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山嵐消ゆ

お前は刀なのだと言われた。



はて、ついぞこの間まで女子大生をやっていた人間がなぜそのような脈略のないことを言われなければならないのか。この本丸の審神者だと名乗った人間は白紙を顔の前に下げていて、意外な話かもしれないが紙は透けることがなく、声も中性的で、体型も見極めようとすればぼんやりぼやけて人の形ですら怪しくなって見えなくなってしまう。見ようとしては見えまいぞ、とキラキラと光る青白い月のような男が審神者、という役職に就いている人間の側に座って明け透けに笑った。



「主、システムにバグが起きたな」

「三日月……この短刀、戦えると思うか」

「思わん。主と同じだ」

「またお前を振るってやるぞ」

「おお!  それは嬉しいな」

「おいおい、そこは嫌がれよ」



上に確認を取ってくるから、君はそこに。



審神者は私と宝石のような男を置いて部屋から出て行ってしまった。磨きに磨かれた、三日月と呼ばれた男は私の前に座り直し「感の鋭さが災いしたかな」と目を細め微笑む。



「俺の名は三日月宗近。お前たちの言うくくりの平安時代、三条宗近という刀工に作られた太刀だ」

「刀?」

「刀を依り代とし、霊魂をおろすことでな、このような姿になるのよ。システム上では俺たちを刀剣男士と云って管理されるが、お前は刀剣女士だな。ははは」

「はぁ……」

「俺は見目によって魂を斬るんでな、だから白々しく光っているように見えるんだろう」

「エッ……」



まさか、先程から男へ持っていた印象が、私の考えが丸聞こえになっていたんだろうか。

三日月は私の顔の相を見とってか、心底可笑しそうに顔を歪ませる。素直だ。



「大方、技術班や人事部やらはお前を刀工にしようとしたかな。お前の感は刀工向きだ。俺はその感ではなくて、勘がいいから、お前の思考が分かったような口を利くだけだ。まっ、気にするな」

「カン?」

「お前のカンは感じるのカンだ。俺のカンは勘が当たるのカン」

「ああ、なるほど……。一つ、先にお尋ねしたいのですが」

「おお、いいぞ」

「私は、帰ることができますか」



三日月は優雅に、口元に着物の袖を押し当てて目線を背けた。











君は私がいる時代より前からの来訪者だったようだし、上の手違いに巻き込まれてしまったらしい。天の導きは理不尽だなあ……。



と、審神者に言われた。



「エラく大変だなあ、自分の身体が分かってねえってことだろ?」



そう言ったのは私と同じ短刀の、薬研藤四郎である。新入りの面倒は俺が見ることになっているのだと、彼は歯を見せて笑い自ら仕事を引き受けてくれた。少年のような彼は白衣を羽織って屋敷内を案内し、私に当てがわれた個室で腰を落ち着ける様は飄々とした風態だった。私よりも身長が低く細身で、身軽である。



「身体が分からないって?」

「小難しいことは置いておくとして……、前は人間だった、てのは合ってるか?」

「うん」

「よし、ちょっとその縁側に落ちた葉っぱを数枚持ってきちゃあくれねえか」

「はい」



庭先の落葉樹の葉が風に乗って縁側に舞い降りていた葉は5枚あった。全てを拾って薬研に渡す。「見てろよ?」薬研が私の手のひらに1枚だけ葉を乗せ、その上から彼自身の手をすっと翳した。



「あ……」

「おっと、すまん。一緒に斬っちまった」



2枚に裂けた葉の間が、赤く滲んだ。痛痒さに手が震え、葉が手の上から落ちる。薬研の声が脳裏に沈んでいく。



「これが、刀ってことだ。これからのあんたは、例え見た目が人の姿であろうとその身体が刃物であることを忘れちゃいけない。怪我しないためにも、俺っちが教えてやるから心配すんな!  な、だから困ったことがあったらすぐに言ってくれねえか、そう泣く前にな」



