無味無臭 | ナノ

いち



シライシは、きゅうりのような男だ。何もかもてきぱきとしていて、無駄がない。


今日も私の家に来て、散らかり放題の部屋を整理し、食器を洗い、いくつかの細々とした雑事を終わらせてから、私とシライシのための夕食をこしらえる。シライシの料理はこざっぱりとしていて工夫にかける。けれどおいしい。素材をいかしている、という感じで、舌触りがやさしいのだ。

「ほら、できたで」

こちらに一言だけよこし、料理をダイニングテーブルにならべていく。そして自分は勝手に食べ始めてしまう。私はたいてい本を読んでいて、ひと段落するまでソファを離れないので、シライシの方が先に食べ終わってしまうことも少なくない。冷たくなった料理はそれなりに味が落ちる。温めなおすかどうかは自分の判断だ。頼んだことはないけれど、きっと「自分でしぃや」と言われるだろう。食後のシライシは読書に夢中なのだ。

今日のメニューはあじの開きになめこと豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたしに五穀米。典型的な和食だ。おばあちゃん、もしくは温泉旅館の朝食みたい、と思いながら、ゆっくりとそれらすべてを平らげる。せっかく温めなおしても、食べるのが遅いせいで、すぐに冷たくなってしまう。それを避けようと暖かいもの(今夜なら味噌汁やあじの開き)から食べすすめると、本から目を離すことなく「ばっかり食いはあかんで」。おばあちゃんと言ったのは訂正しよう。正しくは、口うるさい小姑みたい、だ。

それから、やっと私が食事を終えたころ、シライシが梅酒とビールを出してくる。たまに、飲まないこともある。けれどいつだってこの家にはシライシのためのビールが用意されていて、きんきんに冷えている。私はビールを飲まない。

シライシが食器を洗っている間に、私は歯を磨いて、明日の準備をして、あとはまた本を読む。どちらかが紅茶を入れて、礼を言う以外は、無音。当然シライシも本を読んでいる。私もシライシも、べつだん読書家というわけではないけれど。

「そろそろ帰るわ」
「あぁ、10時になった?早いね」

私たちはここでようやくまともに顔を合わせる。寂しがるために。別れるのが惜しい、という顔をするのだ。私たちの儀式。さよならは悲しいものでなくちゃいけない。

「今度またうちに夕飯食べに来ぃや。連絡するわ」
「すてき。楽しみにしてるね」

リビングのドアから顔を出して、廊下の奥、玄関を出ていくシライシを見送る。しずかにドアが閉まる。私はそれがすいこまれるようにして、壁にぴったりとはまる瞬間がすきだ。安心できるような気がする。すぐさま手に持っている本も閉じて、棚に戻す。ぴったりと。下の段が三分の一ほどあいているのが落ち着かない。けれどそこもしばらくすれば埋まってしまうだろう。本は増える一方で、減ることをしない。シライシがここで読むために買ってきては、置いていくからだ。リビングにあるのはすべて、彼が持ち込んだ本たち。今日も一冊増えた。私はソファに開いたまま置き去りにされたそれを下段に並べ、背表紙を眺めている。そうやって残りの夜が過ぎていく。


2014/02/09

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