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三つ巴にもならない


「別にリョーマくんのことが好きってわけじゃないんだけどさ、」

 そう話し出してしまったのは、きっと卒業を前にした最後の秋の夕暮れなんていう、センチメンタルな気分にさせるものがぎゅっと詰まった瞬間だったからだ。リョーマくんの応援にかけつけようと今にも走り出しそうだったともちんは、すぐさま立ち止まって振り向き、あたしの目を覗き込んで続きを促す。
「うん?」
 これはほとんど、ともちんの癖といっていい。人と目をあわせて喋るのに慣れないあたしは、毎回顔を背けて視線から逃れようとする。ともちんが追う。逃げる。追う。逃げる。三年間何度も繰り返した。彼女はあたしの無愛想な仕草も、笑いながら受け入れる。一年の春から、中学が終わろうとする今までずっと、ともちんはあたしの一番の友達だ。

「桜乃かわいいよね」
「そりゃあ恋する乙女だからね」
「ともちんもでしょ」
「私は違うよ、リョーマさまファンクラブの会長だもん」
「そうだねかわいくはなかったね」
「名前」
  ともちんがげんこつをかかげて見せる。でも殴る気なんてさらさらないのは知っていた。中学生の女子にしては大きく、所々に傷が浮かぶ働き者の手。睨みつけてくる目がちっとも怒っていないことに笑っていたら、ともちんは諦めたみたいに苦笑してみせた。

 ねぇ、あんたはかわいくない女だよ。きっと部活動もやりたいくせに、弟たちのため自分を犠牲にしちゃうようなひと。うるさく騒いでいるように見せかけて、クラス仲を取り持ってしまうようなひと。クラスの係を決めるとき、文化祭の準備をするとき、調べ学習のグループワークのとき。話し合いが滞って、みんながみんな、負担を負うのを嫌って互いの出方を探りあう、あの気まずい沈黙が流れる一瞬前に、ともちんは嵐のように喋りだす。あたしその仕事やりたい!あんたこういうの得意じゃん、やんなよ!あたし見たいし!
率先してちょっと大変な仕事をやりたがるのはともちんの気遣いだって、たぶんクラスの全員が知ってる。誰も責めず、否定せず、ただただ話を前へ前へ進めていくともちんの優しさに、強さに、あたしたちは目を覚まして、協力しなきゃと思わされる。それだけじゃない、ともちんはいつだって、引っ込み思案のクラスメートをフォローしている。桜乃もあたしも、それから男子の何人かも、ともちんに助けられている。自己中っぽくふるまうのは、相手に負い目を感じさせないためだよね。気遣いを押し付けないためだよね。知ってるよ、わかってるよ。ともちんあんたは損なひとだね。いじらしい女だね。

「時々さぁ、桜乃見てるとたまんなくなるんだよね」
「どーして」

だって桜乃にはかなわないから。桜乃とくらべたらあたしすっぽんだから。桜乃いい子だもん。信じらんないくらい、何考えてんのか意味わかんないくらい、いい子だもん。 お年寄りに席を譲るとか、落とし物を届けるとか、ドミノ倒しになった自転車をなおすとか、素通りしてもいいような小さな善行を、それでもあたしには勇気を出さないとできなくって、いつも結局できずに終わる善行を、当たり前みたいにこなしていく子。 たしかにちょっとすごくどんくさいし、天然だなぁって思うこともよくあるけど、でも悪口とかいわないし、弱音吐かなくなったし、あたしの貧弱な脳みそじゃうまく表現できないけど、桜乃はあたしが生きてきた中で一番に近いくらい純真って言葉が似合ういい子なんだよ。

「桜乃かわいいんだもん」

なんでリョーマくんは桜乃なんだろう。そりゃ桜乃かわいいけど。そりゃ桜乃良い子だけど。しかも入学式からずっと、リョーマくんに一途だし。本人に自覚ないけどさ。うん。そりゃ桜乃好きになるよね。たいして女子、っていうか他人に興味ないリョーマくんが、わざわざ桜乃のことは馬鹿にしにいくの。からみにいくの。を、あたしは見てる。リョーマくんってクールなふりして、結構小学生みたいなとこあるよね。わかりやすい系男子だよね。明らかに両想いのくせに、ボケボケコンビだから進展しないの。見せつけられるこっちの身にもなってよ。ううん、ほんとのとこはわかんないけど。わかんないって思ってないとやってられないだけだけど。

なんであたしじゃないんだろう。なんでともちんじゃないんだろう。ねぇリョーマくん、いつも桜乃をリョーマくんのとこに引っぱっていったのは、ともちんだったでしょう。ファンクラブなんて言っちゃって、ともちんは桜乃の背中を押してばかりいたでしょう。

「もー、あんたは仕方ない奴だな」

小坂田朋香はこんなにいい女なのに。



「たぶんあたし、桜乃のこときらいになるよ」
「うん」
「っていうかもうきらいかも」
「うん」
「まだわかんないけどさ、あたしたちずっと仲良しでなんていらんないよ」
「うん」
「ごめんね」
「さみしーね」
「うん」
とっくの昔にテニス部の練習試合は始まっていた。廊下の窓から顔を出すと、黄色いボールがぽんぽん跳ねているのが見える。

「でも今はさ、きらいになっちゃうまではさ、このままでいようよ」

ボールを追っていたあたしの視線をともちんの言葉が引き剥がして、向き合うことを強制してくる。ともちんはずっとあたしの目を見て喋っていたみたいだった。夕日に照らしだされた半顔の、瞳が一際強い力に満ちている。きっと夕日のせいだろう、涙ぐんでるみたいにきらきらしていた。

「うん。そうだね。このままがいいね」

あたしが桜乃をきらいになっても、ともちんは桜乃と仲良しだし、あたしはともちんと仲良しだろう。でも、でも、そのときまでは、ずっとなるべくこのままでいよう。あたしとともちんと桜乃で、もしかしたらきらいかもしれないなって思いながら、このまま仲良しでいよう。
あたしはリョーマくんのこと好きじゃないままで、ともちんはリョーマくんファンクラブの会長のままで。そしていつかそのときがきたら、人目も気にせず泣きじゃくるんだ。


2018/04/30


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