痛覚は私に現実を伝えた。呆気なく目から流れていく涙は頬をつたって薬研の肩を濡らし、











不思議な話だけれども、なんだか安心してしまった。













各部屋の掃き掃除をしているとき宗三左文字に「僕よりも役に立たない刀があるんですね」と言われたが何とも思わなかった。「アンタが俺の仕事してよ」と加州清光に言われて畑仕事を代わった。「悔しくないの?」と蛍丸が聞いてきたこともあった。



「悔しいも何も、立場が違うでしょ」



洗濯したものたちをハンガーに一つ一つ引っ掛けながら屋内に設置されたレールに掛けていく。何もかも私の時代と違っていた。最初は気持ちの荒ぶりや、その身の振り方でモノを斬ってしまうことがあったけれども今は私の意志の下で斬ることも、斬らないこともできるようになった。あれから一月経った頃のことである。「そうか」あっけらかんとしている蛍丸は小柄ながら大層大振りな肝の据え方をした刀剣男士だ。たぶん、先程の質問に対して私が怒り散らしたとしても同じ反応をするんだろう。

刀は良くも悪くも表裏がない。



「そういえば、薬研が褒めてたよ」

「……えっ」

「分かりやすくていいよね、でも、あんまり期待しないほうがいいよ」



名前を気に入ってる刀、結構いるし、俺もそうだから言ったんだ。

蛍丸は小柄だけども、重たそうな足音を立てて去っていった。いい子、だなあ。彼が立っていた跡を眺め、仕事を再開し終わらせた。乾燥のスイッチを押して部屋を閉める。



ここは、変なところだ。



お座敷だけれど、妙なところで画期的なメカが飛び出す。しかし刀剣男士たちはそれぞれが存在していたときまでの記憶でおろされるものだから、随分前の文明の知識で動いていたりする。一番最先端で生きているはずの審神者は呪術を行う。馬がいる。兵もいる。



そして敵もいる。



この本丸にいる刀や審神者や兵たちは、歴史を守る為に戦っているのだという。歴史を改ざんされないよう、いろいろな時代へ審神者は刀剣男士を派遣し、その先で戦っているのだそうだ。それなら、この本丸は一体いつの時代にいるのやら、と聞くとそれは当然審神者の時代である。



私の時代にも、派遣されてはいないのだろうか。



「よっ」

「わっ!」

「おいおい、そんな驚くな」

「……鶴丸かと思った」



戦闘服を着た薬研がそこにいた。どうやら、3番隊の彼は遠征に向かうらしい。「名前も行くか?」「い、行かない」「よし、偉いぞ」まさか褒められるとは思っていなくて「ええ?」とまるで笑ったような返事をしてしまった、笑うつもりなどなかったのに。
薬研が目を据える。



「検非違使の話、聞いただろ。お前さんが来る前より事態は厄介になってるってことだけ分かっていれば、それでいい。とにかく、俺が良いと言うまで誰の誘いにも乗るんじゃあない、たとえ大将が相手でもな」

「行くわけが、ない」

「刀はそういかない、っていうことがだんだん分かってきたんじゃねえか?」

「……たぶん、身体が使いこなせるようになったから、ちょっと自惚れが生まれてきたかも、ていうことぐらいは……」

「そう言ってる内は、人だな。まだ刀ではないし、あんたは刀にならなくていい。それに#name#に替えはない」

「……薬研にもないよ、おかしいよ、同じ名前の刀がいくつもいくつもあるなんて」

「そりゃ変な話だが、とにかく俺は折れない、怪我もしない。だから心配すんな」

「待ってる」



通り過ぎていく薬研を見送り、振り向くと真っ白い男が立っていてまた叫んだ。今度は本物の鶴丸だ。髪も肌も白い刀が、いつもは笑みを浮かべている顔から表情を削ぎ落として私を見下ろしていた。今の会話を、聞かれたのだろうか。それなら意気地のない刀と見下されても仕方がない。
しかし鶴丸が食いついたのはそこではなかった。



