな事をしているのだろう?
部屋に一定の音を響かせつつ、ヒカルはキンブリーの髪に触れていた。

“女性なんですからドライヤーくらい持っているでしょう…?”

彼の口からそう告げられた時は、正直脱力した。 聞けば脱衣所に備え付けられているものが壊れていたらしい。
明日にでも買い出しに行って取り替えて置こう。朝一で行こう。
ヒカルは自分よりずっと長い黒髪を乾かしながらぼんやりと思った。


「…たまには良いものですね。」
「はい?」
「髪に限った事じゃありませんが、…嫌いなんです よ。他人に触られるの。」
「…そうですか。…あの…じゃあ、ご自分でやりますか?」
「いえ。今はこのままで。」


気を張っているヒカルと相対し、椅子に腰かけている人物は至極落ち着いた様子で呟いた。ちらりと伺うと鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌に見える横顔。一瞬、この男が爆弾狂である事を忘れかける程、そ れは穏やかな表情で。ヒカルはかける言葉も無かったので、そのまま黙って手だけを動かした。
今は機嫌が良いようだが、いつそれが損なわれて掌 の錬成陣が牙を剥くかしれない。爆弾狂としての彼の噂はそれ程非情なものだった。

一方、キンブリーは極端に物の少ない彼女の部屋を それとなく眺めていた。生活必需品以外何もない閑散とした室内は、自分が今使っている部屋といい勝負だろう。

唯一、大きく違うもの。 それは…小さな机の上に重ねられた紙の束だった。


「…本。やっぱり好きなんですね。」
「え?」
「乾くまでここにある本…、見ても宜しいです か?」


その問いに、指先から筋肉の強張る感覚が髪をつ たって伝わる。 キンブリーは内心、首を傾げた。同時にヒカルに興味が沸く。恐らく、今彼女は以前カウンターで初めて会話した時と同じ、加虐心を煽る表情をしているのだろう。


「…でも」


予想通り、困ったように戸惑いを含んで返った声に キンブリーは思わず小さく嗤う。


「いいですよ、別に内容なんて。私も本は好きなん です。 ああ、それとも……もしかして官能小説だったりするんですか?」
「な……ち、違います…!!」
「ならいいでしょう。お借りしますよ。」


断る術を塞いで、キンブリーは積まれていた本を一 つ手元に取り上げた。
ハラハラと紙を捲る音。 それはドライヤーのものより遥かに小さなものであるのにヒカルの耳には一際大きくそれが届いた。

数日前に少し遠出して南方の図書館で借りてきたもの。 表向きはどれも普通の小説だが、中身は………暗号化された錬金術関連のものだ。
予め人が来る事が分かっていれば仕舞っておいたの に。 ヒカルは自分の詰めの甘さに胸の内で舌打ちした。

掌にじわりと汗がにじむ。
先程まで気にもならなかった沈黙が今はどうしよう もなく恐ろしかった。もし…、もしも何かバレたらどうしよう。相手は元軍人。どう出るかなんて想像もつかない。
不安に苛まれて気が気でなかったその時、ちょうど部屋の扉が叩かれた。


「ヒカル…まだ起きてる?ちょっと用があるんだけど。」


…マーテルだ。顔の筋肉が緩むのと同時に、今まで無意識の内に引き攣っていた事にヒカルは気付く。
いつの間にか冷たくなっている指先。 早くこの異質なこの空間から、二人きりでいる事から解放されたい。
ドライヤーの電源を落とし、ヒカルは返事をしようと息を吸う。 すると、不意にその口を掌が覆い、一瞬にして後ろから被さるよう強引に身体が抱き込まれた。


「…ん、む…っ!?」
「…無粋だなあ。折角、いい所だったのに。」


耳元で囁かれた声。 それは先程までの穏やかな声色が嘘のように、獣が唸るような音だった。
ごとん、と床に転がり落ちるドライヤー。 それを震える瞳で見つめながら、ヒカルは口を塞い でいるキンブリーの手を剥がそうと無意識に自身の手を重ねていた。


「…ぅ…うう…」
「…?ああ…すみません。貴女は怖がらないでいい んですよ。静かにする…、約束出来ますか?」


突如として…また柔らかい口調でそう問われ、ヒカルはこくりと一度頷く。 ゆっくりと彼女が手を降ろすと、キンブリーは満足げに微笑みすぐに彼女を解放した。


「いい子だ。」


そう言って綺麗に金の瞳を細めると、彼は戸口へと 歩いて行く。
がちゃりと無機質な音をたてて開く扉。 マーテルは目に飛び込んできた予想外の人物に思わず肩に装備してあるナイフに手をやった。


「、アンタ…!?」
「おやおや…ご挨拶ですねえ。いけませんか?私が ここに居たら。」
「……。ヒカルは?あの子は何処?」
「奥に居ますよ。」

「、退いて…!」


立ち塞がるキンブリーの体を押し退けるよう、マー テルは部屋の中へ入る。
すると、椅子に座ってぼんやりとこちらを見ている ヒカルの姿が目に入った。


「ヒカル…?」


目線を合わせて、マーテルが屈むとヒカルは曖昧に笑みを浮かべる。 普段とそう変わらなくも見えたが、何所か憔悴したようにも見て取れた。

―――二人だけにしておくのはよくない。
直感的にそう思った彼女は、ヒカルの腕を掴むと席を立たせる。


「おいで。」


有無を言わせない勢いで、マーテルは彼女を廊下に 引っ張り出した。そのまま階下へ連れて行こうとした時、それまでただ傍観していたキンブリーがふと声を漏らす。


「ヒカル。」


自然と、その声に足が止まった。 ゆるりと振り返ったヒカルにキンブリーは薄明かりの下で目を細める。
ダウンライトの暗い橙赤色の光が映り込んで、金の 瞳が一際妖艶な輝きを放っていた。
禍々しさと同時にそれをとても美しいと思う。 ヒカルがその雰囲気に呑まれるようその眼を見つめていると、キンブリーは更に笑みを深くした。


「今夜はどうも。」


艶やかな黒髪を一房取って、彼は短く礼を述べる。 ヒカルはそれに首を小さく横に振ると、再び歩みを進み始めたマーテルに引き摺られるよう消えて行った。

完全に姿が見えなくなってから、キンブリーは再び 彼女の部屋へ足を踏み入れる。 そして部屋の明かりを落とすと彼は机の方へ目をやった。

差し込む蒼い月明かりに照らされる本を見て、彼 は少しばかり鼻で嗤うとヒカルの部屋を後にする。

面白い。 何を隠しているか知らないが――――いい退屈凌ぎにはなりそうだ。
それは、彼が久しく気に入りの玩具を手に入れた夜の事だった。
――――――――――――
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