「何を、どう変だと思った?」

「え、あの、さっきの?」

「そうだ」

「例え複製だとしても、複製もコピーも元になったものとは別物……だけれどここでは、あなたとは別の鶴丸もまた同じ時刻同じ人間によって誕生した鶴丸で、あなたそのもので、つまりそれは同じ名前ということで、それをこの本丸では別の時間別の場所である今、ここで、あなたそのものを製造したりなんやかんや、できるんでしょう?」

「回りくどい!  けどその通りだ。どうも敵よりこっちのほうが驚きが沢山潜んでいそうな気がしてならない」

「審神者さまは、答えを知ってるのかな」

「さてな。あれもよく分からん、人なのか」

「えっ」

「術のせいでな」

「術……術でバグをどうにかできないのかな」

「ばぐ?  あ、あれか!  虫のことだな!」

「あー近いけど……」

「安倍晴明は蛙を葉一枚で殺したからできるだろうな」

「なにそれ……」

「それにしても、何故審神者なんだろうな」

「審神者?」

「名前の話をしただろう。それで思ったんだが、審神者って人を指して言わなかった気がするんだよなあ、その昔は」

「それじゃあ、なにを指して言ったの?」

「庭だ。神を降ろす清らかな場所、だな」



縁側に立っていた私はすぐそばの庭を見て何故だか寒気がした。まるで、わたしが審神者の中にいるようだ。「怪談みたいだろ」と、鶴丸はやっとにやりと笑う。







私がここに来る前までは歴史修正主義者という、歴史を改ざんしようとする敵しかいなかったのだけど、私が来て数日後に検非違使という新たな敵が出現するようになった。検非違使からすれば、私たちもまた歴史を改ざんしているのだという。

まるでそれぞれの歴史のぶつかり合いだ。

そして誰も現状を理解していない。いや、それ以上の理解ができないように壁が出来上がっている。呪術なんていう名の下で。



「刀は人ではない。人は刀にはなれない」



深夜に私の部屋に来た三日月は障子を全部開け放って私に月夜に濡れる庭を見せた。「あなたと私の脳味噌は別物、という話なら間に合ってます」と、布団の上に腰を下ろしていた私は言い返す。分かり合う、ということができないのは知っている。ただし、認識を擦り合わせるということを、私たちは可能にすることができた。「へえ、あなたもここに来るんですか」宗三が私の隣で袖を鳴らし首を傾げた。宗三は、薬研の昔話をして私を悔しがらせることを好んでいるところがあって、今もそんな話を興じていたのである。



「あ、三日月さん、私ちょっと不思議だと思っていることがあって、聞いてもいいですか」

「なにかな」

「宗三も鶴丸も薬研もみんな、コンピュータ用語が通じないんですけど、三日月さんは分かりますよね。三日月さんって、刀なんですか?」

「はは、嬉しいことに俺は正真正銘、刀だ。ここではな」

「……ここでは?  どういうことです?」

「ところで宗三左文字よ、戦っていて薄々気づいていただろう。敵の正体を」

「……」

「正体?」

「名前、感を信じろ。その感は正しいよ」

「……え、どの、どのカンを……」

「庭が恐ろしいのだろう?」



三日月は部屋に入ってこない。縁側から、伝達者のように、告げ人のように私の脳味噌に自分の言葉を擦り合わせようとする。「それ以上、聞いてはいけませんよ、たぶん……」私の耳をそっと、宗三の骨張った細い手が覆う。宗三の指が震えている。「天の声は壁を無視する」三日月の声はそれでも私の耳に飛び込んできた。この三日月は、三日月なんだろうか。



「検非違使からすれば俺たちも歴史修正主義者だ。俺たちは誰の歴史を守ろうとしているんだろうな?  誰のシステムに則って動かされているんだろうな?   それは#name#の歴史ではなく、審神者の歴史だ。この本丸は審神者そのものだ。俺たちが駆り出される戦地は俺たちの審神者と他の審神者の戦いだ。向こうの審神者から見れば俺たちの姿は歴史修正主義者そのものだろうな……歴史修正主義者を名前は見たことがなかったか。お前の目に奴らはどう映るだろう?」

「どうって……」

「なあ、俺からも聞いてみたいことがあったのだ。答えてくれるよな?  お前は、人なのか?  本当に?」

「……まっ、待ってそんな」

「女子大生だった頃の、その記憶は本物なのか?」

「やめてください、そ、それじゃあ僕のこの胸の印は、どうなるっていうんです?  今のはそういう話なのでしょ?  三日月宗近、あなたは一体何を求めているんだ」

「名前の目を覚まさせる」

「何を言っているんですか」


頭がガンガンする。気づかない方がいいことが私のドアをガツンと殴っている。それは、唐突に窓から飛び込んできたように、私の中で大きく飛躍してハッと頭を上げた。


「まさか、私も電子化されてる?」


世界が静止した気がした。






遠征に向かう薬研に声をかけると彼は意地悪く笑った。「名前も行くか?」「行かない」「偉いぞ」洗濯物を持つ私を見て、彼は頷く。「俺が良いと言うまで誰の誘いにも乗るんじゃあない、たとえ大将が相手でもな」「うん……」「そんな顔をしたら美人がもったいないぜ。俺は折れない、怪我もしない。だから心配すんな」



三日月に言われたように、似たような言葉で返事をすると薬研は見事に同じ言葉を繰り返した。「人はコンピュータ以上に早く、意外なものを結びつけて結論をだすことができる。」三日月はそう言って私を褒めたけれど、そこにいる宗三はちっとも分からないという顔をして部屋を退出してしまった。宗三のはたぶん、演技だ。次の日にすれ違った蛍丸は馬小屋の藁の匂いを漂わせた目線を送ってきた、まるで「言ったでしょ」とでも言いたげに。

ここは、たぶん、電子世界の戦場。

私の過去の、この世界に来る前の記憶をできる限り無視すると、私はコンピューターに取り込まれた「情報」で、事実上バグなのかもしれないし、予め決定されたプログラムに沿ってこの世界を疑っているのかもしれない。審神者がこの本丸を指揮するプレイヤーであれば、話は簡単だ。同じ刀が複数同じ空間に存在することができるのは、やっぱり名前が違うからだ。刀には経験値という目に見えない名前をそれぞれが持っているのだろう。呼び名が同じであれ、「あの日あの時あの人」の手で作られたオリジナルを、「今この時この審神者」によってコピーされ経験値という名付けがそれぞれなされている。どれもやっぱり同じ刀ではないのだ。

そして、私たちが戦うのはまた別の知らない審神者と、その刀たちなのだろう。検非違使はきっと、別のプログラムが組まれた何か。

これだけ考えられたのは、三日月が私を人だと、薬研が私を人だと言ってくれたからだろうか。女子大生をしていた私が、どこかのベッドに寝かされモルモットにされている可能性を信じているからだろうか。



「うん、待ってる。待ってるから」



目の前の彼が、刀が、電子世界のプログラムされた「感情のないもの」であることを受け入れられないからだろうか。私の感情らしい反応に応えられないと、思ってしまったから。

前に感じた彼への安心感が遠いところへ吹き飛ばされてしまったようだった。薬研は私の言葉に大きく頷いてから、目線を素早く周囲に走らせだと思えば唐突に私の肩を掴んで背伸びをして耳に顔を寄せてきた。ハッと息を飲む。



「俺を見くびっちゃあ、困るぜ?」



ああそれでも、それでも私は薬研を信じてしまいたくなる。


2016/03/21



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